「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

         日中の”井戸を掘った”日本人

2008-05-07 05:47:45 | Weblog
来日中の胡錦涛・中国国家主席が昨夜、東京の日比谷松本楼で催された福田総理の
プライベートな夕食会に出席した。松本楼は”革命の父”と呼ばれる孫文が日本亡命中
たびたび訪れた明治37年、創業のレストランで、店内には孫文夫人宗慶齢が弾いたとい
う国産第一号のピアノも展示されている。このピアノは、孫文と宗慶齢とが結婚式を挙げ
た梅屋庄吉(現松本楼常務の曽祖父)宅にあったものだ。

日露戦争から大正時代の初めにかけて日本には、孫文のような清国からの政治亡命者
をはじめ留学生が2万人から3万人いたといわれる。阿Q正伝などの作品で知られる魯迅
も仙台医専(現東北大医学部)で勉学後、帰国まで東京に滞在している。後に総理になっ
た周恩来も東京・神田の東亜高等予備校で日本語を学び明治大學に留学している。静岡
県掛川市旧大東町には、この二人に日本語を教えた同地出身の松本亀次郎の顕彰碑
(井上靖揮毫)が建っている。

当時中国留学生が多く集まる場所は、私立大学が集中していた神田の駿河台から神保町
にかけての界隈だった。地下鉄神保町近くの愛全公園には「東亜高等予備校」跡の碑が
建っている.そして、その近くの中華料理店「漢陽楼」は周恩来が留学中よく通った店で、周
が好んだ小籠包が今でもこの店の名物である。

「漢陽楼」だけでなく、昭和30年代頃まで神田には中国留学生が通ったと思われる小さな
中華料理店が多く残っていた。胡錦涛主席の来日を機に日中関係の井戸を掘った先人た
ちを偲んでみた。