ラジオのAM放送を廃止して2028年までにFM放送に移行したい旨の要望書が民放連(民間放送連盟)から総務省に提出された。有識者会議で検討されるようだが、受理され実現すれば、戦前、戦中、戦後の一時期まで、真空管ラジオでAM放送だけを親しんできた僕ら昭和1ケタ世代にとっては、郷愁を感じ寂しい。
昭和28年(1953年)テレビ放送が開始されるまで、ラジオ(AM放送)は国民の貴重な情報源であり娯楽源であった。”前畑カテカテ”のベルリン五輪(11年)の水泳放送の実況や、戦中の「大本営」発表、敗戦時の天皇陛下の「玉音放送」。そしてまた戦後の焼け跡で聞いた「話の泉」「二十の扉」「鐘の鳴る丘」「赤胴鈴之助」などなどすべてAM放送であった。真空管ラジオ貴重品であった。たいがいの家は茶の間の箪笥の上に置いてあった。大相撲の実況放送時になると、外で遊んでいた僕らは一斉に帰宅して茶の間のラジオの前に座った。
昭和40年代だった頃だっただろか、民間放送を中心に受験生を対象にした深夜放送ブームがあった。しかし、そのあと、カラーテレビが出現。テレビのUHF化が進んで民放業界は、スポンサーが離れ経営的に苦しくなってきた。今回のFM化への動きの原因もこれから来ている。今、僕ら高齢者の間ではNHKの深夜放送「深夜便」が人気だ。これも10年先にはFM放送に移行するのだが、この世にいるかどうかだ。