「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

松代大本営跡の朝鮮人慰霊碑と現近代史の見直し

2014-08-11 05:34:36 | Weblog
戦争末期、長野県松代町(当時)に建造された「松代大本営」跡地下壕の入口にある、朝鮮人労務者の慰霊碑の碑文にある(朝鮮人労務者)が”強制的に”動員されたという部分に、碑を管理する長野市がテープを張り、事実上削除したと、新聞にあった。3年前、僕は旧友会に出席したとき、60年ぶりに松代を再訪、象山壕を見学したが、地下壕の入口に、この朝鮮人慰霊碑がまるで”庇を貸して母屋をとられた”ように建っているのを見て異様な感じを覚えた。

「松代大本営」は昭和19年の戦争末期、東條内閣の閣議決定で大本営や政府中枢機能、皇居などを移転するため建設された。少女時代、長野市にいた老妻の話では、半ば公然たる秘密裏に壕の建設は行われ、日本人労務者にまじって大勢の朝鮮人労務者が動員され働いていた。慰霊碑は地下壕の建造中事故で亡くなった朝鮮人を祈念し建てられたものだが、朝鮮人は碑文にあったように”強制的に”動員されてきた人たちばかりではなかった。

松代にはかって、ここで働いていた労務者用に慰安所があったそうだが、一時この場所を”慰安所”として保存する動きもあったそうだ。慰安所は戦時中「産業戦士」用に全国各地に建てられ、松代もその一つにすぎないのだが、あたかも、ここで強制連行された朝鮮人”従軍慰安婦”が働いていた記念館として保存する動きであったようだ。

長野市の今回の”強制”文字削除の決定は正しい。おそらく戦争当時の現地の歴史の見直しで、一部の関係者が主張するような労務者全員が強制連行された人たちではなかったことが判明したのであろう。先日の朝日新聞で”慰安婦”と”挺身隊”との混同を是認していたが、どうも戦後変な自虐史観から
史実を誤って伝えてきた嫌いがある。その意味で長野市の今回の決定は英断である。

インドネシアの慰安婦強制連行を依然認める朝日の釈明特集

2014-08-10 05:15:43 | Weblog
朝日新聞の慰安婦問題についての釈明記事を友人から借りて読んだ。「読者のみなさまへ」という囲み記事を見て驚いた。相変わらず”インドネシアなど日本軍の占領下であった地域では、軍が無理やり連行した資料が確認されている”と書いている。朝日はつい最近の昨年11月28日付け紙面で「慰安婦問題 インドネシア女性証言」という特集記事を紹介しているが、これは朝日の90年代の一連の虚報と同じ手法である。見出しの”インドネシア女性”を”韓国女性”と言い換えれば、まったく同じ報道姿勢である。つまり、きちんとした証拠もない、女性の証言を一方的に紙面に報道している。

小ブログは今年2月3回にわたって、この朝日記事の誤りを指摘したが、かりに朝日が報道するようなことがあれば、戦後の和蘭マカッサル裁判で関係者は逮捕され処分されているが、裁判記録にはない。この女性がいた南セレベス地区は、戦争中海軍の軍政下にあり、軍規も厳しく、女性が”証言”するようなことはありえない。韓国の場合と同じく、証言についての裏付け証拠は全くない。

インドネシアの慰安婦問題は、すでに解決づみである。インドネシア政府は1996年、アジア女性基金からの申し入れに応じて3億6千万円を受け取るに際し声明を発表し(1)この基金はインドネシア側から要求したものではない(2)個々の慰安婦は特定できない―として基金は自国の高齢者福祉施設の建設にあて、2006年この事業も完了している。僕の手元に、インドネシア国章入りのこの回答文書のコピーがある。インドネシア側は1958年の日イ平和条約のウェーバー規定を配慮して、このような形で慰安婦問題に幕を引いた。この点は外交無視の韓国と全く違う。

