105年前(明治38年)5月27,28日は日本海軍がロシアのバルチック艦隊を
日本海海戦で一方的に撃破し、日露戦争の勝利を決定づけた日である。敗
戦までは27日は「海軍記念日」として祝ったが、戦後は大東亜戦争への変
な”罪意識”からか国民の間から忘れかけはじめてきている。
僕らが子どもだった昭和10年代は、日露戦争が終わってまだ40年とは経っ
ていなかったから、周りには従軍した老人も沢山いた。学校でも日露戦争
を扱った教材が多く、今でも"皇国の興廃この一戦にあり”とか”天気晴朗
なれども波高し”といった日本海海戦時の言葉がすらすらと出て来る。東郷
平八郎司令長官や海戦には直接関係はないが、旅順港封鎖作戦で艦内で
不明になった部下(杉野兵曹長)を探そうとして戦死した、軍神、広瀬中佐
の話は文部省唱歌にもなっていて誰でも知っていた。
昨日朝のNHKラジオの”きょうはなんの日”で日本海海戦があった日と紹介
していた。”戦争”について変に敏感なNHKについては珍しいことだが、これ
は多分,司馬遼太郎の「坂の上の雲」の主人公、秋山真之が日本海海戦の先
任参謀として活躍していた話と関係があるのかもしれない。
歴史は正しく伝えられるべきである。若い世代が日本海海戦に改めて関心を
持つことは良いことだ。残念なのは日本海海戦にも匹敵する意義を持つ大東
亜戦争緒戦時のマレー沖海戦の勝利が、今では一顧だにされず忘れさられて
しまったことだ。第二の司馬遼太郎の出現を期待する。
日本海海戦で一方的に撃破し、日露戦争の勝利を決定づけた日である。敗
戦までは27日は「海軍記念日」として祝ったが、戦後は大東亜戦争への変
な”罪意識”からか国民の間から忘れかけはじめてきている。
僕らが子どもだった昭和10年代は、日露戦争が終わってまだ40年とは経っ
ていなかったから、周りには従軍した老人も沢山いた。学校でも日露戦争
を扱った教材が多く、今でも"皇国の興廃この一戦にあり”とか”天気晴朗
なれども波高し”といった日本海海戦時の言葉がすらすらと出て来る。東郷
平八郎司令長官や海戦には直接関係はないが、旅順港封鎖作戦で艦内で
不明になった部下(杉野兵曹長)を探そうとして戦死した、軍神、広瀬中佐
の話は文部省唱歌にもなっていて誰でも知っていた。
昨日朝のNHKラジオの”きょうはなんの日”で日本海海戦があった日と紹介
していた。”戦争”について変に敏感なNHKについては珍しいことだが、これ
は多分,司馬遼太郎の「坂の上の雲」の主人公、秋山真之が日本海海戦の先
任参謀として活躍していた話と関係があるのかもしれない。
歴史は正しく伝えられるべきである。若い世代が日本海海戦に改めて関心を
持つことは良いことだ。残念なのは日本海海戦にも匹敵する意義を持つ大東
亜戦争緒戦時のマレー沖海戦の勝利が、今では一顧だにされず忘れさられて
しまったことだ。第二の司馬遼太郎の出現を期待する。