「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

大東亜戦争と「ブンガワン・ソロ」作詞・作曲・歌手の死(2)

2010-05-22 05:25:43 | Weblog
「ブンガワン・ソロ」はジャワ島一の大河、ソロ川の悠久の流れを歌った叙事詩だが
何故か日本人の心の琴線に触れるものがあったのであろう。戦争中インドネシア各
地に駐留した日本軍兵士のほとんど全員が軍務の合間に、この歌を愛唱していた。
藤山一郎も海軍慰問団員として二回、インドネシアに派遣されいるが、日本の歌の
ほかにいつも「ブンガワン・ソロ」を歌っていたという。

ゲサンも「ビンタン・スラバヤ」という歌劇団の一員として日本軍の慰問に各地を巡業
したが、最後に「ブンガワン・ソロ」を歌うと観客から大きな拍手がわいたと自叙伝の
中で書いている。しかし、一方では日本の軍政を賛美するこんな歌も歌わされた。
              ▽ 八重汐ー南方唱和の歌
                (日本人より原住民へ)
           八重汐の遠つわたつみ 天照らす神の国より
          大みことかしこみまつり みいくさの船を進めて
              はらからとここにつどえり
               (原住民のこれに答えて)
           日の本はアジアの光 すめらぎの大御心を
          おろがめる民草われら みんなみの椰子の島より
              まことば誓いまつらん 

1997年2月、僕は戦争中ソロの侯地事務所に勤務していた知人と一緒にゲサン宅を訪
ねた時、歌の好きな知人が、この「八重汐の歌」を歌うと、ゲサンも”原住民のこれに答
えて”の節を朗々と和した。この知人も数年前亡くなった。もう「八重汐の歌」など知ってい
る日本人もインドネシア人も何人いるだろうか。でも「ブンガワン・ソロ」はゲサンが亡くなっ
た後も両国民によって歌い継がれていこう。ゲサンの「ブンガワン・ソロ」と友情に感謝して
合掌。