「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

          日本の新聞は大丈夫か?

2008-12-11 06:35:32 | Weblog
朝日新聞から”まずは7日間、新しく生まれ変わったわたしたちの気持ちを感じて
ください」と書いた無料購読の葉書が届いた。新しく生まれたかどうかは別として
この新聞の”あなたに知ってほしいことがあるから”という頭ごし、一人よがりな姿勢
が僕は嫌いだ。新しく生まれる以前の紙面はなんだったのか。

今、マスメデイア界も百年に一度の危機に見舞われているそうだ。海の向こうの「ロ
サンゼルスタイムス」など米国の有力紙12を傘下に持つ「トリビューン」(本社シカゴ)
が負債総額約130億㌦(約1兆9600万円)を抱えて経営破綻に陥っている。原因は
ネットの普及による発行部数の減少、広告収入の減少などによるものだという。日本
の新聞界もご多分にもれない。日本の場合はさらに悪く、若い世代を中心に新聞離
れが進んできている。

NHKの「国民生活時間」調査によると、1975年には男性の30歳では、80%が新聞を
読んでいたが、30年後の2005年には30代の僅か29%しか新聞を読んでいない。この
傾向は、ネットの普及で最近はもっと強まっているかもしれない。

高齢者の僕でさえPCのネットを見ていれば、最低限度の情報は得られる。わざわざ新
聞を読まなくともすむ。記事自体もネットに流すためか、意識的に骨子だけの記事にな
っきている。中にはネットの記事を、そのまま記事にしたような体裁の若者向けの新聞も
あるが、果たして採算が取れているのだろうか?

日本の新聞は勉強不足である。PC文化を逆手に取ったらよい。例えばPCのHPやBLOG
を上手に利用した誌面作りなどどうだろうか。まだまだ「活字」に対する魅力は失われていな
いと思うのだがー。



       3億円事件ととサラリーマンの月給

2008-12-10 05:54:56 | Weblog
先日パリのシャンゼリーゼ通りに近い高級宝石店に白昼強盗が押し入り、95億円
(8000万€)相当の宝石を盗んで逃走したという。強盗のうち二人は女装していて
銃や手投げ弾まで用意していた大胆さだ。盗難額はもちろんフランス史上、最高だ
そうだが、外国のことであって、そうは驚かない。

今から40年前の12月10日、東京府中の路上で白昼、現金輸送車が白バイの警官を
装った男に襲われ3億円の現金が盗まれた。この時には、日本人全員が3億円とい
う、とてつもない額にびっくり仰天したものだった。事件は未解決のまま迷宮入りして
いる。もうあれから40年も経ったかのかいう感じだ。

昭和43年という年は、日本で初めての高層ビル、霞ヶ関ビルが建てられた年だ。当時
僕の給料は月、10万円に達していなかった。入社して15年選手だったが。翌44年、新
聞から民放へ転職して10万円の大台に乗ったことを記憶している。

あの時代から40年、日本経済は高度成長を経てバブル時代、そしてそれがはじける時
代を経験した。サラリーマンの給与はどう変わったかー。国税庁の「民間給与実態」によ
ると、民間会社に勤めるサラリーマンの2005年の給与は8年連続ダウンして男女平均で
年間約389万円。これを月給に直すと32万円ほどだ。賞与は昭和47年当時とそう変わら
ないという。

ここへきて、また世界的な不況である。大掛かりなリストラが伝えられ、給与の増額どころ
ではない。また受難の時代である。サラリーマンが気楽な時代は過ぎ去ってしまったのだ
ろうか。

          麻生太郎のパーフォーマンス

2008-12-09 05:33:59 | Weblog
マスコミの世論調査による麻生内閣への支持率がここへきて急落している。小ブログ
は発足以来,終始支持していただけに残念だ。麻生さんは一生懸命やっているようだ
が、すこしパーフォーマンスが多すぎ国民の気持ちがKY(空気が読めない)である。
それでいて知ったかぶりをするからいけない。こんなところに支持率の低下があるので
はないか。