今回の朝日の記事は、釈明に終始しているが、証拠も上げずインドネシアで日本軍による強制連行があったとしている。朝日は1990年時代はまだ研究が進んでいなかったと、慰安婦と挺身隊との混同を弁解しいる。しかし、インドネシアの慰安婦問題については既に研究が進んでいる。例えば朝日が強制連行の根拠としている戦後の和蘭BC級裁判記録について朝日は目をとおしたことがあるのだろうか。いずれにせよ、すでに日イ両国政府間で解決済みの問題を変に煽動して何の意味があるのだろうか。

「源来軒」のラーメン考

2014-08-09 05:49:27 | Weblog
敗戦の年の亡父の日記を調べていたら、あの連日の空襲下、食料難の時代なのに”呑兵衛”の亡父は、ほとんど毎日のように勤務先(東京・虎ノ門)近くの「源来軒」でビールを飲んでいる。当時、東京では「国民酒場」制度があり、指定された飲食店は夕刻、一定の量のビールやウィスキー、焼酎などをお客に提供していたようだ。亡父はその情報を求めて時には渋谷の「ミューヘン」にまで遠征したが”抽選”ではずれ、すごすごと帰宅することもあった。

「源来軒」は名前から中華料理店だが、肝心の料理は提供していなかったようだ。僕は「源来軒」の名前をどこかで聞いたことがあるみたいなので改めて調べてみたら、その昔昭和45年頃、郡山のテレビ局勤務時、何回か出張した喜多方駅前の中華料理店を想い出した。当時、喜多方は”ラーメンの街”と知られる前で市内にはラーメン店はほとんどなかった。しかし「源来軒」のラーメンは抜群に美味かった。半世紀近く経っても、まだその名前を憶えているほど美味であった。

「源来軒」の名前は喜多方だけでなく全国各地にある。遠い記憶だが60年前、神田方面の警察署周りをしていた駆け出し記者時代食べた神保町のラーメン屋も「源来軒」だったのを想い出した。改めて、ネットで,この神田「源来軒」を調べてみると、明治大正時代、神保町界隈が中国からの留学生で賑わって時代からの老舗のようだった。その頃、神保町の今の「すずらん通り」や「さくら通り」には留学生相手の中国料理店があり、今でもその名残が若干残っている。

神保町と中国との関係の歴史は、その老舗の一つ「新世界飯店」の傳健児社長のHP「Kandaアーカイビ」に詳しいが、当時の神保町界隈には孫文や周恩来など歴史上の人物も足跡をのこしている。神田の「源来軒」はつい最近まで開店、通の間で知られていたが、最近閉店したようで残念だが、その流れを組む「源来酒家」がある。喜多方の「源来軒」はHPによると、当主の祖父が大正時代に開店したようである。なぜ喜多方に来たのか、なぜ「源来軒」と命名したのかは不明である。一中華料理店の名前だけでも色々歴史があるものだ。

公明党山口代表の「靖国」めぐる尊大な発言

2014-08-08 05:44:21 | Weblog
公明党の山口那津男代表が原爆記念日の8月6日、広島での記者会見で”阿部総理は非常に意味のある日に靖国神社に参拝すべきではない。外交的に新たな問題を起こすべきではない”と総理の靖国参拝に自制を求めた。8月15日は、日本が戦争に負けた日であり”非常に意義のある日”点では、山口代表と同じ意見だが、外国からの不当な干渉がら参拝をやめろ、と総理に迫るのは尊大しすぎる。山口代表はかって、安倍総理を「馬」にたとえ、中国の諺を引用して”快馬は鞭影を見るや正路につく”と発言しているが、一国の総理を「馬」にたとえるのは失礼である。与党を組む政党の代表の発言ではない。

8月15日の終戦記念日の頃になると、毎年総理や閣僚の靖国神社参拝の是非をめぐってマスコミが騒ぎだす。僕はかってこの拙ブログで書いているように敗戦記念日のこの日に政治家がことさら〝徒党”を組んで神社に参殿する必要はないと思っている。国としては毎年、天皇皇后両陛下臨席の下、総理以下の閣僚も参席して全国戦没者慰霊祭を開催してる。靖国神社参拝は個人の心の問題であって国の行事ではない。

