「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

「天長節」追憶 御真影 奉安殿 教育勅語

2021-04-29 07:53:35 | 2012・1・1

戦後昭和23年(1948年)まで4月29日は天長節と呼ばれ天皇陛下の誕生日であった。戦前、天長節は皇室の四つの大きな式典、四大節ーの一つとして国家の祝日であった。学校は授業はなかったが、子供たちは式典に参加した。式典は一つの式次第があった。子供たちは校庭か講堂に集められ直立したまま1時間に及ぶ式典参加したが、正直言って苦痛で何人か倒れる者がいた。

式は校長先生がご真影(天皇,皇后両陛下の写眞)と教育勅語(お言葉)を収めた奉安殿から、これを紫の袱紗(ふくさ)に包んで式場まで運ばれてくることから始まり、国旗掲揚、国歌斉唱があり勅語勅語,の朗読、校長説話があった。そして、最後に式典歌「天長節」を合唱した。

♯「天長節」(奥好美作曲 黒川真頼作嗣)◇ 今日の良き日は大君の生まれ給いし良き日なり 今日の良き日のみ光の差しで給いし良き日なり 光あまねき君が代を祝え諸人もろともに

大正から昭和にかけての作家、久米正雄の厳父は明治34年,校長をしていた上田市の小学校が焼け明治天皇のご真影を失った責任を取り割腹自殺している。同じ時代、札幌の山の中の小学校では赴任途中の校長先生が教育勅語を抱えたまま雪中で遭難している。明治17年生まれの亡父は天皇陛下の新聞写真まで神棚に載せ朝晩拝んでいた。あの時代の天長節を多少とも知る日本人も85歳以上の老人だけになった。