東京都世田谷區の昭和女子大學 人見記念講堂へ、世田谷フィルハーモニー管弦樂團と世田谷區民合唱團による、ベートーヴェン「交響曲第九番」の演奏會を聴きに行く。

もともと令和二年二月に予定されてゐた演奏會だったが、あいにく人災疫病禍元年に當ってゐたため直前に中止、それから四年後、第九の初演からちゃうど二百年の節目に當る令和六年2024年に開催云々。

第九の演奏會と云ふと年末の印象が強いが、戰後ニッポンにおいて食ふに困った演奏家たちが生活費を得るために年末に企画したのが始まり云々、第九と年末とに歴史的意義は無く、そのニッポンだけの現象が海外では奇異に映るらしい。
それはさておき、昨年末にラジオ番組内でこの長大な交響曲を數回にわけて分かりやすく解説するコーナーを聴き、パーソナリティの話しの上手さもあって俄然興味を抱いてゐたところ、やはり御縁のなせるわざか、世田谷區で令和六年二月にお手頃価格の演奏會があることを知り、賣切寸前のところで切符を手に入れる。

西洋古典音樂──クラシックの演奏會など、子ども時分に忘大學の無料演奏會へ親に數回連れられて行って以来、今回は第九だけが聴きたいとは云へ、ここへ来て再びこの分野に足を運ぶとは我ながら意外、

されど幕のない開け放しの舞薹に演奏者がゾロゾロ現れて開演、間もなく客席ではあちこちで首が斜め前に倒れる人が續出し、なかには第一樂章に寝息の音まで添へる人が現れるなど、「なんだ、能樂堂の演能會とまったく同じやんけ!」
東西の違ひはあれど、ともに古典音樂、よって客質も同じと云ふことか。
舞薹を見れば、第四樂章にそなえて既に雛壇に控えてゐる合唱隊員の一人が、明らかに居眠りしてゐる!
わが國の能樂や歌舞伎でも、かういふ演者を何人も知ってゐる!
やがて眼目の第四樂章に入り、合唱愛好家(アマチュア)の區民たちと、四人のプロの聲樂家たちとの掛け合ひになると、その聲のチカラの差が歴然としてゐて、それでも音樂としての破綻をきたさないやう均衡を保ち續けてフィナーレに駆け込んだところが、面白く映った。

今回の第九の演奏時間は約七十分、この壮長な交響曲を周りのやうに睡魔に襲われることなく大いに樂しめたのは、前々からCDで聴き込んで流れをアタマに叩き込んでおいたほかに、これまで能樂堂でそれ以上の時間を要する立体静止画像のやうな舞薹と闘って鍛へられた、その賜物なのかもしれない。

なんであれ、舞薹客席ともに、音樂に東西の國境なしを認識できた、樂しい九十分間だった。