先日,夕方のNHKテレビの首都圏ローカル番組を見ていたら「谷根千」の最新情報が
紹介されていた。「谷根千」とは東京の地名、谷中、根岸、千駄木の略で、関東大震
災、東京大空襲があったにもかかわらず、古い街並が一部残っており、数年前から、
若者を中心にブームになっている地域だ。
わが家も明治30年代に「谷根千」の一角、東京府下日暮里大字金杉150に住んで
いた記録が残っている。110年も前の昔のことだ。古文書を調べていたら、遠縁の人
が昭和17年に、その当時のわが家の模様と「谷根千」の様子を回想して書いた一文
が見つかった。
「K家は谷中御院殿下上根岸の音無川のほとりにあり、庭は広く樹木が生い茂り邸内
には池があって、井戸が二つあった。藁葺き屋根ながら風致があり、門前には藤井福
次郎さんという農家があった。家の後方には牧場があって遠く三河島の農村まで望見
できた。夏には音無川で蛍狩りが出来、春には近くの鴬春亭で鴬の会、肴屋では高価
な万年青(おもと)の品評会が催された」
「谷根千」の内、とくに根岸は、明治時代まではJR「鶯谷」の駅名からもわかるように、鴬
のさえずりがする風雅の地で、文人墨客の住いが多かったようだ。徳川の幕臣だった祖
父は明治20年代までは下谷に住んでいたが、32年に根岸に引っ越している。遠縁の書
いたわが家の回想文によると、昭和10年代までは、農家の藤井さんの家は屋根はトタン
張りに替わっていたが、そのままだったという。今はどうなっているのだろうか。一度訪ね
てみよう。
紹介されていた。「谷根千」とは東京の地名、谷中、根岸、千駄木の略で、関東大震
災、東京大空襲があったにもかかわらず、古い街並が一部残っており、数年前から、
若者を中心にブームになっている地域だ。
わが家も明治30年代に「谷根千」の一角、東京府下日暮里大字金杉150に住んで
いた記録が残っている。110年も前の昔のことだ。古文書を調べていたら、遠縁の人
が昭和17年に、その当時のわが家の模様と「谷根千」の様子を回想して書いた一文
が見つかった。
「K家は谷中御院殿下上根岸の音無川のほとりにあり、庭は広く樹木が生い茂り邸内
には池があって、井戸が二つあった。藁葺き屋根ながら風致があり、門前には藤井福
次郎さんという農家があった。家の後方には牧場があって遠く三河島の農村まで望見
できた。夏には音無川で蛍狩りが出来、春には近くの鴬春亭で鴬の会、肴屋では高価
な万年青(おもと)の品評会が催された」
「谷根千」の内、とくに根岸は、明治時代まではJR「鶯谷」の駅名からもわかるように、鴬
のさえずりがする風雅の地で、文人墨客の住いが多かったようだ。徳川の幕臣だった祖
父は明治20年代までは下谷に住んでいたが、32年に根岸に引っ越している。遠縁の書
いたわが家の回想文によると、昭和10年代までは、農家の藤井さんの家は屋根はトタン
張りに替わっていたが、そのままだったという。今はどうなっているのだろうか。一度訪ね
てみよう。