先日、小ブログにも時々登場させて貰う94歳の大先輩と最近の政情について”床
屋談義”をした。その時、先輩が言うには、現世は応仁の乱前後に似ていないだろ
うかーというのだ。恥ずかしながら、応仁の乱について忘れてしまったので、あわて
て本箱から歴史書を引っ張り出して復習した。
応仁の乱(1467年)は、足利八代将軍義政の時代、将軍の統率力のなさから守護
大名の細川勝元(東軍)と山名持豊(西軍)が11年間にわたって勢力争いが続いた。
その結果、全国に一揆が生じ、下克上の空気が生まれた。京の都は戦闘で破壊さ
れて人心はちじに乱れた。
東軍が自民党で西軍が民主党であるかどうかは知らない。が、この1年間の”ねじり
国会”をみていると、なんとなく応仁の乱時と似ている。自民、民主の党首を守護大名
に置き換えてみればはっきりする。我の張り合いで政治は空転した。
自民党の総裁選挙には”我も我も”と名乗りをあげているが、明らかに売名としか思わ
れる者もいる。群雄割拠といいたいが全員"雄”とは思えない。百家争鳴も結構だが、
国の現状からみて今はそんな時代であろうかー。自民党の"コップの中の嵐”は醜い。
国民は”ねじり国会”の非生産的な論議にあきあきしている。自民、民主両党の指導
者が決まった時点で、国会解散、総選挙が最善の道と思うがどうだろうか。応仁の乱
ならぬ平成の乱の解決策はこれしかない。
屋談義”をした。その時、先輩が言うには、現世は応仁の乱前後に似ていないだろ
うかーというのだ。恥ずかしながら、応仁の乱について忘れてしまったので、あわて
て本箱から歴史書を引っ張り出して復習した。
応仁の乱(1467年)は、足利八代将軍義政の時代、将軍の統率力のなさから守護
大名の細川勝元(東軍)と山名持豊(西軍)が11年間にわたって勢力争いが続いた。
その結果、全国に一揆が生じ、下克上の空気が生まれた。京の都は戦闘で破壊さ
れて人心はちじに乱れた。
東軍が自民党で西軍が民主党であるかどうかは知らない。が、この1年間の”ねじり
国会”をみていると、なんとなく応仁の乱時と似ている。自民、民主の党首を守護大名
に置き換えてみればはっきりする。我の張り合いで政治は空転した。
自民党の総裁選挙には”我も我も”と名乗りをあげているが、明らかに売名としか思わ
れる者もいる。群雄割拠といいたいが全員"雄”とは思えない。百家争鳴も結構だが、
国の現状からみて今はそんな時代であろうかー。自民党の"コップの中の嵐”は醜い。
国民は”ねじり国会”の非生産的な論議にあきあきしている。自民、民主両党の指導
者が決まった時点で、国会解散、総選挙が最善の道と思うがどうだろうか。応仁の乱
ならぬ平成の乱の解決策はこれしかない。