「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

         日本人の規律は学ぶべきか?

2008-12-21 07:03:45 | Weblog
昨日、東京のインドネシア大使,ユスフ・アンワール氏の公邸での昼食会に招かれ
出席した。今年は日イ国交樹立50周年に当たり、東京でもいろいろと催しがあり
それに協力した関係者への労をねぎらい、同時に古くから両国の友好親善に尽くし
てきた日本人との旧交を温める意味のパーティだった。

20年近くインドネシア関係の会に出席しているが、昨日のパーティは異色だった。大
使自身が夫人や子息夫妻、お孫さんまで紹介、食事の後にはカラオケで日イの歌を
歌いあうという和やかな催し。このようなパーティはこれまでなかった。

大使によると、子息はオーストラリアの大学を卒業後今、日本で”disipilin"を勉強中だ
という。”disipilin"は英語からの借用語で「規律」といった意味だ。昔、僕が技術研修の
手伝いをしていた時もインドネシア人研修報告にはよく、この「規律」の言葉が書かれて
あった。

パーテイは公邸の広間で行われ、僕ら年よりは,勧められ周囲のソファーに腰かけて
いたが、若い人の中にはソファーを占領、杖をついた高齢の女性がきても席を譲ろうとし
ない人がいた。大使の挨拶の時にも僕らは立ったが、席に座ったままだ。大使が子息
夫妻を「規律」の勉強に日本へ寄越したという言葉があっただけに恥ずかしかった。

パーテイ後、僕ら高齢者が辞去の挨拶をすると、大使は館員に命じてタクシーの手配
をし、玄関まで送ってくれた。本来なら、これをしなければならない日本人関係者は知ら
ぬ顔。長幼の序とか年よりをいたわるのは、日本の美徳であり、道徳律であったはずだ
ったのだが。

          クラシック音楽の効用

2008-12-20 06:24:11 | Weblog
昨夕、東京上野の東京文化会館小ホールへ熊本マリさんのピアノ・リサイタルを
老夫婦で聴きにいった。”歓喜のラテンクリスマス”というのが演奏会のタイトル。
僕ら二人はラテンについてはマドッリドへ観光旅行にいった程度の知識しかなかっ
たが、コルトバとかカタルーニアいった名前だけの地方の音楽をじゅうぶんに楽し
めた。やはりクラシック音楽はよい。

僕ら昭和一ケタ世代には、仕事だけに生甲斐を感じてきた男が多い。一方、女性も
子育てと姑の面倒に追われてきた世代だ。若い時には夫婦そろって音楽会へ行く
機会などなかった。こうして二人で楽しめるようになったのは、僕が仕事をやめ子供
が独立したここ10数年である。

僕の遠い記憶の中に戦後まもなくの頃、上野でオペレッタを見た想い出がある。昭和
20年秋か21年春だったと思うが、この東京文化会館の近くだった。タイトルは「コルネ
ビールの鐘」だったが、内容も出演者の名前も覚えていない。まだ空襲の焼け跡が
残っていた頃だ。そして、まだ少年だった僕が何故聴きにいったのかも定かでない。

わが家はけっして音楽環境には恵まれていなかったが、僕はNHKラジオの日曜日の
朝の「音楽の泉」をいつも聴いた。堀内敬三さんの独特の口調のクラシック音楽の解説
が今でも忘れられない。戦後の混乱期に聴いたクラシック音楽が僕の人生に役立って
いるのは間違いない。

熊本マリさんの演奏会を聴いて改めて長い人生のいっとき、クラシック音楽にしたる喜び
を感じ、その効用を知った。





        国立戦災犠牲者慰霊碑などいらない

2008-12-19 05:25:38 | Weblog
「戦災犠牲者の国立慰霊碑建立を目指す議員の会」が発足した、と新聞が小さく伝えて
いた。会の顧問の安倍元総理は”国の権限で慰霊すべきだ。建立は議員の一つの責任
だ”と述べていた。僕も反対ではないが、その前に”国の権限”でやるべきことが沢山ある
のではー。