僕らの世代はパーフォーマンスというと、日本を戦争の道に引き込んだ時の総理、東條
英機を想起する。戦争の敗色が濃くなると、彼のパーフォーマンスが目立ちはじめ、夜間
街に出てゴミ箱の中までチェックしたという。国民が贅沢をしているかどうかを直接、自分
の目で調べたかったのだという。麻生さんもことさら庶民色をだそうと、”アキバ”へ行った
り,ホッケの”につけ”や400円のカップ麺を食べたりしているが、もっと腰を落ち着けて欲
しい。

ネットを見ていたら、麻生さんをはじめ戦前生まれの政治家たちを”年増政治家”というの
だそうだ。”年増”とは江戸時代、30過ぎの女性のことを言ったと辞書にかいてある。”年
増”政治家たちは、この”百年に一度”という経済危機に対してあまりにも策がなさすぎる。
2兆円の定額給付金で乗り切れると思っているのだろうか。今、必要なのは、こんな一時
的な国民への”媚”ではなくて、例えば、失業者への仕事の創出など、もっと前向きなもの
ではないのだろうか。

安倍、福田についで”麻生お前もか”にならないよう頑張ってもらいたい。


   12月8日 オランダへの宣戦布告はなかったのに

2008-12-08 05:41:58 | Weblog
昭和16年12月8日といっても大方の日本人にとって今は特別な感動はない。この
日が英米に対して宣戦を布告した日であるのを記憶している日本人は少数派にな
ってしまった。宣戦布告の日の亡父の日記は赤字で大書してこの日のことを欄外
に書き出している。小学校5年生だった僕も子供ながらに”大変なことになった”と
思った。空襲などなかったのに全国に警戒警報が発令された。

宣戦布告は英米だけだったのに、蘭領インド(現インドネシア)の在留邦人は、この
朝いっせいに蘭印官憲によって検挙された。有無を言わせず、中にはパジャマ姿の
まま抑留所にぶち込まれた。蘭印各地から集められた約700人の邦人はいったんジ
ャワに集められ、そこから「クレーメール」号という”奴隷船”に乗せられ、オーストラリ
アの砂漠地帯のラブダイの収容所に送り込まれた。故古池三八勝氏の「抑留日記」
によると、敗戦後の21年2月まで自由を奪われた。

オランダが日本に宣戦を布告してきたのは、12月8日から数日たってからだ。布告も
なしに拘束するのは国際法違反である。にもかかわらず、ある日本人の学者はこの
事実も知らずに、自分の本に日本が12月8日にオランダへ宣戦布告したと書き,今だ
に訂正していない。彼女は別の本で、スマトラの防空壕で日本軍が現地の労務者を
惨殺したと事実無根のことを書き、これも訂正していない。大東亜戦争は遠くなりにけ
りでは済まされない。

          タラカン島の戦争遺跡

2008-12-07 04:47:32 | Weblog
インドネシア研究家の方からタラカン島の戦争遺跡の写真が添付されたメールを頂
いた。内容はインドネシア人の学生が、さきの戦争の際の日本軍のタラカン島の戦
争遺跡を調べているが、誰か当時のことを知っていたら調査に協力を、といった内容
である。

タラカン島は東カリマンタン(ボルネオ)の島で,旧蘭領時代から油田、給油基地とし
て知られている。第二次大戦中は、この油田をめぐって二度も戦闘があった。昭和
17年、戦争の初期、日本軍の進撃の時と、戦争の末期、20年4月からのオーストラ
リア軍を主体とした連合軍の反撃の時である。写真の遺跡は、日本軍の敗走時の
ものと思われる。この戦闘で日本側は1540名の犠牲者(豪州側発表)を出し壊滅した。

タラカン島は今、日本のマリンスポーツ愛好家の間で知られているが、一般には島が
どこにあるのかさえ知られていない。タラカン島に限らず、敗戦直前、連合軍の反撃
にあった激戦地について、日本人はほとんど知識がない。日本本土の空襲で当時の
戦地の負け戦どころではなかったのである。

残念ながら、こういった戦争遺跡につぃては、戦後一部の生還者によって悲劇が伝え
られているだけだ。この世代のかたも今やほとんどの方が鬼籍に入っておられる。さら
に残念なことは、日本の厚労省が、おかしな偏見から生還者や遺族が戦後現地に犠
牲者を偲んで建てた慰霊碑さえ整理しようとしている。戦争遺跡の調査どころではない
のである。南瞑の地には、まだ帰らぬ遺骨が散乱しており、”ダイハツ”が海中に沈ん
だままになっているのに。

