「年の瀬」を探しに昨日、浅草寺境内の羽子板市を見に行った。毎年師走の17、
18,19の三日間、観音さまの仲見世から仁王門にかけて50軒ほどの羽子板を
売る店がでて暮れの風物詩となっているーとモノの本に書いてあった。だが、東
京生まれ、東京に育ちの僕にとってはは初めての羽子板市だ。
羽根つきが正月の女の子の遊びだったのは何時頃までであったろうかー。戦前
東京ではどこの横丁にいっても女の子が晴着の袂をひるがえして羽をつき、その
音が露地にこだましていた。負けて額に墨を塗られた笑顔も懐かしい。そんな情
景は今や東京では見られない。
羽子板は今や部屋の装飾品化したようだ。ミニュチュアだけを売っている店もあっ
た。ただ押絵の主流はやはり昔ながらの歌舞伎物が多い。その中にあって世相
を反映する羽子板を扱っている店もあった。しかし、今年は一年を代表するような
突出した人物はいない。アニメのキャラクターに混じって福田総理と中曽根元首
相のものが売られていたがいま一つ人気がないようだ。
初日の昼間のせいか人出の割には、羽子板は売れていない。残念ながら勇ましい
手締めの声も聞けなかった。羽子板市はもともと歳の市から始まったのだそうだが
すべてに季節感が失われた現在、僕はあまり歳の瀬を感じなかった。時代の推移
かそれとも僕自身が年をとったせいなのかー。あるいは景気が原因なのかもしれ
ない。
18,19の三日間、観音さまの仲見世から仁王門にかけて50軒ほどの羽子板を
売る店がでて暮れの風物詩となっているーとモノの本に書いてあった。だが、東
京生まれ、東京に育ちの僕にとってはは初めての羽子板市だ。
羽根つきが正月の女の子の遊びだったのは何時頃までであったろうかー。戦前
東京ではどこの横丁にいっても女の子が晴着の袂をひるがえして羽をつき、その
音が露地にこだましていた。負けて額に墨を塗られた笑顔も懐かしい。そんな情
景は今や東京では見られない。
羽子板は今や部屋の装飾品化したようだ。ミニュチュアだけを売っている店もあっ
た。ただ押絵の主流はやはり昔ながらの歌舞伎物が多い。その中にあって世相
を反映する羽子板を扱っている店もあった。しかし、今年は一年を代表するような
突出した人物はいない。アニメのキャラクターに混じって福田総理と中曽根元首
相のものが売られていたがいま一つ人気がないようだ。
初日の昼間のせいか人出の割には、羽子板は売れていない。残念ながら勇ましい
手締めの声も聞けなかった。羽子板市はもともと歳の市から始まったのだそうだが
すべてに季節感が失われた現在、僕はあまり歳の瀬を感じなかった。時代の推移
かそれとも僕自身が年をとったせいなのかー。あるいは景気が原因なのかもしれ
ない。