「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

ダブル台風 災難の「十方暮」の季節

2018-08-21 05:09:31 | 2012・1・1
19,20号と二つの大型”ダブル”台風が本土に接近、奄美、屋久、南九州はすでに19号の影響を受けて暴風雨圏内に入っている。20号も今週末には日本列島のどこかへ上陸するとの気象庁の予報が出ている。長い列島という地勢上の関係もあって、夏の終わりから秋の初めにかけてのこの季節、暦の上では「十方暮」(じゅうほうくれ)と嫌われている。「十方暮」とは、干支の組み合せによって”天地の気運が相克し、空はどんよりと曇り、何をやってもダメな日”だと運勢暦にある。今年は8月20日から29日が「十方暮」に当たる。

今年の日本列島は異常の暑さと集中豪雨に見舞われたが、敗戦の昭和20年も異常な気候だった。「十方暮」がいつだったか記録はないが、亡父の日記にっよると、戦争によって中止されていた、ラジオの天気予報が敗戦の日から1週間後の22日、復活したが、偶然にもこの日から東京は”驟雨”の空模様の日が続く。電力不足による停電でラジオも聞けなかったが、台風の影響をうけていたのだろう。26日の日記には”敵の厚木,横須賀侵駐、台風によって2日のびるとある。明らかに「十方暮」の運勢下の空模様だ。

敗戦の年は、異常気象で運勢の悪かった年であった。二百十日は無事すぎたが、9月16日、鹿児島の枕崎に上陸した大型台風が列島を横断、原爆を投下された直後の広島を中心に5千人もの犠牲者が出ている。二十一世紀の現在、運勢暦など信じないが、先人たちが経験から生み出した知恵だ。注意するに越したことはない。



昔「藪入り」 今LCC(海外格安航空旅行)

2018-08-20 06:07:49 | 2012・1・1
テレビの画面でお盆の休み明けでで海外の観光地から一斉に帰国する若者や家族づれの姿が紹介されていた。ここ10年近く、この姿はこの時季の風物化してきた。首都圏の空の窓口の一つ成田空港では、お盆休み10間で空港を利用した人数は100万人に近いそうだ。増加の原因の一つは海外のLCC(海外格安旅行)航空機の乗り入れが増え、その利用者の増加だという。

二人の年齢併せて170歳の老夫婦は、すでにパスポートの有効期限も切れ、海外旅行へは行けない。ただただ来し方の二人がまだ若かかった時代の想い出に耽るだけだ。子供たちが幼かったころは、東京近郊の格安の民宿の温泉へ一泊旅行したこと。現役を去ったが、まだ足腰がしっかりしていた60歳代には、二度もヨーロッパ旅行を楽しんだこと。マラッカ海峡をフェリーで渡り、スマトラのトバ湖をモーターボートで走りまわったこと。etc.

そんな老夫婦の会話の中で、戦前の藪入りの話が出てきた。藪入りとは戦前,商家などで住み込み奉公が多かったころ旧正月と旧7月のお盆の頃、奉公人が休みを貰って実家へ帰ったりする制度だった。僕の遠い記憶の中にも浅草六区の映画街が藪入りで込み合っていた想い出がある 。

"働き改革”で、藪入り制度があろうものなら、即座に摘発されてしまう。大学生の孫もアルバイトで稼いだカネでLCC使い海外旅行できる時代だ。僕ら夫婦が初めて遊びで海外旅行に出かけたのは60歳を過ぎてからだった。今は恵まれた時代である。

戦争を知らない世代への「戦争」の伝え方

2018-08-19 08:58:19 | 2012・1・1
先日の小ブログ「飛び入り語り部」(8月17日)について、コメンテーターのLordyupaさんから「音声画像付き記録を」という有益な一言を頂戴した。ご提案は”文章だけでなくスマホなど音声画面を個人的に記録、保存できる時代だから、ぜひともデジタル化して貰いたいというのだ。残念ながら、87歳のこの歳では技術的にできないのだが、戦争を知らない世代へ戦争を正しく伝える私案を述べてみたい。

昭和17年2月シンガポール戦が終わって英国軍が降伏文書に調印したブキティマのフォード工場跡は、今、戦争博物館になっているが、事前に頼めば、日本軍のマレー半島電撃作戦から往時の昭南(シンガポール)を撮影した日本映画社のニュース映画などを見せてくれる。しかし、日本では戦時中の映画を見ることは一般的には難しい。日映アーカイブには戦時中の貴重なフィルムがあると聞く。また、メナドの海軍落下傘部隊降下を題材にした日本初の長編アニメ映画「桃太郎の海鷲」(昭和18年)も残っている。

戦争体験者世代が「学童疎開」組が中心と中心となり、やがて直接戦争を体験した語り部もいなくなる。それに戦後世代は僕らと違って進んだ視聴覚教育を受けている。「聴」が中心の今の戦争体験催事では十分でない気がする。テレビを見ていると、戦後世代が聞き伝えの戦争を体験談のように話をし始めている。戦時中の映画や音楽は戦意を高揚し、戦争につながるとして敬遠、禁止する風潮がある。しかし、映画は当時の記録である。その映画でさえ、内容が理解できなくなってきたかもしれない。

