「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

要支援 要介護のない旧友たちとの集まり

2014-05-16 06:24:42 | Weblog
一昨日、66年前、旧制中学を一緒に卒業した旧友3人とほぼ3年ぶりに会食した。戦中戦後の厳しかった時代、共に学び共に遊んだ仲である。83歳、84歳の老人たち、久しぶりの話はお互いの病院通いなどの近況になったが、僕を除く3人はみな要支援、要介護の認定のない元気な老人たちだ。杖の世話になっているのは僕一人で、なんとはなく恥ずかしい気持ちにもなった。

幸いにも四人とも伴侶(妻)が元気で年金中心に”まあまあ”の老後の生活を送れているが、悩みは子供たちが、まだ未婚の者が多く、中には孫がいない者もいる。そこで、どうしても孫の自慢話は、お互いを気遣って遠慮することになる。久しぶりなので、話は「集団的自衛権」「靖国参拝」「慰安婦」などについても意見を述べ合ったが、やはり最大の話題は認知症への不安と”終い”の老後生活をどうするかであった。

要支援、要介護でなくとも老人はどうしても外部との接触がなく他人との会話が少なくなる。旧友の一人が”昼間、今頃になると眠くなるが、お前はどうだ”と聞いてきた。昼寝が認知症と関係があるかどうかといった不安かもしれない。老人が昼間眠くなるのは当たり前で、僕も短時間だがウトウトすることが多い。

二時間ばかり楽しい会合だった。店のサービスのビールを飲み、ほろ酔い機嫌で帰宅、ブザーを押したが反応がない。あいにく鍵を持たずに出かけたため完全に締め出されてしまった。多分、留守番の老妻が急用があって出かけたのだろうと思い、近所を散歩して帰宅、再度ブザーを押したら老妻が出てきて、ブザーの音に気が付かなっかという。ラジオをききながらウトウトしていたらしい。老妻も介護1の認定を最近受けたばかりである。年は争えないし勝てない。