「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

薄い日本の存在感 ジャカルタのMRT(都市高速鉄道)

2019-04-27 04:17:15 | 2012・1・1

関西在住のインドネシア通の友人から、この4月に日本の全面協力で開通したMRT(都市高速鉄道)のその後につぃて興味ある資料を頂戴した。東洋経済onlineの記事だが、見出しの一部を拾うと””薄い「日本」の存在感”日本の努力はしられているか”とあり、開通式に出席したジョコ大統領が祝辞の中で「日本」という単語を一切使しているのにわなっかとも書いている。

MRTだけではない、日本全体の存在感が昔に比べて薄くなっている感じがする。2011年、僕は小ブログ「80歳のインドネシアの旅 日本人の存在」の中で10日の旅の印象として、かって僕が1966年、特派員としてジャカルタに駐在した当時に比べ、インドネシアでの「日本」の存在が薄くなったと書いている。僕が常駐して当時は、日本からの賠償金引き当てで、インドネシア国内は大きなホテルやデパートが建ったりして「日本」の存在感が強かった。まだ戦後20年ということもあって町では片言の日本語も聞かれた。

2012年にも僕は中部ジャワ中心に10間旅しているが、ジャワの奥地にまで韓国の企業が進出しているのに驚き「日本」の存在を憂えている。半世紀前、僕がジャカルタにいたときは、日本食レスおらんは一軒もなく、常駐日本人はせいぜい数百人であった。今は2万人近くの日本人が常駐している。にもかかわらず。「日本」の存在感が薄いのは何故か。スハルト時代にインドネシアで五輪真弓の「心の友」が大流行した。日本とインドネシアとの外交哲学は”dari  hatii ke hati"(心から心へ)であるが、双方がその原点に立ち戻るべきだ。