支那事変が始まった昭和12年、小学校に入学した僕らの世代は、まるで支那事変の”申し子”みたいで、まだ10歳前後の子供だったのに、80年近く前に耳にした”シナ語”の片言や蔑視言葉を憶えている。曰く。”シナ.ポコペン””チャンコロ””ノーテンファイラー””マーラカピー””青竜刀”などなど。それらに混じって”便衣兵”も僕の脳裏にへばりつている。
便衣兵(便衣隊)とは”日中戦争時、平服を着て敵の陣地に潜入し、敵を攪乱した中国人グループ”(広辞苑)とあるが、10歳の子供だった僕が、いまだにこの言葉を憶えているのは、当時の大人たちが中国戦線でのチャンコロ兵の卑劣さに腹を立てていた証拠である。南京陥落の日、僕は学校行事で旗行列に参加したの覚えているが、巷間伝わる”虐殺”については当然聞いていない。便衣兵が”虐殺”の対象だったと聞いたのは戦後相当経ってからの事だが、ありうることだと当時思った記憶がある。
便衣兵について想い出したのは、産経新聞が尖閣諸島の領海や接続水域に出没する中国漁船には海軍民兵が同乗しているという記事(8月17日付け首都圏版1面トップ)を読んでからだ。漁船の出発港である福建省泉州発のこの記事によれば、8月初め尖閣水域に公船20隻と共に押し寄せた400隻の漁船には100人以上の海軍民兵が乗りこんんでいたという。
中国船の今回の尖閣水域の行動は、素人なりの判断では先般の南シナ海での中国主権を認めなかった国際司法裁判所の裁定に対する腹いせの示威だと思うが、たんなる示威ならよいが、漁船に民兵が同乗して武装しているとなれば、間違えば一触即発の危険にもなりかねない。わが国も相応の用意をしておかねばならない。
便衣兵(便衣隊)とは”日中戦争時、平服を着て敵の陣地に潜入し、敵を攪乱した中国人グループ”(広辞苑)とあるが、10歳の子供だった僕が、いまだにこの言葉を憶えているのは、当時の大人たちが中国戦線でのチャンコロ兵の卑劣さに腹を立てていた証拠である。南京陥落の日、僕は学校行事で旗行列に参加したの覚えているが、巷間伝わる”虐殺”については当然聞いていない。便衣兵が”虐殺”の対象だったと聞いたのは戦後相当経ってからの事だが、ありうることだと当時思った記憶がある。
便衣兵について想い出したのは、産経新聞が尖閣諸島の領海や接続水域に出没する中国漁船には海軍民兵が同乗しているという記事(8月17日付け首都圏版1面トップ)を読んでからだ。漁船の出発港である福建省泉州発のこの記事によれば、8月初め尖閣水域に公船20隻と共に押し寄せた400隻の漁船には100人以上の海軍民兵が乗りこんんでいたという。
中国船の今回の尖閣水域の行動は、素人なりの判断では先般の南シナ海での中国主権を認めなかった国際司法裁判所の裁定に対する腹いせの示威だと思うが、たんなる示威ならよいが、漁船に民兵が同乗して武装しているとなれば、間違えば一触即発の危険にもなりかねない。わが国も相応の用意をしておかねばならない。