「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

88歳老人三人 自由が丘カフェでの食事会

2019-04-05 05:15:24 | 2012・1・1

76年前の昭和18年4月4日、桜満開の中、同じ中学(旧制)の門をくぐった、竹馬の友二人と昨日、同じ桜満開の自由が丘(東京)のカフェ.レストランで昼食を共にした。三人ともすでに88歳の米寿を祝い、誕生日が来れば90歳卒寿である。三人のうち二人は杖の御世話になっているが、元気である。半年ぶりの集まりだったが、お互いの長寿を祝し乾杯した。

三人の合計年齢は264歳、過去の話を語るには事かかないが、やはり話の中心は最近の身辺のことだ。物忘れが日ごとに激しくなってきたこと。耳の聞こえが悪くなってきたこと(三人とも補聴器はつけていない)足腰が弱り、転倒防止に注意していること、漢字がすぐに書けなくなってきたことなどなど。しかし、日常身辺の話が一段落すると、話はやはり戦争期と戦後すぐのあの時代のことだ。

僕らの学年は20年1月、2年の3学期から学徒動員され、軍需工場で働いている。しかも、僕を除く二人は5月の空襲で家を焼失していて、中でもK君はお父さんがサイパンに出征中であった。戦後の23年3月、中学を卒業(一人は24年新制高校)しているが。物のない食料難の時代あったが、救いは戦後復活した中等野球(高校野球)で、K君が母校のエースとして活躍した話だ。いつも会うと同じ話になるが、僕らの中学時代の唯一の楽しかった想い出なのだ。

僕ら三人の長寿の秘訣は何なのか。僕なりに考えてみたら、幸い僕らの健康に留意してくれる伴侶が健在なこと。パソコンでお互いに近況を知り合うことができることではないだろうか。改めて伴侶に感謝。