「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

曽野綾子さんの記憶違いと思いすごし 自戒

2018-07-19 05:16:52 | 2012・1・1
社会との接点が少なくなってきた老人にとって同世代の作家、曽野綾子さん(87)が産経新聞に連載で書いている随筆「透明な歳月の光」は同じ年寄りが今、何を考え何を感じているのか,参考になり興味深い。しかし、自戒を込めて思うのは、歳をとると、記憶には誤りや思いすごしが出てくることだ。曽野さんの7月18日付け産経新聞所載の「透明な歳月の光」”主食だけを摂取してきた時代”を読んで僕はそう感じた。

曽野さんも僕も戦争中から戦後にかけて、主食のお米が配給制で、成人の割り当てが一日2合3勺(330グラム)だったことを覚えている。曽野さんは、この随筆の中で”13歳の女の子の私にも、(成人と)同じ量(2合3勺)が与えれた”と記憶している書いているが、実際は当時8歳から20歳までの子供は成人より4勺多い2合7勺配給されていた。

曽野さんのあら捜しになるが、”細かい事情をはっきり覚えていないがと断り書きはあるが、戦後の東京では”私の家のように戦前からの古家が空襲で焼け残った場合も、その面積によって、家のない家族を受け入れる義務があったと覚えている”と書かれている。しかし、これは義務であって曽野さんの思いごしだ。僕の家も空襲で焼け残ったが、”面積に応じて”他人に家を貸すことはなかったし、義務感もなかった。

年寄りは昔のことはよく覚えているというが、確かに物忘れが激しくなっても子供時代の記憶は鮮明だ。とくに戦中戦後のあの未曾有の時代を生きてきた世代にとっては格別だ。しかし、加齢によるボケには勝てない。自戒としよう。