先日、品川歴史館で感じたことは、平日の猛暑の昼間とあって参加者が少なかったのは残念だった。「戦争」をもっと広く多くの人に伝えるには、例えば、「桃太郎の海鷲」などを上映すれば、若いアニメ世代にも「戦争」への関心が集まるのではないだろうか。風化するよりは良い。

政治が先行して失敗した1962年ジャカルタ.アジア大会

2018-08-18 06:46:08 | 2012・1・1
第18回アジア大会が今日18日からインドネシアアの首都ジャカルタを中心に始まる。1962年の前回(第4回)の直後、アジア大会のプレス宿舎(ウイスマ.ワルタ)に1年間特派員として滞在した僕には、あの時代がいとおしく想い出されてくる。今回でもメイン会場に使用されるスナヤン会場は当時の大統領スカルノの権力の象徴でもあり、街にはベンツの高級車がタクシーで走っていた。

しかし、この大会は結果的には政治がスポーツに先行して失敗であった。スカルノは開催前に中国とアラブ諸国への配慮から国府(台湾)とイスラエルの選手に入国ビザを発行しなかった。この結果、参加国は17か国1527人にすぎなかった。IOC(国際オリンピック委員会)の反発を買うと翌63年11月、中国を抱き込んンで新興国だけの大会(GANEFO)を開催した。日本は64年の東京五輪のを前に苦慮したが、友好国インドネシアを配慮して、両大会に参加したが、当時の津島寿一JOC(日本オリンピック)は責任をとり辞任している。

政治が先行し赤字だけを残した前回の大会だったが、マスメデイアの露出度は大きかった。今回は45か国が参加、400種目の競技が行われるが、報道はスポーツ面だけだ。バドミントンもサッカーも前回大会では日本はマイナー競技だったが、今回は金メダルの候補だ。しかし、前回は金メダル73、銀メダル56、銅メダル23と各種目にわたって独占したが、今回はそうはいかない。それでよいのだが、まだ政治を持ち込んで統一旗に他国の領土を書き込んで行進する国があるのは時代遅れで嘆かわしい。

”飛び入りの語りべ” 品川歴史館の戦争記憶展

2018-08-17 11:10:38 | 2012・1・1
昨日、東京の品川歴史館で開催中の「モノが語るあの日の記憶展」に知り合いから誘われ,飛び入り”で、僕の故郷、品川での戦争体験の話をしてきた。知り合いは戦後のオランダ.バリックパパン(インドネシア)軍事裁判で刑死されたIさんの長女Yさん(77)で、この記憶展で「機銃掃射と父のこと」を話すため、僕に傍聴を誘ってきた。

品川(区)は、僕が生れ故郷で、戦争による建物強制疎開で去るまでの14年間住んでいた。直接、空襲体験はないが、中学2年の少年なのに軍需工場で働いたその経験や、何か役に立てばと思い、父が残した警戒警報、空襲警報発令、解除時間をいちいち赤字した日記帳を持参して、Yさんの時間を少し頂戴して話をした。

品川歴史館で頂いたパンフによれば、この催しは副題に”学童疎開75年.終戦75年記念75年記念先行特別企画”と書かれてあるが、主催者は本来2020年に開催を予定していたが、東京五輪の年なので73年の今年、先行開催されることになった。会に出席させて頂き、僕が一つ感じたのは、10年ほど前は戦地で直接戦った従軍世代の体験談もあったが、今は学童疎開の世代の体験談が中心である。やがて、戦争体験者がいなくなる時代がやってくるが、戦争を風化させないためには、こういった催しは必要だ。

品川歴史館のこの催しは8月19日まで開催され、体験談や講演、映画なども上映される。入場無料。問い合わせは 090-3918-1155

11年前、靖国神社で”晋ちゃん”饅頭が売れ残っていた頃

2018-08-16 07:46:53 | 2012・1・1
73回目の終戦記念日の追悼記念”式典が昨日,九段の武道館で天皇.皇后両陛下臨席の下で開催され、安倍晋三総理は”戦争の惨禍を二度と繰り返さない“と挨拶、参加者一同は戦没者に1分間の黙祷を捧げた。総理はこれに先立ち、千鳥が淵の戦没者墓苑にも詣で献花したが、靖国神社へは自民党総裁名私費で玉串を奉納した。

安倍総理は2006年発足に当たって総理の靖国参拝を公約にしていたが、実現せず、そのためもあってか、07年8月21日のにの小ブログは「賞味切れの晋ちゃん饅頭」という題で内閣支持率が26.0%に急激にダウン、逆に不支持が64.4%と急増している(産経FNN調査)と紹介、同時に作家曽野綾子さんが随筆で靖国神社の土産店で”晋ちゃん饅頭”が山積されていたという一文も紹介、安倍内閣が”賞味きれ”にきていると皮肉っている。

