「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

        イスラム過激派と旧日本軍

2007-07-06 05:52:43 | Weblog
パキスタンの首都イスラムバードのモスク(回教礼拝堂)と付属のマドラ
ーサ(神学校)周辺で治安部隊とイスラム過激派神学生との間でにらみ
あいが3日にわたって続いている。すでに双方の銃撃戦で19人が死亡、
投降した指導者の呼びかけにもかかわらず、学生たちは篭城したままで
ある。

これと同じような事件が大東亜戦争中の昭和17年11月10日,北スマト
ラ・アチェのバイュで起きている。この地方最大のモスクと付属のマドラ
ーサに立て篭もった過激派と神学生が反日運動に出た。日本軍(近衛
歩兵三連隊)はアチェの全回教組織PUSA(回教指導者連盟)を通じて
説得したが聞き入れられなかった。そこでPUSAの指導者を使者にたて
現地に向かったところ、過激派がいきなりジハード(聖戦)を叫び、刀で
襲いかかってきた。

結果として、双方入り乱れての銃撃戦になりモスクも破壊され炎上した。
進駐してまもない時期、双方の相互理解が不足していたのが第一の原因
で、とっさの出来事で日本側にはイスラムを弾圧する意図はまったくなか
った。だが、インドネシアはこの事件を名誉ある抗日運動として学校で教え
ている。

戦後平成元年になって、この事件に関係した旧日本軍の戦友会が中心となっ
て募金し、廃墟になっていたモスクを再建した。日本人からみれば、戦争
への贖罪なのだが、イスラム教徒にとっては富者が貧者にする”喜捨”にす
ぎない。日本軍のインドネシア国民への弾圧行為として語り継がれている。