一昨日、NHKテレビの「思い出のメロディ」を見ていたら、珍しく歌手の山田太郎が”僕のあだ名を知っているか”で始まる「新聞少年」を歌っていた。そのバックには学帽をかぶった小学生の配達少年たちが踊っていた。一時代前までは、日本のどこにででもみられる風景だが、今は見られなくなった。歌詞は、病気で寝ている母親に代って、朝早くから新聞配達する新聞少年の健気さを歌ったもだが、この歌がレり―ズされた昭和40年ごろの日本の社会の一面でもあった。
ネットでブログの材料を渉猟していたら、先日NHKのニュースで報道していた、女子高校生の貧困問題をめぐって若者の間で大騒ぎになっているという、僕もこのニュースをたまたま見ていたが、母親と二人暮らしの高校生が、貧困からPCが買えず、キーボード盤でタイピングの練習をしている、といった内容だった。僕はその時の印象として、高校生の顔出しをしてよいのかと思った程度であった。ところが、今、ネットで問題になっているのは、高校生の部屋にぬいぐるみ人形があり、本当に貧困なのかという違った次元のようだ。
日本の子どもは6人に1人が貧困だとか、貧困格差は先進国中下位から7番目だといった話をよく聞く。政府も、数年前から「子どもの貧困対策会議」を開いているが、あまりその実態が僕には判らない。戦前から戦後にかけて貧困が当たり前のような時代に育ってきた僕らの世代にとっては、毎日、学校給食があり、学校保育が受けられるよい時代だ。途上国では、ストリート.チルドレンがまだ当たり前である。このNHKの番組をめぐって、政府に対策を迫る街頭デモもあったそうだ。子どもたちの間に甘えを醸成する機運がなければよいのだが。
ネットでブログの材料を渉猟していたら、先日NHKのニュースで報道していた、女子高校生の貧困問題をめぐって若者の間で大騒ぎになっているという、僕もこのニュースをたまたま見ていたが、母親と二人暮らしの高校生が、貧困からPCが買えず、キーボード盤でタイピングの練習をしている、といった内容だった。僕はその時の印象として、高校生の顔出しをしてよいのかと思った程度であった。ところが、今、ネットで問題になっているのは、高校生の部屋にぬいぐるみ人形があり、本当に貧困なのかという違った次元のようだ。
日本の子どもは6人に1人が貧困だとか、貧困格差は先進国中下位から7番目だといった話をよく聞く。政府も、数年前から「子どもの貧困対策会議」を開いているが、あまりその実態が僕には判らない。戦前から戦後にかけて貧困が当たり前のような時代に育ってきた僕らの世代にとっては、毎日、学校給食があり、学校保育が受けられるよい時代だ。途上国では、ストリート.チルドレンがまだ当たり前である。このNHKの番組をめぐって、政府に対策を迫る街頭デモもあったそうだ。子どもたちの間に甘えを醸成する機運がなければよいのだが。