「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

         Always ドバイの夕日(2)

2009-05-10 05:44:23 | Weblog
僕らが最初にドバイを訪れたのは昭和37年11月であった。当時ドバイは英国の保
護領「トルーシャル・ステーツ」(Trucial States)7土侯国の一つで、砂漠の中の
小さな中継港にすぎなかった。今でこそ超高層のビルが林立し五つ星の豪華なホ
テルが50幾つもあり、室内にスキー場や世界一の水族館まである超セレブなショッ
ピング・モールを持つ近代国家である。が、僕らが訪れた48年前は二階建ての8部
屋しかないホテルだけで、僕らはこの2号室に宿泊した。ここを拠点に僕らはラシッド
首長にインタービューしたり、ゴム草履をはいて砂漠の中のスーク(市場)や給水場
へロバに乗って水を買いにくる住民の姿をカメラのレンズに収めた。

昭和37年といえば、まだ日本でも東京五輪前で、新幹線も新宿副都心の高層ビル
群もなく東京タワーが出来たばかりの"三丁目の夕日”の時代であったが、すでにある
程度のインフラは整備されていた。だが、当時のドバイはそれ以前で、町の中のク
リークの両岸を結ぶ橋は一つもなく、手漕ぎの渡し舟で住民は行き往きしていた。電
気は一定の地区しか配電されておらず、水も配水所までロバに乗って買いに来ていた。

ほとんど半世紀も前に1週間滞在しただけの小さな国の小さな町にすぎないが、なぜ
か僕らには今でもこの町が忘れられない。一つには今のような奇跡の発展をとげた事
にもあるが、それ以上に忘れられないのは住民の気持ちである。"三丁目の夕日”の
制作者が映画の中で訴えたかった、あの人間の持つ暖かい気持ちである。この気持ちが
僕らを捕らえてやまなかった。(故ラシッド首長の写真展会場での写真)

(続)