復活祭の休日の朝、スリランカの大都市コロンボにあるキリスト教会や五つ星のホテルなど8か所が自爆テロに会い、280人が死亡、500人が怪我を負った。犠牲者の中にはホテルで子供をつれ、家族と一緒に朝食をとっていた日本人女性一人が死亡したほか、4人が負傷した。痛ましい事件である。
スリランカでは、10年ほど前まで、国民の7割を占める仏教徒のシンハリとヒンデゥー教のタミールとの間で抗争が続いていたが、日本の仲介もあって鎮まり、治安は回復していた。今回のテロはこの両派の対立の再発ではなく、国民の1割ほどのイスラム教徒の中の過激派が同じく1割ほどのキリスト教徒を狙い撃ちしたテロのようである。
大東亜戦争史を調べている僕は1995年、JICAの研修事業で知り合ったスリランカの友人を訪ねる方がたコロンボへ出かけた。大東亜戦争緒戦の1942年4月、インド洋上の海軍機動部隊の艦上から180機がスリランカ(当時セイロン)の英国インド洋艦隊の司令部があったトリコヌル軍港やコロンボの飛行場を爆撃している。この戦跡と、この空爆の際、撃墜された3人の日本兵を祀った日本人墓地を参拝するのが目的だった。
77年前の日本軍によるコロンボ空襲を知っている日本人はあまりいないのではないか。しかし、一方では他国の宗教間のテロ事件に巻き込まれる時代である。今、日本には仕事を求めて1万人をこすスリランカ人が居住している。一方、スリランカにも千人近くの日本人が長期滞在している。77年の時代の経過を感じる。