調べ事があって若い時読んだ「きけわだつみのこえ」(岩波文庫)を再読した。この本は、さきの戦争で亡くなった学徒の手記で戦後すぐの昭和24年に出版された。手記の募集から編纂にあたってフランス文学者の渡辺一夫氏が顧問格で参画しているが、渡辺氏は序文の感想の中で”戦争の事を忘れてケロりとしている人々”や”のんきに政争ばかりしている政治家”そして”戦争中、兵隊さん万歳、と読んでいた今の若い学生”にも読んで貰いたい、と書いている。当時僕は”その今の学生”の世代だったが、無念にも学業半ばで戦没した人々に想いを馳せ、戦争の無情さについて考えたものだ。
しかし、一方では子供ながらに体験した戦争について、僕よりすこし先輩世代である学徒の戦争観が、僕とあまりにかけ離れているのに正直いって驚いた記憶もある。ところが、今回再読してみて、そのわけが解かった。渡辺氏の感想序文にこんな記述があった。”(応募の手記の中には)かなり過激な日本精神主義的、時には戦争を謳歌するのもあった。私これを全部採録するのが「公正」と主張したが、出版部の方々が,現下の社会情勢その他に少しでも悪い影響を与えることがあってはならぬと反対した”。出版時の昭和24年は、連合軍の占領下にあり、検閲制度もあった。
昨年暮病床で読んだ大佛次郎の「帰郷」(昭和23年)の後文だったと思うが、やはり著者は「占領下」を意識し、小説の中では「米国人」の登場を意識的に避け、夜間照明の下でアメリカ人がテニスをやっていたシーンだけだと書いていた。占領下はそういう時代であったのだ。この時代に出版された書籍は、それを考えて読む必要がある気がする。さもないと、戦没学徒兵がみな「わだつみのこえ」になってしまう。
しかし、一方では子供ながらに体験した戦争について、僕よりすこし先輩世代である学徒の戦争観が、僕とあまりにかけ離れているのに正直いって驚いた記憶もある。ところが、今回再読してみて、そのわけが解かった。渡辺氏の感想序文にこんな記述があった。”(応募の手記の中には)かなり過激な日本精神主義的、時には戦争を謳歌するのもあった。私これを全部採録するのが「公正」と主張したが、出版部の方々が,現下の社会情勢その他に少しでも悪い影響を与えることがあってはならぬと反対した”。出版時の昭和24年は、連合軍の占領下にあり、検閲制度もあった。
昨年暮病床で読んだ大佛次郎の「帰郷」(昭和23年)の後文だったと思うが、やはり著者は「占領下」を意識し、小説の中では「米国人」の登場を意識的に避け、夜間照明の下でアメリカ人がテニスをやっていたシーンだけだと書いていた。占領下はそういう時代であったのだ。この時代に出版された書籍は、それを考えて読む必要がある気がする。さもないと、戦没学徒兵がみな「わだつみのこえ」になってしまう。