昨日の日曜日、年賀状の"第一弾”を書き上げポストに入れた。"第一弾"とい
うのは、自分の生きている”証し”を親しい人にだけ送るという意味だ。相手方
には大変失礼だが”第二弾”は新春になって頂戴した方に送る心算だ。
昨年まで僕は約200人の方に年賀状を出していたが、今年頂いた賀状の一枚
に「この賀状をもって千秋楽にさせて頂きたくお許しのほどを」と書いてあった。
小学校、中学校を共にした友人からである。
加齢とともに”喪中”の葉書が多くなってきた。今年は24枚も届いた。それに加
えて加齢により年賀の交換も煩雑と思える方も見受ける。僕は昨年まで、普段
の無沙汰を詫び、生きる”証し”にできるだけ多くの人に賀状を出していたが、
今年は相手のことも考慮し”第一弾”は半分に絞った。
民営化された日本郵便(JP)は、昨年度の約37億枚より多くの年賀郵便葉書を
用意したそうだ。昭和24年から始まったお年玉つきの制度は、日本の正月行事
として定着したように見える。が、果たして今年はJPの思惑どおりに行くだろうか。
メールで年賀を済ませる若い人も多くなっていると聞く。一枚50円の葉書でも百
枚出せば、5000円である。パソコンで印刷できない老人には「私は贈ります」(JP)
と言われても簡単には贈れないし送れない。”これをもって千秋楽”としたい高齢
者がいるのもうなづける。
うのは、自分の生きている”証し”を親しい人にだけ送るという意味だ。相手方
には大変失礼だが”第二弾”は新春になって頂戴した方に送る心算だ。
昨年まで僕は約200人の方に年賀状を出していたが、今年頂いた賀状の一枚
に「この賀状をもって千秋楽にさせて頂きたくお許しのほどを」と書いてあった。
小学校、中学校を共にした友人からである。
加齢とともに”喪中”の葉書が多くなってきた。今年は24枚も届いた。それに加
えて加齢により年賀の交換も煩雑と思える方も見受ける。僕は昨年まで、普段
の無沙汰を詫び、生きる”証し”にできるだけ多くの人に賀状を出していたが、
今年は相手のことも考慮し”第一弾”は半分に絞った。
民営化された日本郵便(JP)は、昨年度の約37億枚より多くの年賀郵便葉書を
用意したそうだ。昭和24年から始まったお年玉つきの制度は、日本の正月行事
として定着したように見える。が、果たして今年はJPの思惑どおりに行くだろうか。
メールで年賀を済ませる若い人も多くなっていると聞く。一枚50円の葉書でも百
枚出せば、5000円である。パソコンで印刷できない老人には「私は贈ります」(JP)
と言われても簡単には贈れないし送れない。”これをもって千秋楽”としたい高齢
者がいるのもうなづける。