安倍晋三総理は9月の自民党総裁選挙に出馬するかどうか、セミしぐれを聞きながら決断するというが、東京のわが家のあたりでは、いまだにセミの声が聞こえてこない。連日の暑さに地上へ出るのを辟易しているのであろうか。そんな暑さの中で、昨日、老妻が庭で打ち水をしていて、駐車場のコンクリートの上で、ごめいている羽化したばかりのアブラゼミを見つけ、そーっと庭木の根元に置いてきたいう。
戦前昭和の10年代、僕の子供の頃は、夏休みが始まった今頃は、東京23区の町中でもアブラゼミの大合唱が始まっていた。梅雨明け前から鳴きだしていた小型のニイニイゼミには、あまり関心を見せなかった子供たちは、一斉にモチ竿を手にして外へ飛び出した。当時、僕が住んでいた目黒川の川プチではいくらでもとれ、僕らは”宝物”とされていたミンミンぜみやオーヒーツクを求めて高台の池田山へ遠征した。皇后陛下の実家があった高級住宅街である。
昭和の終わりの60年代、僕は八王子郊外の集団住宅に住んでいたが、朝晩のセミしぐれの声は忘れられない。住宅は森林を切り拓いた中にあるので、朝晩のひと時聞こえてくるセミしぐれは神々しささえ感じた。平成もすでに30年たつが、あのセミしぐれはまだ残っているのだろうか。
安倍総理は、どこでセミしぐれを聞きながら出馬を決断されるのだろうか。赤坂の国会周辺でもセミしぐれは聞こえるのだろうか。内外多難の時の国のかじ取り役である。慎重に決断をお願いしたい。
戦前昭和の10年代、僕の子供の頃は、夏休みが始まった今頃は、東京23区の町中でもアブラゼミの大合唱が始まっていた。梅雨明け前から鳴きだしていた小型のニイニイゼミには、あまり関心を見せなかった子供たちは、一斉にモチ竿を手にして外へ飛び出した。当時、僕が住んでいた目黒川の川プチではいくらでもとれ、僕らは”宝物”とされていたミンミンぜみやオーヒーツクを求めて高台の池田山へ遠征した。皇后陛下の実家があった高級住宅街である。
昭和の終わりの60年代、僕は八王子郊外の集団住宅に住んでいたが、朝晩のセミしぐれの声は忘れられない。住宅は森林を切り拓いた中にあるので、朝晩のひと時聞こえてくるセミしぐれは神々しささえ感じた。平成もすでに30年たつが、あのセミしぐれはまだ残っているのだろうか。
安倍総理は、どこでセミしぐれを聞きながら出馬を決断されるのだろうか。赤坂の国会周辺でもセミしぐれは聞こえるのだろうか。内外多難の時の国のかじ取り役である。慎重に決断をお願いしたい。