「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

       5月24、25日の東京山の手空襲の頃

2010-05-25 04:55:44 | Weblog
昭和20年5月24,25日、東京の山の手は二日連続してB-29の大群の襲来を受け、
新宿、渋谷、池袋などの繁華街は投下された爆弾、焼夷弾でほとんど壊滅状態に
なった。24日の空襲では762人、25日の空襲では3651人も犠牲者が出ているが、3
月10日の下町大空襲の被害があまりにも多きかったため、東京生まれ、東京育ち
しかも空襲を体験している僕でも当時の空襲の全容はわからない。

24日の深夜、今も住んでいる僕の家の裏の道にもB-29の落とした焼夷弾の破片
が落ちてきて父母と一緒に水をつけた火叩きで消した。幸い大事にはならなかった
が”ザワザワ”という焼夷弾の落下音は今でも耳に残っている。しかし、この夜の空襲
について、僕は自分の住んでいた狭い地域のことしか知らない。いわんや25日の空
襲で大被害が出ていたことなど当時はまったく知らなかった。

亡父の日記によると、この二日間の空襲で東京の電気、交通網などのインフラは完全
に破壊され、6月2日までの12日間、電気の供給はストップ、ラジオも聞けない生活が
続いている。新聞も3日間は発行されず、4日後に四社共同の号外みたいな一枚の新
聞が発行されたが、空襲の被害などもちろん報道されていない。

空襲の被害は実際の体験者しか当時は判らなかった。僕が体験した24日の空襲でも
同じ目区内でも大勢の犠牲者が出ていた。戦没学生の手記「きけわだつみのこえ」
の学徒の一人、住吉胡之吉さん一家6人も犠牲になっていた。戦後この本を読むまで
僕はそのことを知らなかった。体験者が生存している間に、二日間の山の手空襲の全
容を記録として残したいものだ。