「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

未体験 生命に関わるこの記録破りの暑さと恐ろしさ

2018-07-24 05:49:10 | 2012・1・1
戦前、中等学校(旧制中学.高等女学校)の地理の入試問題として、わが国の最高気温はいつ、どこで記録、何度だっか出題されたものだ。正解は1933年(昭和8年)7月25日、山形市、40.8℃である。僕も昔、懸命に記憶した思い出があるが、この記録は戦後、2007年8月、熊谷市で40.09℃を記録するまで65年間、破られずにいた。この熊谷の記録は2013年8月、四万十市(高知県)が41.0℃を記録、破られたが、昨日、再び熊谷市が41.1℃を出し抜き返した。

東京でも昨日、初めて青梅市で40.0℃を突破した。気象庁の観測史上初めてである。これまでの記録は2004年7月の39.5℃であった。遠い記憶になるが、戦前も夏休みには宿題として市販の”夏休みの手帳”が渡され、毎日、その日の気温を記したものだが、当時、暑いと感じる基準は30℃であった。35℃を越えた日はなかった気がする。

ネットに気象庁が作成した日本全国の高温20が載っていたが、やはり、そうだった。20のうち戦前は3か所しかない、残りは戦後、しかもこの30年間の記録であった。ついでに最低気温の記録を見ると、第一位は1923年1月旭川のマイナス41℃であったが、これもまた低温記録は、この30年間が多かった。この二つの間に何か関係があるのだろうか。異常気象なのだろうか。

いずれにしても、これまで体験したことがない暑さである。熱中症など気の緩みだ。昔はエアコンも扇風機もなかったではないかと強がりを言っていた年寄りだが、”生命に関わる”問題として素直に警告を受け入れよう。いまだかって体験したことがないのだから。