「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

渋谷原宿新宿が壊滅した5月の東京大空襲

2014-05-25 05:21:49 | Weblog
戦争末期の昭和19年11月から敗戦までの8か月間に東京は108回の空襲を受けた、そのうち最後の大空襲は20年5月24日(未明)と25日(夜間)の連続2日間に渡ったもので、この空襲で、渋谷、原宿、新宿などの山の手の市街地は壊滅的な被害が出て、4千人もの方がなくなっている。3月10日の下町大空襲にに比べ、飛来したB-29の数も投下焼夷弾の量も被災地面積も広いのだが、10万人もの死者が出た下町空襲があまりにも悲劇的だったため、70年経った今、次第に忘れられ風化し始めてきている

当時、僕は中学3年生で両親と目黒区に住んでいたが、24日未明の空襲では家の裏の道路に焼夷弾の破片が落ち火叩きで消した事を覚えている。近所にも全焼した家があったが、幸いこの程度の被害ですんだ。が、同じ区内でも中目黒の商店街は全焼、死者も出ている。品川区の学校もコンクリートの校舎を残し木造の校舎は全部焼け落ちた。級友たちのほとんどが、この日の空襲で家を失った。

これに先立ち4月15日の京浜大空襲で僕らの勤労動員先の工場が全焼している。僕はつい最近まで東京の大空襲は3月10日の下町空襲と、この京浜空襲、それに自分が体験した5月24日の3回だけだと思い、25日の空襲については知識がなかった。何故だか調べてみると、23日の空襲で停電になり、わが家は26日までラジオが聞けなかった。新聞も発行できず、在京の新聞社が合同で新聞を出したのも26日であった。そのため都民の多くが空襲の被害については、自分の周囲のみしか知らなかったのだ。米国はこの2回の空襲を最後に東京への大規模な空襲はしていない。そして、とどめをさすように29日、白昼横浜を空襲している。

5月24,25日の東京最後の大空襲は、米国はきちんとした戦術戦略の下で実施し、24日の空襲の後偵察機を飛ばし、被災地域を調べたあと25日の空襲をしている。被災者側は、70年経った今でも、きちんとした公式記録はない。