昨日は国民の祝日「こどもの日」だったが、僕ら年寄りにとっては、やはり男の子の「端午の節句」の方が懐かしい。戦前は、今のように学校は休みではなかったが、子供心にわくわくする一日であった。東京の空には鯉のぼりが泳ぎ、ほとんどの家で五月人形を飾った。お風呂屋の菖蒲湯も珍しかったし、何より、あまり普段お目にかかれない柏餅や粽(ちまき)が食べられるのが嬉しかった。
端午の節句というと、二つの歌が思い浮かぶ。”柱のキズは一昨年(おととし)の”であ始まる「背くらべ」(海野厚作詞 中山晋平作曲)と「鯉のぼり」(小学校唱歌 弘田竜太郎作曲)の二つだ。どちらも大正12年に世に出ている。90年前の歌だが、いまでも僕はソラで歌えるが、歌詞の中には今の子供には理解できなくっている言葉が多い。
甍の波といっても、東京のような都会では、高層ビルが多く、瓦屋根を探すのが難しい。第一鯉のぼり自体が泳いでいない。住宅構造が変わり、床の間のある家がなくなり、柱のない家ばかりだから、背くらべしたくともキズがつけられない。羽織の紐の長さといっても、日常の生活で和服を着ることがなくなり、羽織といっても解からないし、ましてその紐といっても見たことがない子供が多い。
歳をとった証拠である。少年だった昔の事が懐かしい。銭湯の菖蒲湯で仲間同士でお湯をかけあい、クリカラモンの入れ墨をした大人から怒られたのが、昨日のように思われるのだが、戦争が終わってからでも70年、90年前の童謡の世界が解らなくなったとしても当たり前だ。
端午の節句というと、二つの歌が思い浮かぶ。”柱のキズは一昨年(おととし)の”であ始まる「背くらべ」(海野厚作詞 中山晋平作曲)と「鯉のぼり」(小学校唱歌 弘田竜太郎作曲)の二つだ。どちらも大正12年に世に出ている。90年前の歌だが、いまでも僕はソラで歌えるが、歌詞の中には今の子供には理解できなくっている言葉が多い。
甍の波といっても、東京のような都会では、高層ビルが多く、瓦屋根を探すのが難しい。第一鯉のぼり自体が泳いでいない。住宅構造が変わり、床の間のある家がなくなり、柱のない家ばかりだから、背くらべしたくともキズがつけられない。羽織の紐の長さといっても、日常の生活で和服を着ることがなくなり、羽織といっても解からないし、ましてその紐といっても見たことがない子供が多い。
歳をとった証拠である。少年だった昔の事が懐かしい。銭湯の菖蒲湯で仲間同士でお湯をかけあい、クリカラモンの入れ墨をした大人から怒られたのが、昨日のように思われるのだが、戦争が終わってからでも70年、90年前の童謡の世界が解らなくなったとしても当たり前だ。