「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

戦前昭和の東京の子供の遊び懐古(1)

2019-04-29 05:42:44 | 2012・1・1

4月29日は「昭和の日」の祝日だが、僕ら昭和1ケタ生まれれにとっては昭和天皇がお生れなした「天長節」の呼び方が懐かしい。今日は平成最後の「昭和の日」、平成への惜別を兼ねた昭和の話を書くべきだが、やはり「昭和」それも子供だった戦前昭和の頃の遊びの話になってしまった。

10数年前、僕が戦前昭和の東京の子供の遊びについて書いたワープロのフロッピーが机の片隅にある。ワープロ機器がない今、すぐに全文みられないが、一部が印刷されて残っている。長いが紹介してみよう。

戦前の東京では、子供は年長の子供"ガキ大将”を中心で屋外でいろんな遊びをした。”ガキ大将”が”〇〇遊びする者、この指とまれ”と声をかけるとすぐに数人が集まった。東京の区部でも路地は舗装されず、ところどころ、”原っぱ”と呼んでいた空き地があった。集団での遊びでは”鬼ごっこ”や”隠れん坊”が一番ポピュラーだったが、”下駄隠し”といって、自分のはいていた下駄を相手に探させる遊びだった(まだ子供は下駄や”つっかけ”と呼んでいた木のサンダルをはいていた。”いっさんばらりこ”という遊びもあった。路上に円を描いて区分し、その区分された場所まで、一斉に出かけて競い合うものだった。

戦争時代を反映して”軍隊ごっこ"といって敵味方にわかれて戦争の真似をして、捕虜にされた者は、中国服に似させて洋服裏返し着せられたりした。”カチク、水雷”という遊びも人気があった。これも敵見方に分かれ、双方、一人の艦長を奪い合うものだった。”カチク”(駆逐艦のなまった語)は水雷は勝ち、水雷は戦艦に勝つといった一定のルールがあった。

敵性スポーツといいながらも”ゴロ.ベース”も人気があった。車の少ない路地の道路でテニスの軟式ボールを使った野球で、ベースは一塁と三塁の電信柱を使い、二塁と遊撃(ショート)はなかった。冬には”馬とび”をよくした。じゃんけんして負けになった者が腰をかがめて馬になり、勝った者がその上に乗り、馬が何か演技を注文、例えば「案山子」ができなければ交代する他愛もないものだ。このほかメンコ遊びやベーゴマが盛んだったが別稿にする。(機会をみて女の子の遊びも紹介したい)