東京東池袋の都道で87歳の男性が運転する車が信号を無視して横断歩道を3か所も暴走して母親(31)と幼児(3)をひき殺し7人にケガをさせた。テレビの現場写真を見ると、母親の自転車は大破し、幼児のヘルメットなどが路上に散乱していて痛ましい。男の話だと、運転していた車のアクセルが元に戻らなくなったのだという。僕は車は運転しないが、長い人生生きてきて、さらにアクセルまで踏んで加速させる必要があるのだろうか。
高齢者の運転する交通事故が年々増加社会問題となっている。政府も運転免許証の自主返還や再訓練を実施するなどしているが事故はあとを絶たない。公共交通機関の少ない地方では、車は必要なことは理解できるが、東京ではなくても済むような気はする。しかし、事故を起こした男性は普段足が悪く杖を突いていたという。老夫婦だけの家族構成のようで、同じ杖つき老人として同情できるが。
高齢者の痛ましい事故を知るたびに、僕は30歳(而立)から始まり70歳(従心)で終わる孔子の教えを思い出す。40歳では不惑、50歳では知命そして60歳では耳順だと説いている。耳順とは”何を聞いても素直に理解でき、従心になれば”自分のしたいようにしても人間の法則をこえることがない境地に達する(「慣用句ことわざ辞典」)という。80歳について孔子は何も言っていないが、70歳にして人間の法則を越えない境地に達してなくてはならない。孔子の時代とは違うが、高齢者の車の運転は、人間の法則を越えているのかもしれない。