「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

       忘れ去られてゆく海外の慰霊碑

2007-07-13 06:20:57 | Weblog
モンゴルを親善訪問中の皇太子殿下が戦後ソ連(当時)によって抑留された
日本人の慰霊塔を訪れは花輪を捧げた。恥ずかしいが、この地に1400名
もの日本人が連行され、過労と栄養失調で亡くなっていたのを知らなかった。
改めて僕はソ連の蛮行と残虐性に怒りを感じた。

海外の慰霊碑は南はオーストラリアから北はシベリアの奥地まで散在している。
このほとんどが戦友や遺族の方々が私費を投じて建てたものだが、政府による
建築のものもある。例えば、南方の島々には昭和31年、遺骨収拾船が巡回し
たさい建てたものだが、慰霊碑の中には、英語のスペルが間違ったものもある。
海外の慰霊碑を管轄する厚生労働省は、民間の建てた慰霊碑については一切、
関与しない方針のようだ。

戦後60年、慰霊碑の中には朽ち果てたり、住民のイタズラで壊されたりしてい
る。また関係者の高齢化で慰霊に訪れる者もいなくなっている。”海ゆかば水漬
(みづく)かばね、山ゆかば草むすかばね”(大伴家持作詞)が、日本人の死生
観なのだろうかー。英霊はすでに靖国の杜に帰還しているから、慰霊碑は必要な
いのかー。

数年前、ジャカルタの博物館の庭にどこの部隊の戦死者か不明の石碑がころがっ
ていた。関係者に呼びかけて、戦死者をつきとめ石碑を再建した。当時の大使舘
関係者はインドネシア博物館の好意で再建できた碑の式典にも顔を出さなかった。
厚労省の方針なのか、若い世代の考えなのか解からないが、やがて関係者が思い
をこめ大金を出して建てた慰霊碑も忘れさられてゆく運命にある。