「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

            百一歳残留者の帰国

2008-09-27 05:17:05 | Weblog
戦後インドネシアに残留した一人が近く日本に一時帰国するという電話を知人から
貰った。1907年生れというから誕生日がくれば百一歳の高齢である。文字通り波乱
万丈の人生、明治から平成までの四代を日本とインドネシア両国で生きてきた,もの
すごい生命力に改めて感服する。

ジャカルタのYWP(残留者福祉友の会)が編纂した冊子によると、一時帰国するT氏
は、戦前、旧蘭印で商社員をしていたが、昭和17年、戦争とともに再び民間人として
ジャワに渡った。仕事は当時軍需物資だった屑鉄の収拾であったが、敗戦で軍人と
一緒に収容所に入れられた。T氏は敗戦の日本に帰ってもという気持ちから、収容所
を脱走、以来今日までインドネシア社会で暮してきた。ここ数十年はジョクジャカルタ
のメラピ山麓でインドネシア式旅館を経営している。

戦後インドネシア各地に残留した日本人は千人ぐらいいたようだが、その後帰国した
り、死亡したりして昭和54年にYWPが残留者の福祉と助け合いの会を作ったときの
参加者は240名だった。が、今はT氏ほか数名しか残っていない。残留理由について
は、それぞれ異なるが戦争によってインドネシアに来たことにはまちがいない。「流れ
流れて落ち行く先がジャワ」(流浪の旅)であったわけではない。

残留した日本人のうち独立戦争に参加した人は、各地の英雄墓地に埋葬されている。
T氏も独立戦争に”斥候”として参加しているが、軍事作戦には従軍していない。日本
では、残留者は大日本帝国の軍隊からの脱走者扱いであったが、軍人恩給の規定を
満たす一部の人には一時金が支給されている。戦争とは冷酷だ。人の一生を狂わさせ
しまう。