戦後生まれを中心に25人の自民党議員が名前を連ねているそうだが、この人たちは”戦
後処理”について不勉強だ。例えば戦後63年も経つのに、海外の激戦地にまだ100万柱
の遺骨が収拾されず、塹壕、防空壕などの戦争の傷跡が残されたままなのをご存知なの
かー。厚労省遺骨収集の3ヵ年事業は今年で終わったので、縮小するらしい。そして一方
では海外の民間慰霊碑整理事業を、こともあろうに日本遺族会(会長古賀誠・自民党選対
委員長)に委託している。

全国の戦災犠牲者を祀った慰霊碑はすでに姫路市にあるそうだ。僕の住む東京にも3月10
日の東京大空襲などの犠牲者を祀った慰霊堂がある。他の被災地にも同じような慰霊碑
があるはずだ。それなのに、なぜ「国立」が必要なのかー。まさか海外の民間慰霊碑のよう
に「国立」以外は整理しようというつもりなのだろうかー。

戦後生まれの政治家が戦争犠牲者に思いをはせるな、ということではない。しかし、この”百
年に一度”という経済危機、もっと他に政治家としてやるべきことがあると思うが。それに戦争
は国民全体がなにかしらの犠牲を蒙っており、河野衆院議長の言葉を逆手にとれば、戦争犠牲
は思いを一つすることは出来ない。


        バナナとバターの品不足は今?

2008-12-18 07:43:55 | Weblog
10月6日の小ブログで”青いバナナ”について書いた。朝バナナ一本に水だけ
飲めばやせられるとの民放番組の影響でスーパーからバナナが消え、青いバ
ナナまで売っていたという内容。あれから2か月、今はどうか。どこの店にも
バナナはうづ高く積まれている。最近の円高なのに、値段は品薄時の高値の
ままだ。

春先にはバターやチーズの乳製品が売り場から消えた。4月25日の小ブログ
は”バターがなくても困らない”と書いた。原因は生産地が生乳あまり現象か
ら酪農家がバターなどの原材料を生産調整したからだという。が、直接の原因
は、大新聞がこれを煽ったという説もある。この騒ぎも今は嘘みたい。全国どこ
へいってもある。ただし値段は高くなり、牛乳まで値上がりしている。


幸い世界的な不況に見舞われているが、今のところ消費者物価は安定してい
る。安定というより今、値上げすれば消費者が買わなくなるからだろう。あの
大騒ぎしたガソリン高も、原油の値下がりで昔の値段に戻ってきた。厳寒地で
の灯油の値段はどうなのだろうか。

師走も押し迫ってきたが、正月用品の値段はどうなのか。値上がりは消費者を
直撃する。マスコミも不用意な報道だけは慎んでもらいたい。不況で職を失った
家庭は正月どころではない。暮になると、恒例のアメ横(東京)風景も今年は僕
でもあまり見たくない。


           職安時代の失業対策

2008-12-17 05:35:07 | Weblog
大手企業の”派遣ぎり”が各地から伝えられる。この師走にきて”首”を切られた
人の中には、住む場所さえ追い出された方もいる。昨日、全国187か所のハロ
ーワークに相談窓口が発足したので舛添労働大臣が東京都内の千住「職業安
定所」(ハローワークの旧名)を視察した。職業安定所がハローワークとおかしな
名前に変わった頃から日本の労働行政は”不安定”になってきた、と僕には思え
るのだが。

昭和24年(1949年)4月、政府は緊急失業支援法を公布し、巷(ちまた)にあふれ
る失業者の救済に乗り出した。当時は戦地や外地からの引揚者が多く、戦後の
復旧前なので仕事がなかった。都会にはまだ焼け跡が残っていた時代なので、政
府はこの失対支援法により焼け跡整理を始めた。その時の日給が240円だったの
で,自蔑をこめて”ニコヨン”と呼ばれたが、この緊急対策で路頭に迷わずにすんだ
人が沢山いた。

大分県の国東市と杵築市にはキャノンの工場と関連工場があるが、今回の不況で
非正規労働者1100人が解雇された。両市とも人口3万人代の小さな町だから、この
キャノンの突然の解雇は大変な出来事だ。大都会とは事情が違う。これに対して、
二つ市がいち早く対策本部を設け、市の臨時職員として道路工事などの仕事を提供
したのは快挙である。

年寄りになると、昔のことがよく見えるのだろうか。”ニコヨン”の頃も両市のように
人と人とに助け合いの心があった。”ハローワーク”と呼びかけあっても助けあいの
心がなければなんにもならない。派遣法などといった悪法は見直すべきである。