            民放も放送自粛を

2008-12-06 04:24:37 | Weblog
家の周囲のクリスマスの電飾が早くも”花盛り”。不況などどこ吹く風だ。電飾の家
は今年はさらに増えてきた。これを見ながら僕は1974年のオイルショックの頃を想い
出した。当時僕は札幌にいたが、国をあげて節電に取り組み,勤務していた民放も
深夜放送を中止した。

NHK教育放送が12月29日、昼の時間帯を含め約13時間放送を中止する。これで1万
7000㌔・ワット・アワー節約になり、約9・4トンCO2制限の効果があるそうだ。数字を
聞いてもすぐには理解出来ないが、NHKが昼間の放送を中止するのは、あのオイル・
ショック以来とのことだ。今回のNHKの措置は地球の温暖化防止の意味からだという。
NHKは温室効果ガス排出量が都内の事業所の中では工場などを除けば上位にある
のだそうだ。

家庭のイルミネーションも厳密なことをいえば、地球の温暖化に組しているのかも知れ
ない。しかし、この暗い世相に対して町を明るくする効果があり、夜道の防犯に役だって
いる。何より道行く人の心を慰めてくれる。

あまり意味のないのは民放の深夜番組だ。放送倫理の規定に反するようなくだらない
僕には害毒と思われる番組やCM規定ぎりぎりの「通販」をやっている。カネ儲けもほど
ほどにしないと世論の反発を買う。深夜放送は自粛すべきである。中止しても誰からも
文句はこない。テレビ離れにもならないと思うがー。

       ジョン・ウエインや力道山と会った時代

2008-12-05 05:19:21 | Weblog
昨日、帝国ホテルでパーテイがあり、久しぶりにあの界隈を歩いてみた。日比谷公園
は昔のまま初冬のたたずまいを見せていたが、僕の青春時代の想い出の地「日活国
際会館」(日活パークビル)は姿を消し,24階建ての「ザ・ぺニュシュラホテル」に変わっ
ていた。

日活国際会館は映画産業が全盛時の昭和27年、戦後初の高層ビル(9階)として建て
られた。まだ数寄屋橋がありNHKのラジオドラマ「君の名」が人気を呼んでいた頃だ。
会館の9階には「日活国際ホテル」があって35年には石原裕次郎と北原三枝が、37年
には美空ひばりと小林旭がここで結婚式を挙げている。当時としては超セレブの会場の
一つだった。

このホテルでの僕の想い出は、確か32年だったと思う。来日中のジョン・ウエインとイン
タービュしたことだ。週刊誌の企画だったが、残念ながら今は、何を聞いたか忘れてしま
った。ただ僕の前に江利ちえみが会っていて、僕はなにか肩身のせまい思いをした記
憶がある。

ちょうどその時代だ。帝国ホテルに宿泊中の外国人プロレスラーがホテル内の宝石店で
強盗を働き、丸の内警察に捕まった。その男が力道山と試合したことを刑事から聞き、日
本橋にあった「リキジム」で力道山から談話を貰った。力道山は意外と背が低く、礼儀正し
い男だった。

あれから半世紀すぎ、ジョン・ウエインも力道山も今は亡く、一緒に仕事をした仲間もほとん
どこの世にはいない。時の流れだ。

         "出稼ぎ”のない幸せな国 日本

2008-12-04 04:42:19 | Weblog
不況の波は在日出稼ぎ外国人を直撃している。群馬県大泉町は外国人の人口比率が
15%と全国一高い町だが、不況で解雇された外国人が10月だけで240人にのぼり、町
では相談所を設け、対策に苦慮しているが再雇用の道は厳しいようだ。僕はテレビで大
泉のことを知ったが、改めて今の日本人はこの国に生まれてよかったと自覚すべきだと
思った。

先月、僕は中東のドバイに一週間旅したが、この国の80%以上は外国人である。この
外国人の中でも圧倒的に多いのが出稼ぎ労働者である。今、ドバイでは日本の企業体
が新交通システム「メトロ」を建設中だが、この工事に41か国から1万4千人に従事して
いる。11月のドバイは比較的気候は凌ぎやすいのだが、砂漠の太陽は厳しい。その炎
天下で多国籍の労働者が汗を流して働いていた。が、日本からの出稼ぎは一人もいな
いようだ。