調べてみると、終戦から69年になるが歴代の総理のうち14人が靖国神社を参拝しているが、そうち8月15日に参拝しているのは歴代総理のうち,三木武夫、福田赳夫、鈴木善幸、中曽根康弘氏の4人だけでその回数は9回だけである。残りの10人は吉田茂氏をはじめ8月15日ではなく靖国神社の春秋例大祭を中心に参拝している。

総理の靖国参拝が今のように政治問題化してきたのは昭和60年の中曽根総理の時からである。この時まで総理が靖国神社に参拝してもあまり大きく取り上げなかった朝日新聞が、急に中曽根総理の”公式参拝”にかみつき大キャンペーンを展開してからだ。そして、これに呼応するように中国、韓国が批判を強めてきた。この結果、中曽根総理も靖国参拝を中止してしまった。山口代表の言うように8月15日は、日本人にとって敗戦という意義ある日には違いないが、総理の靖国参拝の日と特定されているわけではない。この時期に山口代表がこのような発言するのは不適切である。


朝日が捏造した慰安婦問題―その虚報と誤報の軌跡

2014-08-07 06:52:23 | Weblog
僕の手元に標題のような冊子がある。自由主義史観研究会が2009年に発行したもので定価200円送料別)自由主義史観研究会=〒112-0005東京都文京区水道2-5-1-203 電話03-5800-8515 メール staff@jiyuu-shikan.org

慰安婦問題について「史実を世界に発信する会」(検索)の一連の日本語、英文の資料が大変参考になる。

「慰安婦」問題の”バイブル”ともいえる「慰安婦と戦場の性」(秦郁彦 新潮選書)を読んだ上で、朝日の特集を読んでください。いかに朝日の愚劣さ卑怯さ、ズルさ、コソクさ、いい加減さ、不誠実さ(前記、自由主義史観研究会冊子後書き)が理解できる。

朝日の「慰安婦」記事訂正と河野洋平氏

2014-08-07 05:53:15 | Weblog
朝日新聞が8月5日付け紙面で慰安婦問題について特集を組み、その中で過去の一部報道に誤りがあったと認めた。過ちを認めたのは同紙が1990年代に繰り返し報じた、韓国済州島での日本軍による慰安婦強制連行をめぐる一連の記事である。”過ちは改めるに憚るこなし”(論語学而)というが、この訂正はいかにも遅きに失しており、このため、わが国が蒙った損害は大きすぎる。

1995年(平成5年)当時の官房長官、河野洋平氏が、この朝日報道を真に受けて、韓国政府向けの談話を発表したのはご存知の通りである。済州島で慰安婦連行があったというのは、戦争中山口県労務報告会下関支部動員部長だった吉田清治氏の証言によるものだが、そんな事実は全くなった。その後、河野談話は、一方的に韓国ペースで拡大解釈され、あたかも日本軍がアジア各地で女性を”性奴隷”にしたかのように報道された。国連の場でさえ、日本は批判の矢面に立たされた。

朝日の”訂正”報道を受けて自民党の石破茂氏が”真実が何かを明らかにしなければ平和も友好もない”として、朝日新聞の関係者を国会に呼んで話を聞きたいといった。当然の話である。朝日関係者だけではなく、河野洋平氏も呼ぶべきである。自民党は河野氏の国会喚問には積極的ではないらしいが、これだけ国益と国の名誉を損じた政治家である。”過ちて改めざる、これを過ちという”(論語衛霊公)。

河野洋平氏の実父一郎氏は政治家になる前に朝日新聞の記者であった。洋平氏の従兄で、かって「新自由クラブ」の盟友であった田川誠一氏も朝日新聞の政治部の記者であった。今回の朝日の”訂正”とは直接関係のない話だが、洋平氏の心のどこかに朝日への信頼感みたいなものがあったかもしれない。

