「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

         大鉄傘の国技館の頃

2009-05-20 05:36:34 | Weblog
今年は「国技館」が出来て100年だという。「国技館」といっても今の国技館で
はなく、昔、両国の回向院の境内にあったドーム型のものだ。通称、大鉄傘と
もいわれた国技館だが、ここで大相撲を見た日本人も少なくなってきた。旧国
技館は空襲で内部が焼けたが、戦後改装されて進駐軍に「メモリアール」とし
て接収され、解除後は日大講堂だったが昭和47年、解体され今はない。

双葉山の69連勝の時代(昭和11年ー14年)僕は亡父が相撲記者をしていた関
係で旧国技館で大相撲を好く見る機会に恵まれた。記録によれば、旧国技館
の建物の内径は62m、天井の高さは25mとあるが、子供の目にはとても大きく
見えた。内部の周囲には支度部屋の他、飲食店や土産物を売る売店があり、人
ごみを分けて一周するのが大変だった。戦前の本場所は年2回(1月、5月)で、そ
れ以外は花相撲やボクシングなどの催し、菊人形展に使用されたりした。

戦前、この国技館で大相撲が催されたのは昭和19年1月場所までで、戦争の激
化に伴い、建物は軍に工場として接収され、一説には「風船爆弾」を製造していたと
いわれる。このため5月場所と20年1月場所(冬季のため繰り上がって19年11月)
は野外の後楽園球場で行われている。(僕は11月場所を友人と一緒に見ている)

戦前の大相撲と今との違いは土俵だろう。四本柱が撤去されて吊り屋根になった
のは戦後の事。それと打ち出しの時間が今のように夕方6時前後になったのはテレ
ビ放送に併せてからだ。双葉山時代には午後9時打ち出しという日がある。国技館
百年の歴史の中にも色々と変化がある。