戦後すぐの日本は貧しかった。一人当たりの国民所得はフィリッピンより低かった。昭和
27年から52年までの35年間に1000人もの農村青年が米国に派遣されている。技術研修
の目的だが、いってみれば出稼ぎであった。30年には西独(当時)の炭鉱技術研修という
名の下で486人が派遣された。これも出稼ぎであった。

現在の日本はどうかー。不況といっても外国へ出稼ぎに行く日本人はいない。国民所得は
1位から19位(2006位)に落ちてしまったが、まだまだ日本には国力がる、幸せな国だ。

          「教育」放棄の校長先生たち

2008-12-02 05:48:18 | Weblog
”仰げば尊し”の時代に育った僕らには、どうも最近の校長先生の考え方、教育方
針を今一つ理解できない。愛知県の私立高校では、不登校歴のある生徒を”教育”
している特殊な学校とのようだが、喫煙生徒のために特別な部屋を用意していたと
いう。なぜ法律を犯してまで、喫煙を容認するのか僕らの常識では考えられない。

高校生の年頃の教育は難しい。僕自身を振り返っても大学の予科(高校3年)の時
には親に隠れて煙草を吸っていたし、旧制中学の時には、やたらと先生に口答えし
て反抗したものだ。しかし、今考えると人間、この時期は誰でもが通ってくる通過点
で、病気の"はしか”みたいなものなのだ。

東京の都立高校では校内暴力事件で退校処分にになった二人の生徒が、反省して
再度受験しなおしたのに、校長の判断で、生徒たちの入試結果が合格ラインを上
回っているのに、結果を改ざんして不合格にしていたという。神奈川県の県立高校
でも先日、受験生徒の服装や髪型で判断して合否を決めていた校長があった。

三人の校長とも事情はそれぞれ異なるが、共通点は"事なかれ"主義だと思う。トラ
ブルメーカーの子供もいて、学校運営に支障がきたすのを嫌い変な妥協をしている
のではないだろうか。「教育」という漢字は、教え育てるという意味だが、三人とも
これを放棄したのに等しい。年寄りが昔のことをいうのはイヤなのだが、昔は"不良”
の生徒の教育に情熱を傾け,生き甲斐にしていた先生もいた。だから"仰げば尊し”
だったのだ。

          前期高齢者と後期高齢者

2008-12-01 05:38:13 | Weblog
毎年12月8日に同期入社の会をやっている。特に開戦記念日とは関係ない。僕らは
「28組」といって昭和28年の入社だが、この年は大学の旧制と新制とが同時に卒業
したこともあって大変な就職難であった。あれから55年、定年退職してからでも20余
年は経つ。みな後期高齢者である。

早生まれで新制卒の僕は同期の中でも一番若く、元気なのでここ数年会の世話役
を買って出ているが、今年はちょっと異変が出てきている。昨日が出欠日の締切り
日だったのだが、出席の返事を寄越した4人が、電話で欠席を申しいれてきた。僕が
思うのには、会に出たい気持ちがあるのだが、身体がいう事をきかないのだろう。

先日、麻生総理が”テレテレ飲み食いして薬を飲んでいるヤツの保険料など払いたく
ない”といったそうだ。僕は総理の言わんとすることはよく解る。朝が明けぬうちに起き
てラジオ体操に励む者と、いまだにタバコを吸つて降圧剤を飲んでいる者とは違う。
総理はそんなところを言いたかったのだろう。

だが、前期高齢者の麻生総理には後期高齢者の”身体”についての理解がたりない
みたいだ。後期高齢者の同じ世代と話し合うと、食事に人一倍、気を使ったり、ジム
通いをしている連中でも75歳を過ぎると、どこか身体に変調をきたす。”テレテレ飲んだ
り食ったり”も出来なくなる。後期高齢者の会は、飲み放題食べ放題の店は避けて
とおる。出来るだけ会費を安く抑え、静かに長居が出来るお店を選ぶ。麻生総理も
”ホッケの煮付け”だけでなく年寄りの精進料理もいかがですかー。