東京高級住宅街にも”シャッター・ダウン”店

2014-08-06 05:38:07 | Weblog
東京でも指折りの高級住宅街を控えるわが町の商店街で異変が起きている。今月いっぱいで30年の歴史をもつデパート系のスーパーが店を閉じる。大通りに面した高級チョコレート店は閉店後数か月経つがシャッターが降りたまま借り手がない。半世紀以上に渡って大学正門前にあった老舗のパン屋もいつの間にか店を閉じてしまった。景気とは無関係と思うが、この地は私鉄駅構内に電鉄系のスーパ―と”肉の安売り”店。さらに歩いて行ける距離内に7階建ての大手ス―パーともう一つの大型店がある激戦地だ。さらに僕が思うのにはやはり最近林立気味のミニ・スーパーの影響が大きいのではないだろうか。

先日、膝の定期診断のため近くの別の私鉄沿線の商店街に立ち寄った。こちらの商店街は昔からわが町より庶民的だったが、やはり駅前開発で電鉄系ス―パーが進出して人通りは減っていた。しかし、わが町ほどではない。病院に付き添ってきた老妻がベトナムの蓮茶が買いたいというので、コーヒ―など輸入食品を取り扱っているチェーン店に立ち寄ったところ、店頭で無料で冷やしコーヒーのサービス。所望の蓮茶がないと、本店に問い合わせて取り寄せてくれた。この店だけではない。はす向かいの食肉店では、店内でかき氷のサービスまであった。

わが町の商店街は決して立地条件が悪いわけではない。閉店したチョコレート店隣の和菓子屋店では、炎天下かき氷を求めて行列ができているし、その近くの、串カツを売り物にしている大阪の店は週末になると、狭い店内は家族連れで賑わっている。外国輸入コーヒーを扱っている専門店は、わが町にはないが両隣の繁華街の駅にもあって人気スポットになっているそうだ。消費者の嗜好の多様化で商売も難しくなってきているが、繫盛の原点はやはりサービスのようである。

”黒ん坊"が一杯だった戦後すぐの逗子海岸

2014-08-05 05:54:18 | Weblog
このところ首都圏は連日30℃をこす真夏日が続き、まさに夏本番だが、80代半ばに近い老人は、熱中症を避け、ただただ家に引きこもりテレビを見るだけだ。そのテレビの画面に昭和20年代後半とみられる湘南の海が紹介されていた。海浜一杯人また人で”芋を洗うような”混雑ぶりだ。この時代に青春時代を送った僕にとっては懐かしい風景だ。

その湘南の逗子海岸に今年は異変が起きているという。ここ数年逗子海岸は海の家を中心に”クラブ”化が進み、近隣住民から騒音やモラルの低下について苦情が殺到、これを受けて地元の市議会は、今年から市条例を作り、その取締りを始めた。その結果なのであろうか。7月終りまでに逗子海岸を訪れた海水浴は激減し、海の家などの売り上げは昨年までに比べて2割程度だという。

僕は戦後すぐの時代、知人が海の家を経営していた関係から、ちょくちょく東京から満員電車にのって逗子へ泳ぎに行った。当時の逗子海岸は、浜の中心にあった「逗子ホテル」から浪子不動にかけての海岸は、ロープが張られ進駐軍専用で日本人は泳げなかった。そのためだったのであろうか、海岸はテレビの画面で見たような混雑ではなかった。僕らは家から持参した、おにぎりを食べ、水筒のお茶を飲み、ひたすら泳いだ。

砂浜には若い男女が暑い太陽の下、甲羅干しをしていた。あの時代は夏の終わりになると、日焼けした身体を競う”黒ん坊”コンテストが催されたものだった。しかし、いつごろからか日焼けは皮膚がんの原因ということで海水浴客は,陽止めクリームを使用することになった。時代が変わり”太陽の季節”は終わり、”月光の季節”に変わり、砂浜は泳ぐ場所ではなくなっていた。逗子市議会のとった措置は正しい。地元の関係者は海水浴の原点に戻って健康な浜を復活させたらよい。

