1962年、独立前のドバイを撮った同行のカメラマンの写真展「Dubai 1962」が
成功裏に終わったと、現地からメールが入った(小ブログ5月8日ー10日参照)。
三週間の会期中、写真展を訪れた人は3千人を越す盛況で、会場のアート・セ
ンター始まって以来の記録の事だ。関係者の一人として喜ばしい限りだ。
年を重ねると、時代感覚がおかしくなる。僕らがドバイを訪れたのは、もう半世
紀近くも前の事だが、ついこの間のような気もする。ドバイの人たちが写真展を
みて、その変わりように驚き、ノスタルジアを感ずるのは当たり前だ。1962年ー
昭和37年の東京だって考えれば、すごい変わり方をしている。当時、新宿副都
心の高層ビル群はなく、淀橋浄水場脇を都電杉並線が走っていた。もちろん新
幹線も高速道路なかった時代だ。
今年は横浜開港150年、これにちなんで地元のテレビ局が開港当時の古い写
真を紹介している。写真の持つ訴求力だ。開港当時の横浜を彷彿とさせてくれる。
多分「Dubai 1962」写真展もこれに匹敵するものだろう。現地からのメールでは、
展示された写真は写真展のあと、ドバイ文化庁に寄贈され、町並み保存区の一角
にある建物で常設展示されることになる。
昭和30年代がブームだという。ドバイの写真展の成功から、なんとはなくあの当
時の日本に僕もノスタルジアを感ずるようになった。昭和37年は歌で言えば「いつ
でも夢を」「遠くへ行きたい」が流行した年であった。
成功裏に終わったと、現地からメールが入った(小ブログ5月8日ー10日参照)。
三週間の会期中、写真展を訪れた人は3千人を越す盛況で、会場のアート・セ
ンター始まって以来の記録の事だ。関係者の一人として喜ばしい限りだ。
年を重ねると、時代感覚がおかしくなる。僕らがドバイを訪れたのは、もう半世
紀近くも前の事だが、ついこの間のような気もする。ドバイの人たちが写真展を
みて、その変わりように驚き、ノスタルジアを感ずるのは当たり前だ。1962年ー
昭和37年の東京だって考えれば、すごい変わり方をしている。当時、新宿副都
心の高層ビル群はなく、淀橋浄水場脇を都電杉並線が走っていた。もちろん新
幹線も高速道路なかった時代だ。
今年は横浜開港150年、これにちなんで地元のテレビ局が開港当時の古い写
真を紹介している。写真の持つ訴求力だ。開港当時の横浜を彷彿とさせてくれる。
多分「Dubai 1962」写真展もこれに匹敵するものだろう。現地からのメールでは、
展示された写真は写真展のあと、ドバイ文化庁に寄贈され、町並み保存区の一角
にある建物で常設展示されることになる。
昭和30年代がブームだという。ドバイの写真展の成功から、なんとはなくあの当
時の日本に僕もノスタルジアを感ずるようになった。昭和37年は歌で言えば「いつ
でも夢を」「遠くへ行きたい」が流行した年であった。