”良薬は口に苦し”-昔はお医者さんから貰う粉薬は苦く、これをオブラート
という薄い膜状の紙に包んで飲んだものだ。このオブラートの発明者が「ア
ラビア太郎」といわれた、あの昭和の大企業家、故山下太郎氏だと知り驚い
たことがあった。
その山下太郎が創設したアラビア石油が、かって「日の丸油田」の象徴だっ
たカフジ油田から今年限りで撤退する。半世紀前、わが国初の自主開発油
田として”国威”を発揚、国民が誇りにした当時を知る者としては寂しい限りだ。
カフジ油田はサウジアラビアとクウエート両国が権益を持つ海上油田で、アラビ
ア石油が昭和32年(1957年)に権益を取得、36年から日本に向けて原油を積
み出し、ピーク時は一日当り30万バレルの生産があった。僕は37年12月、操
業開始時の現地を訪れたが、灼熱の砂漠の中で、日本人技術者がカマボコ型
の粗末な宿舎で頑張っていた姿が今も忘れられない。
あれから半世紀を経て、平成12年にサウジアラビアとの権益更新交渉が不調
に終わり、15年にはクウエートの権益も失効、そして今回の技術者派遣契約も
期限切れとなり、完全に撤退することになった。
50年前、中東の石油は欧米系の石油会社の独占であった。山下太郎氏は、そ
の中へ”殴り込み”をかけるように参入した。石油事情には素人だが、現在の原
油高の実情をみると、改めて山下氏の先見性の高さと気概に感心する。
という薄い膜状の紙に包んで飲んだものだ。このオブラートの発明者が「ア
ラビア太郎」といわれた、あの昭和の大企業家、故山下太郎氏だと知り驚い
たことがあった。
その山下太郎が創設したアラビア石油が、かって「日の丸油田」の象徴だっ
たカフジ油田から今年限りで撤退する。半世紀前、わが国初の自主開発油
田として”国威”を発揚、国民が誇りにした当時を知る者としては寂しい限りだ。
カフジ油田はサウジアラビアとクウエート両国が権益を持つ海上油田で、アラビ
ア石油が昭和32年(1957年)に権益を取得、36年から日本に向けて原油を積
み出し、ピーク時は一日当り30万バレルの生産があった。僕は37年12月、操
業開始時の現地を訪れたが、灼熱の砂漠の中で、日本人技術者がカマボコ型
の粗末な宿舎で頑張っていた姿が今も忘れられない。
あれから半世紀を経て、平成12年にサウジアラビアとの権益更新交渉が不調
に終わり、15年にはクウエートの権益も失効、そして今回の技術者派遣契約も
期限切れとなり、完全に撤退することになった。
50年前、中東の石油は欧米系の石油会社の独占であった。山下太郎氏は、そ
の中へ”殴り込み”をかけるように参入した。石油事情には素人だが、現在の原
油高の実情をみると、改めて山下氏の先見性の高さと気概に感心する。