今日はいつもより長くブログを書きます。厚労省のすすめてている「民間建立慰霊碑
等整理」事業が、日本人の心を踏みにじり、税金の無駄遣いだと僕には思われるから
です。これは「後期高齢者医療」制度などに見られる先人蔑視につながるものです。
インドネシア・東カリマンタンのマンガル海岸で戦後オランダのBC級裁判によって処
刑されたI氏の遺族から僕に電話があって同地に埋葬された97人の英霊を鎮魂して
建てられた慰霊碑が壊され更地にされる計画が厚労省ですすめているという。平成
13年、僕もこの地を訪れ自著にも書いており他人事ではない。まさかとは思ったが、
過去の厚労省の戦争に対する偏見、不誠実な対応からありうると感じた。
一昨日、僕は厚労省援護局外事室の担当に電話で事の真否を確認した。この結果
一方的に壊すことはないが「民間建立慰霊碑等整理」事業(平成19年度予算1920
万円)によって"適切と思われるものについては、必要に応じて移設、埋没などの整理
作業を行う”のだそうだ。
さらに事業内容文書によると、整理作業を行う前に建立者と現地管理者の意向を確認
すると書いてある。しかし、戦後60数年経っており、建立者が亡くなっているケースが多い。
I氏の遺族は、この情報をM氏から得たが、M氏は今年90歳、カリマンタン各地の激戦地
四か所に慰霊碑を建立している。M氏がお元気であったからよいものの、もし連絡がつ
かなければ、現地管理者も不明で整理処分されていたかもしれない。
厚労省はなぜこんなに民間建立の慰霊碑を"目の敵”にするのだろうか。確かに数十年の
歳月で傷んだものもあるし、現地人の悪戯で壊されたものもある。しかし、僕の知る限り
現地から苦情が来たという例は聞かない。逆にこんなケースもある。
平成12年10月、僕はジャカルタのプラサステイ博物館の庭に放置されている「広安梯隊
三十勇士の碑」を発見、関係者の協力と博物館の好意で再建した。広安梯隊は第二師
団の歩兵連隊で緒戦の上陸作戦で戦死した方々。他の隊員も碑を建立した後、ガダル
カナルで玉砕していた。僕らは、この時の協力金の一部で「南方各地慰霊碑一覧」を作
成、主としてインドネシア、パプアニューギニアにある慰霊碑の碑銘、建立地、建立者、建
立月日を出来るだけ調査し一覧にした。僕らの意図は、戦争を知らない次の世代に最低
でも碑のいわれを伝えたいということだった。
僕らは「広安梯隊}の碑再建の時もジャカルタの大使館に報告したが、当時の厚労省
から出向の書記官は、碑の再建式にも顔をみせなかった。それでも僕らは慰霊碑一覧
を厚労省に寄贈した。
厚労省の「民間慰霊碑整理}事業はいつから始まったのかは知らない。ところが、数年前
から二度も僕らの所へインドネシアの慰霊碑について民間の団体から問合せがきた。調べ
てみると、彼らの持参する”厚労省のリスト"は、僕らが作成した一覧の丸写しで、事前の
断りもない。僕らは、そのつど懇切丁寧に応対しているが、厚労省からは整理調査団が
現地に行ったのかどうか、その結果についても返事がない。
戦後60数年も経過しているのに南方各地の遺骨収集はいまだに終わっていない。未確認
情報だが、カリマンタンの激戦地サマリンダ街道の野戦病院跡から旧日本兵のものとみら
れる遺骨が現地人の建設機械で粉砕されていた。それなのに、戦友たちや遺族が想いを
込めて建立した慰霊碑整理を先行させて狙い打ちにするのか厚労省の意図がわからない。
僕らが「慰霊碑一覧」を作成した時、協力してくれた建立者もすでにこの世にいない方もいる。
何も知らない厚労省や民間業者が、僕らの「慰霊碑一覧」を孫引きして、建立者との連絡が
つかない場合、これを基に慰霊碑を壊す場合があるかもしれない。そうなれば、僕らの善意
は逆効果である。
建立者も慰霊碑が未来永劫に残るとは期待はしていない。"草むす"かもしれないが、英霊
への想い込めて建立したものである。”お国のために戦った”英霊の碑を特に理由もないのに
