戦時中のインドネシアの軍政を研究している僕のところに大阪大学のM教授と桃山学院大学のS講師が南セレベス(スラウェシ)の慰安婦について現地調査して、その結果を報告しているがどうなのかと知人から問い合わせがあった。早速、報告書を読ませて貰ったが、お二人が”性奴隷”があったとあげている日本側の資料(1)「南セレベス売淫施設」と、これに基づき戦後の和蘭戦争法廷に提出された(2)「調査報告書」であり、どうもお二人は戦争中のセレベス軍政について疎いようである。
(1)の文書は、戦時中セレベス全島の軍政を担当していた海軍民生部の担当官が、昭和19年、豪北(オーストラリア北部)の戦線からセレベス島に司令部を移してきた陸軍の第二軍の要請にこたえ売淫施設を提示したに過ぎない。若い世代には理解しにくいが、わが国は残念ながら売春は戦後の昭和34年まで公認されていた。当時の軍は戦地においても慰安所を何のためらいもなく設置していた。これは、あくまで売淫施設であって、韓国が主張している性奴隷制度ではないのだ。
お二人の報告書を見て、僕は平成8年、当時名古屋大学の教授だった倉沢愛子教授らがジャワ島のスカブミを中心に、兵補協会の一部と組んでテレビで元慰安婦を募集して大騒ぎになったことを思い起こした、あの時の騒ぎの構図と今回も同じなのだ。変わったのは時代が移り、訴えているのが兵補本人ではなく、その二世になったぐらいだ。
インドネシア政府は同じ平成8年、当時のアジア女性基金からの申し出にこたえ、社会文化大臣名でインドネシアにおける慰安婦問題について見解を発表、戦時中、インドネシアに慰安婦があったかどうかわからないとして、事実上、この問題に幕引きをしている。今回、性奴隷の舞台になっている町は第二軍の集積所があった地で、ここに駐屯していた兵士の記録も残っている。住民との間で何もトラブルはない。当時の日本軍の軍規は厳しく性奴隷的な行為は、この町にかぎらず、ありえない。