「ハラル」(イスラム食)体験観光旅行

2014-08-04 05:21:52 | Weblog
旅行会社大手のJTBが毎月老妻宛てに国内外の観光冊子「たびものがたり」を送ってくる。冊子の表紙の装幀が、その昔子供だった時読んだ「講談社の絵本」に似ており、その郷愁からか特別旅行予定のない僕までついつい目を通してしまうが、日本人の最近の観光趣向が理解出来、参考になる。

8月号に「来て!見て!体感!」マレーシア文化と「ハラル」を知る5日間という案内があった。「ハラル」とは、アラビア語で”許された”という意味で、一般には回教徒が教義上許された食材を使用した食品のことを言う。案内をみると、首都クアラルンプールと観光地マラッカを巡りながら「ハラル」食材のチョコレート工場を見学、マレー人の村で実際に「ハラル」食を体験するコースである。

ここ数年の日本への観光ブームで、アジアのイスラム圏からの観光客が増えてきて、日本の旅行関係者の間でも「ハラル」に関心が払われるようになってきた。その昔、僕がJICA(国際協力事業団)の研修事業の手伝いをしていた頃は、日本国内の一流ホテルでも「ハラル」食は、特に事前に頼まないかぎり食べられなかった。一般の日本人の間では、せいぜい回教徒は豚肉は食べないといった知識しかなかった。

イスラム圏の中でもアラビア諸国、アジアではバングラデシュ、マレーシアが「ハラル」に厳しい感じだ。世界各国料理が集まる東京では「ハラル」を売り物にしているマレーシア中華料理店「Malaychan」が東池袋にあるwww.malaychan-satu.jp/そのHPによると、「ハラル」認定の肉骨茶(バクテー)使った麺料理が中心のようである。僕はシンガポール滞在中はいつもマレー・カンポン(マレー人村)近くのホーカセンター(露店)で肉骨茶を使った麺を食べていた。美味しい。一度食べに行ってみよう。

南京ユース五輪と中国の政治戦略

2014-08-03 05:36:53 | Weblog
第二回夏季ユース五輪が8月16日から28日まで中国の南京で開催されるそうだが(僕は寡聞にして知らなかった)これを前にJOC(日本オリンピック委員会)が監督会議で、参加する選手に対して(1)日中の歴史的背景を考慮して「JAPAN」のユニホームで外を歩くのは、必ずしも安全ではない。私服で歩いてもよい(2)現地の大気汚染対策としてPM2・5にも対応できるマスクを持ってゆくこと―を指示したという。そこまでして五輪に参加する意義があるのかと思いたくもなるが、IOCは前もって南京が開催地として適格かどうか五輪なみに審議したのであろうか。

ユース五輪は2007年、ジャック・ロゲIOC会長の提案で開催が決まったもので、第一回大会は2010年シンガポールで開催されている。世界の14歳から18歳までのユースが対象で、第一回大会には、世界から男女3600人が参加している。しかし、僕の記憶にはない。調べてみると、日本はこの大会で陸上は女子バイアスロンで一つ、ほかに体操、レスリング、卓球、柔道で計金メダル7個を獲得している。しかし、あまり人気種目でなかったせいか国内のマスコミは、大きく扱わなかったのではないか。

ユース五輪と銘打つており、選手にとっては次期五輪の登竜門的な大会である。また、日本にとっては2020年東京五輪の試金石だが、僕のみる限り今のところ、あまり南京ユース五輪の事は話題になっていない。この南京ユース五輪に参加する選手は当然、東京五輪の主力になると思うのだが、もっとマスコミも騒いでもよいのではないだろうか。

中国にとっては大きな宣伝の場である。205地域と国から5806人が参加する予定で、習近平国家主席が開会宣言をする。まさか、この場を政治利用して”南京虐殺”を喧伝するとは思わないが、つい最近もドイツで外交儀礼に反して、実際にあったかどうか不明な70年前の”虐殺”に触れて日本を非難している。南京には「虐殺記念館」がり、無料で観光客に開放されている。 今、南京は暑さがピークで、大気汚染も収まっていない。事故が起きなければよいのだが。