同じ”お国”が整理するのは国家権力の乱用であり、暴挙である。
等整理」事業が、日本人の心を踏みにじり、税金の無駄遣いだと僕には思われるから
です。これは「後期高齢者医療」制度などに見られる先人蔑視につながるものです。
インドネシア・東カリマンタンのマンガル海岸で戦後オランダのBC級裁判によって処
刑されたI氏の遺族から僕に電話があって同地に埋葬された97人の英霊を鎮魂して
建てられた慰霊碑が壊され更地にされる計画が厚労省ですすめているという。平成
13年、僕もこの地を訪れ自著にも書いており他人事ではない。まさかとは思ったが、
過去の厚労省の戦争に対する偏見、不誠実な対応からありうると感じた。
一昨日、僕は厚労省援護局外事室の担当に電話で事の真否を確認した。この結果
一方的に壊すことはないが「民間建立慰霊碑等整理」事業(平成19年度予算1920
万円)によって"適切と思われるものについては、必要に応じて移設、埋没などの整理
作業を行う”のだそうだ。
さらに事業内容文書によると、整理作業を行う前に建立者と現地管理者の意向を確認
すると書いてある。しかし、戦後60数年経っており、建立者が亡くなっているケースが多い。
I氏の遺族は、この情報をM氏から得たが、M氏は今年90歳、カリマンタン各地の激戦地
四か所に慰霊碑を建立している。M氏がお元気であったからよいものの、もし連絡がつ
かなければ、現地管理者も不明で整理処分されていたかもしれない。
厚労省はなぜこんなに民間建立の慰霊碑を"目の敵”にするのだろうか。確かに数十年の
歳月で傷んだものもあるし、現地人の悪戯で壊されたものもある。しかし、僕の知る限り
現地から苦情が来たという例は聞かない。逆にこんなケースもある。
平成12年10月、僕はジャカルタのプラサステイ博物館の庭に放置されている「広安梯隊
三十勇士の碑」を発見、関係者の協力と博物館の好意で再建した。広安梯隊は第二師
団の歩兵連隊で緒戦の上陸作戦で戦死した方々。他の隊員も碑を建立した後、ガダル
カナルで玉砕していた。僕らは、この時の協力金の一部で「南方各地慰霊碑一覧」を作
成、主としてインドネシア、パプアニューギニアにある慰霊碑の碑銘、建立地、建立者、建
立月日を出来るだけ調査し一覧にした。僕らの意図は、戦争を知らない次の世代に最低
でも碑のいわれを伝えたいということだった。
僕らは「広安梯隊}の碑再建の時もジャカルタの大使館に報告したが、当時の厚労省
から出向の書記官は、碑の再建式にも顔をみせなかった。それでも僕らは慰霊碑一覧
を厚労省に寄贈した。
厚労省の「民間慰霊碑整理}事業はいつから始まったのかは知らない。ところが、数年前
から二度も僕らの所へインドネシアの慰霊碑について民間の団体から問合せがきた。調べ
てみると、彼らの持参する”厚労省のリスト"は、僕らが作成した一覧の丸写しで、事前の
断りもない。僕らは、そのつど懇切丁寧に応対しているが、厚労省からは整理調査団が
現地に行ったのかどうか、その結果についても返事がない。
戦後60数年も経過しているのに南方各地の遺骨収集はいまだに終わっていない。未確認
情報だが、カリマンタンの激戦地サマリンダ街道の野戦病院跡から旧日本兵のものとみら
れる遺骨が現地人の建設機械で粉砕されていた。それなのに、戦友たちや遺族が想いを
込めて建立した慰霊碑整理を先行させて狙い打ちにするのか厚労省の意図がわからない。
僕らが「慰霊碑一覧」を作成した時、協力してくれた建立者もすでにこの世にいない方もいる。
何も知らない厚労省や民間業者が、僕らの「慰霊碑一覧」を孫引きして、建立者との連絡が
つかない場合、これを基に慰霊碑を壊す場合があるかもしれない。そうなれば、僕らの善意
は逆効果である。
建立者も慰霊碑が未来永劫に残るとは期待はしていない。"草むす"かもしれないが、英霊
への想い込めて建立したものである。”お国のために戦った”英霊の碑を特に理由もないのに
同じ”お国”が整理するのは国家権力の乱用であり、暴挙である。