また友人の訃報である。49年前の1965年9月30日インドネシアで起きた「クーデター未遂事件」(ゲスタポ)を若かりし頃、現地で取材した時事通信の田口三夫氏(元編集局長)である。78歳。僕は直接、この事件は取材していないが、そのあと事件収拾のため、翌66年3月、スハルト将軍(第二代大統領)がとったスカルノ大統領に対する「権限移譲措置」(スペルスマル)を田口氏と一緒に取材している。田口氏は事件について後に「アジアを変えたクーデーター、インドネシア9.30事件と日本大使」(1984年 時事通信)という本を出版されている。
ゲスタポからスペルスマルに至る事件はインドネシア近代史上大事件であるが、同時に”アジアを変えた大事件”であった。しかし、事件から半世紀近く経つのに、いまだに事件の全容は明らかではない。事件の主役ともいえるスカルノ、スハルト両大統領が亡きあと、永遠に真相の謎は解けないかもしれない。この謎をめぐって最近、日本で二つの本が出版された。「インドネシア9.30クーデターの謎を解く」(草思社 千野境子)と「9.30世界を震撼させた日」(岩波書店 倉沢愛子)である。
千野境子さんの本は産経新聞論説委員長の経歴を持つ著者が、長年の国際記者の体験から、事件の謎を当時の国際情勢から説き起こそうとするもの。著者は事件当時、駐インドネシア大使だった斉藤鎮男氏(故人)からも長時間取材している。一方の倉沢愛子さんは、慶応大学の名誉教授でインドネシア近代史の権威だが、同時に日本軍政時代のスマトラ第25軍防空壕虐殺(虚報)を自著に書いている。
ゲスタポの後、インドネシアでは事件は中国が共産党(PKI)を煽動して起こしたとして、全国規模で共産党とそのシンパ”が狩り”が」起こり、一説には20万人が殺害されたという。当時、インドネシアには日本人記者は二人しかいなかったが、もう一社の朝日新聞記者の報道によれば、ジャワ島を流れるソロ河が血で真っ赤に染まった。倉沢さんの新著は、この虐殺についても、これだけの大虐殺を何故国際社が無視し、問題にしなかったと謎を投げかけている。僕は当時インドネシアにいて、66年、ジャワ、スマトラ、バリだを約1年間、、現地取材した印象では、大虐殺があったにしては、その”あとかけら”も感じられなかったことだ。虐殺がなかったとは言わないが、ソロ河が血に染まるほどの大虐殺はなかったと思うのだが。
ゲスタポからスペルスマルに至る事件はインドネシア近代史上大事件であるが、同時に”アジアを変えた大事件”であった。しかし、事件から半世紀近く経つのに、いまだに事件の全容は明らかではない。事件の主役ともいえるスカルノ、スハルト両大統領が亡きあと、永遠に真相の謎は解けないかもしれない。この謎をめぐって最近、日本で二つの本が出版された。「インドネシア9.30クーデターの謎を解く」(草思社 千野境子)と「9.30世界を震撼させた日」(岩波書店 倉沢愛子)である。
千野境子さんの本は産経新聞論説委員長の経歴を持つ著者が、長年の国際記者の体験から、事件の謎を当時の国際情勢から説き起こそうとするもの。著者は事件当時、駐インドネシア大使だった斉藤鎮男氏(故人)からも長時間取材している。一方の倉沢愛子さんは、慶応大学の名誉教授でインドネシア近代史の権威だが、同時に日本軍政時代のスマトラ第25軍防空壕虐殺(虚報)を自著に書いている。
ゲスタポの後、インドネシアでは事件は中国が共産党(PKI)を煽動して起こしたとして、全国規模で共産党とそのシンパ”が狩り”が」起こり、一説には20万人が殺害されたという。当時、インドネシアには日本人記者は二人しかいなかったが、もう一社の朝日新聞記者の報道によれば、ジャワ島を流れるソロ河が血で真っ赤に染まった。倉沢さんの新著は、この虐殺についても、これだけの大虐殺を何故国際社が無視し、問題にしなかったと謎を投げかけている。僕は当時インドネシアにいて、66年、ジャワ、スマトラ、バリだを約1年間、、現地取材した印象では、大虐殺があったにしては、その”あとかけら”も感じられなかったことだ。虐殺がなかったとは言わないが、ソロ河が血に染まるほどの大虐殺はなかったと思うのだが。