         ジングルベルとサンタの煙突

2008-12-16 06:35:55 | Weblog
年々季節感が失われてゆく中で、今年は心なしか「ジングルベル」のメロディが
あまり街から流れてこない。世界的な不景気のせいなのだろうか。その反面、
家庭ののイルミネーションだけは派手になってきた。そんな中で昨日、僕は老人
会のコーラスで思う存分、クリスマスキャロルを歌った。気分はクリスマスだ。

戦前も僕が住んでいた東京でもクリスマスを祝った。サンタクローズが煙突から
入ってきて、枕元に靴下を置くと翌朝、プレゼントが入っていた。家には煙突が
ないのに、どこから入ってくるのか子供心に不思議に思った。わが家だけではな
く当時、東京では西洋の絵に出てくるような屋根の上に煙突がある造りの家など
少なかった。

戦後のある時期まで東京でも工場や銭湯などには煙突が建っていた。そして煤
で顔を真っ黒にした煙突掃除の人がワイヤーブラッシュを肩からさげ自転車で行く
姿を見かけたものだったが、今はその姿はない。考えればCO2をもろに呼吸して健
康に害のある職業であった。

昔、英語の時間で煙突は”chimny"と習った。が、後年途上国の技術研修の世話
をした時、工場の煙突は”stack"が正しいと指摘された。”chimny"だとサンタクロ
ースの連想から夢があるが”stack"では公害そのものだ。1970年代初め頃まで
札幌でも石炭を家庭で使っていて、空がどんより曇っていたのを覚えている。今でも
中国はそうらしいが、京都議定書完全履行への道は遠い。


           認知症は防止できる?

2008-12-15 06:08:11 | Weblog
65年来の”竹馬の友”が東京の私鉄沿線の駅前でドラッグストアを手伝っている。
実家の甥の店だが、薬剤師の免許を待つ彼は週に3回だけ店に出ている。店は
駅前商店街の一角にあり、山の手の下町といった風情が残っていて、いつも人通
りで賑わっている。

商店街は僕の住む町と同じ区内にあるが、老人の姿がめだつ。車イスでくる高齢
者も時々みかける。車イスを押すのも年寄りだ。このあたりは昔ながらの木賃アパ
ートが多く、一人住まいの老人が多いところだという。僕はまだ自転車で買物に来
れるし、友人もレジに立ててボケてはいない。そいう二人でも話題は病気であり特
に認知症のことだ。

NHKテレビの東京ローカル番組で世田谷区の老人たちが体操とPC講習会の結果、
認知症防止に役立っている、と報道していた。薬剤師の友人も高齢者の脳のCTで
明らかに認知症症状が出ていても、積極的に社会参加していれば防止できる。”お
前は大丈夫だよ”と励ましてくれた。

東京ローカルテレビ局のトーク番組で元東京大学教授の評論家など三人が”禁煙、
禁煙とうるさい。大本営みたいだ”と禁煙の社会風潮を批判していた。まだ後期高齢
者には達していない”お年寄り”。大本営発表など知らない世代だ。煙草が健康に害
があり、他人に迷惑をかけているというのに、この連中はまだ理解していないのだ。

ヘビースモーカーだった僕の友人たちは、皆もうこの世にはいない。人それぞれの人生
かもしれないが、勝手に煙草を吸って脳梗塞になったり、認知症になり、他人に迷惑は
かけたくないものだ。






















           暴力教師とその対応

2008-12-14 05:27:08 | Weblog
先週の金曜日,中学1年の男の孫が頭に大きなコブをつくり湿布をあてて帰ってきた。
娘が事情を聞くと授業中に私語して仲間とふざけていたところ、教師が強化プラステ
ィックの棒で次々と4人を殴ったとのこと。その時点では学校からは何も連絡がない。
孫の話では頭を2度打たれた後、保健室で頭を冷やして治療を受けたというから学校
側も知っていたはずだ。

娘夫婦は殴られた場所が頭なので、車で脳神経外科に連れて診断を受けてたところ、
幸い大事ではなく全治1週間ですんだ。娘の連絡で学校側から教頭と担任それに暴力
教師が謝罪にやってきた。対応した老妻は冷静に、なぜ怪我をした後、娘の携帯に連
絡をくれなかったのか。近くに国立の診療所もあるのだから、なぜすぐ診察させなかった
のかを質した。老妻は実妹が事故で頭を打ち、手当てが遅れたのが原因で亡くしている。

