「インドネシアのこころ」などの著書で知られる元筑波大学客員教授アリフィン・ベ
イ博士が今、ジャカルタ郊外タンゲランで病床にある。博士は昭和19年11月、大
東亜省(当時)の「南方特別留学生」として来日、翌20年8月6日、留学先の広島
高等師範学校(現・広島大学)で原爆にあった。マレーシアから来た同じ留学生
のサイド・オマール氏とニック・ユソフ氏の二人は原爆死している。
僕の知り合いの女性が今月、アリフィン・ベイ博士を見舞って帰国した。博士は現
在娘さんの経営する幼稚園近くの御宅で療養されているが、二回にわたる脳梗
塞で寝たきりの生活。それよりも知人が心配しているのは博士の猛烈な咳き込み
方だったそうだ。僕も博士が日本にいた頃から気がかりだったが、博士の咳き込
みは異常で、博士も”原爆でノドをやられた”といっていた。博士は被爆当時爆心
地から2㌔以内にいて、その後行方不明の学友を探して2週間広島に滞在していた。
今年3月厚労省の原爆症原爆症認定の新基準が出来、原爆投下時、爆心地から
半径3・5㌔以内で直接被爆し、投下後約100時間以上爆心地周辺にいた被爆者は
原爆症認定の該当者になった。博士のセキが被爆によるものかどうかはわからな
いが、博士の場合は新基準を満たしている。
博士は日本政府から日イの長年の友好に努めた功績で、勳三等瑞宝章を授与され
ている。被爆について博士はあまり口にしたがらないが、83歳という高齢で、多分
認定の新基準は知らないと思う。なんとか特例として認定できないものだろうか。
イ博士が今、ジャカルタ郊外タンゲランで病床にある。博士は昭和19年11月、大
東亜省(当時)の「南方特別留学生」として来日、翌20年8月6日、留学先の広島
高等師範学校(現・広島大学)で原爆にあった。マレーシアから来た同じ留学生
のサイド・オマール氏とニック・ユソフ氏の二人は原爆死している。
僕の知り合いの女性が今月、アリフィン・ベイ博士を見舞って帰国した。博士は現
在娘さんの経営する幼稚園近くの御宅で療養されているが、二回にわたる脳梗
塞で寝たきりの生活。それよりも知人が心配しているのは博士の猛烈な咳き込み
方だったそうだ。僕も博士が日本にいた頃から気がかりだったが、博士の咳き込
みは異常で、博士も”原爆でノドをやられた”といっていた。博士は被爆当時爆心
地から2㌔以内にいて、その後行方不明の学友を探して2週間広島に滞在していた。
今年3月厚労省の原爆症原爆症認定の新基準が出来、原爆投下時、爆心地から
半径3・5㌔以内で直接被爆し、投下後約100時間以上爆心地周辺にいた被爆者は
原爆症認定の該当者になった。博士のセキが被爆によるものかどうかはわからな
いが、博士の場合は新基準を満たしている。
博士は日本政府から日イの長年の友好に努めた功績で、勳三等瑞宝章を授与され
ている。被爆について博士はあまり口にしたがらないが、83歳という高齢で、多分
認定の新基準は知らないと思う。なんとか特例として認定できないものだろうか。