「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

卒業70年母校の”ホームカミング.デイ”

2018-03-18 05:44:08 | 2012・1・1
東京に例年より9日も早く桜の開花宣言が出た昨日、母校(旧制中学)攻玉社の”ホームカミング.デイ”に招かれて出席した。母校では12年前から卒業30年、50年の節目の年の卒業生と85歳以上の高齢者をお祝いの会に招待してくれる。昭和23年(1948年)卒業の僕は、ちょうど70年、古希の年にあたる"”ホームカミング.デイ”であった。

母校、攻玉社は歴史は古く、文久3年(1863年)東京芝新銭座(現在の浜松街1丁目)に地に慶応の福沢諭吉と並ぶ明治の教育者、近藤真琴によって創立された。今年で154年目に当たる。創立当初は海軍操練所と呼ばれたこともあり、明治、大正、戦前昭和にかけて,鈴木貫太郎海軍大将(42代総理)を初め海軍の将軍をキラ星のように輩出している。校名は”他山の石以て玉を攻く(みがく)べし”(詩経)から来ている。

僕が卒業した昭和23年は戦後の学制改革の年で、僕は旧制中学を卒業、旧制大学予科に進学したが、級友の中には新制高校3年に横すべりした。そのためか卒業免状は貰っているが、卒業式は行われていない。時代もまだ、町のあちこちに焼跡が残っていた。母校も校舎は空襲で焼け残ったコンクリート三階校舎だけで、それも所どころ破壊されて応急手当が施されたままだった。

僕らが戦争中、教練に励んだ校庭は狭くなったが、1号館から4号館まで校舎が建ち、防空壕のあった場所には室内プールまでできていた。母校の現状報告があったが、70年前には一人しか旧制一高に入学できなかった、今年は13人も東大に入学している。母校の弥栄を祝して、昭和12年卒の最長老(98歳)の音頭で杯を交わしてきた。