瞬間、僕は感情的になった。この学校は前にも教師の暴力があったが、保護者会が内々
にしたことがある。周囲では暴力事件として警察に訴えるべきだ、という意見もあった。し
かし、穏便に解決することにした。ただ学校側に隠蔽があっては困るので教育委員会には
電話で連絡しておいた。

戦争中に中学生だった僕はこの時代ですら、一度も教師から殴られた事はない。学校側は
暴力教師に対して生徒に謝罪させるといっている。これを聞いた娘夫婦は孫に”なぜお前が
殴られたのかを考え、先生に謝罪せよ”と諭していた。その通りだが、逃げて泣き叫ぶ子供
を追っかけて体罰を加えるのは病的である。二度とこんな事がおきない事を切に望むだけだ。

          「変」が必要な自民党

2008-12-13 06:37:13 | Weblog
今年を代表する漢字に「変」が決まった。総理がちょくちょく"変”わったし、景
気が世界的に"変”動し不況になった。米国ではオバマ氏が”change"(改革)
を求めて大統領に当選した。2008年の言葉として「変」は、むべなるかなと僕も
思う。

「変」が今、一番求められているのは自民党ではないかー。昨日の新聞に自民
党の「生活安心保障勉強会」というよく理解できない、新しい議員連盟57人の名
前が載っていた。反麻生の先鋒と目される人物から、安倍元総理まで名を連ね
ている。議員連盟とは何なのか、新派閥なのか勉強会なのか。僕には党内に党
を作る党みたいに見える。

57人を年齢別に調べてみた。1930年生まれが1人、40年代が19人(うち戦前生ま
れ6人)50年代18人、60年代が13人、70年代も6人いる。戦後生まれが50人と圧倒
的に多い。戦後すでに63年も経っている。当たり前といえば当たり前だが。

昨日の小ブログは自民党の”年増議員”の悪口を書いたが、新しい議員連盟の顔
ぶれを見て、改めて議員層が若返っているにもかかわらず、党の政策運営が旧態
依然としていて、若手議員の間に閉塞感があるのではないかと思った。

今年の漢字の「変」は、新しい年にも持ち越されるのか、それとも年内にもう一度「変」
があるのかー。国民は自民党に愛想をつかしている。百年に一度の情勢に対するに
は総選挙しかない。


    "神の声” 煙草税増税を見送った自民党の末路

2008-12-12 07:24:06 | Weblog
禁煙は"神の声”である。ところが自民党税制調査会は昨日、これを見送った。同
じ日、jr東日本は、遅まきながら首都圏200駅のホームを全面禁止にした。喫煙は
健康に悪い事は周知のことだ。煙草税増税は、社会保障費の伸びを抑制する一案
として検討されていた。税調調査会の会長は津島雄二氏(78歳)小委員長は、あの
"女は産む器械”の柳沢伯夫氏(73歳)。まさか加齢で"神の声”が聞こえなくなって
しまったのではあるまい。

増税見送りの理由は"煙草税そのものが減収で、社会保障費抑制の代案にはならな
い(大島里森国対委員長)というのだ。専門家ではないので詳しいことは解らないが、
大島氏は今どき珍しい愛煙家だそうだ。一部の報道では、見送りは"煙草農家への配
慮だ”とあるが、まさかそんな事はあるまい。

ネット情報によると、今平均一箱250円の煙草を300円に値上げすれば、16%、これを
1000円にすれば63%の増収になるという。そして、医療費約8000億が削減できるとい
う。果たして数字どおりに行くとは思わないが、値上げによってかなりの愛煙家が煙草
をやめ、脳梗塞やガンになったりはしない。

津島委員長は、自民党の高齢者議員の中でも上から数えて何番目かだ。いくら能力が
あっても後進に道を譲るべきだ。それとも自民党には人材がいないのだろうか。先日,
小ブログは自民党の”年増議員”を批判したが、津島氏も柳沢氏も”大年増議員”だ。
自民党は"年増議員”が口をだしている限り"神の声”が聞こえなくなり、その末路もみえ
てきたようだ。