当時の安倍総理もそうだったが、靖国参拝に対して変な意気込みがあったのではないか。小泉純一郎元総理の紋付羽織姿にみられるあれである。僕は前から総理が特に終戦記念日に参拝する必要はないというのが持論だ。11年前の終戦記念日に、安倍総理は靖国を参拝しないのは外交問題になるからだといって、まったく参拝せず、公約違反を続けていた。(総理はその後2013年12月靖国を参拝、公約を果たしている)

今年も例によって”近隣諸国”から総理の靖国神社へ玉串奉納似ついて抗議してきているようだが、日本のマスコミもかってのように大きく報道しなくなった。終戦記念日は戦没者の霊を追悼する日である悔悟と謝罪の記念日ではない。




















日本軍慰安婦をなぜ讃えるのか ポンペイの娼館の壁画

2018-08-15 06:48:17 | 2012・1・1
昨日、8月14日、韓国では「日本軍慰安婦被害者を讃える日」の行事が、国内100か所以上あるといわれる慰安婦像の前で行われた。文在寅大統領夫妻もその一つに参加、”(慰安婦問題は)人類普遍な問題だ。韓日の外交的な紛争にならないこと望む”と述ベる一方で、”外交的方法で解決される問題ではない”と訳の分からないことを言っている。僕が知る限り、古今東西、イタリアの古代都市、ポンペイの娼館の壁画以来、一国の大統領が娼婦を讃えた話は聞いたことがない。

慰安婦問題は2015年12月の日韓合意で”最終かつ不可逆的に”両国政府間で解決済みである。いくら政権が変わったからと言って、僅か3年たらずでホゴにするとは国際的には通じない。文在寅大統領は”外交的に解決を図る”問題ではないと言っているが、それではほかにどんな方法があるのか。日韓合意で、日本が支払った支払った10億円を返済しているが、これは”弁償金”をt釣り上げるための手段だと想いたくなる。

8月11日が「日本軍慰安婦讃える日」なのは1991年、元慰安婦の一人が自分が日本軍の慰安婦だと初めて名乗りあげた日だという。韓国が独立してから70年余り、1965年の日韓基本条約締結からでも50余年たっている。いってみれが、この問題はここ30年足らずの問題である。最近資料を整理していたら「アジア女性基金」(理事長村山富市元首相)のパンフが出てきて読み返してみたら、当時の橋本龍太郎総理がパンフの中の「総理の手紙」で、”元従軍慰安婦”という言葉を使っていた。当時の対韓慰安婦歴史戦は、この程度の認識だった。”最終、不可逆的な合意である。妥協してはいけない。



敗戦記念日を休日に 陛下の靖国親拝再開を

2018-08-14 07:35:56 | 2012・1・1
昭和20年8月15日ー日本が戦争に負けた73回目の「終戦記念日」がめぐってくる。小ブログは平成18年から書き始めているが、毎年決まってこの日前後になると、防空壕で母親と聞いた天皇陛下の終戦の「玉音」の体験談や、当時の庶民の受けた敗戦のショック、あるいは戦後の総理大臣の靖国神社参拝の是非などについて書いている。今年も再び同じ話を。戦争を体験した僕ら世代は書かざるをえない。

11年前の平成19年8月15日の小ブログ”命ささげし人びと 終戦記念日”では、第一次阿部改造内閣閣僚16人全員がそろって靖国神社参拝しなかったことに触れ、ブログ冒頭に昭和天皇の御製の歌”国のため命捧げし人々のことを思えば胸迫る”(昭和34年)を紹介している。この歌は千鳥ヶ淵の戦没者慰霊碑に刻まれている。僕は総理大臣の8月15日の靖国神社参拝には賛成ではない。この日には政府主催の「戦没者追悼式典」が行われ、天皇陛下が参席、総理大臣以下全閣僚が英霊に黙祷を捧げている。

昭和の御代の「戦没者追悼式」も明日で終わりである。しかし、海外の激戦地では113万柱の英霊のご遺骨が未回収のままである。戦前生まれの世代が二割となり、戦争の記憶も残念ながら薄れてきている。僕はこの際、8月15日を国民の休日とし、追悼式典にあわせて、正午には黙祷をさげることを提案したい。あわせて戦争体験者の今上陛下の靖国神社参拝をお願いしたい。
「露営の歌」(昭和12年)(薮内喜一郎作詞 古関裕而作曲)
思えば今日の戦いに 朱(あけ)に染まってにっこりと天皇陛下万歳と笑って死んだ戦友が残した声が忘らりょうか
「同期の桜」(昭和18年) (帖佐裕編作詞 大村能章作詞)
貴様と俺とは同期の桜 離れ離れtと散ろうとも花の都の靖国神社花の梢に咲いて会おう
銃後の小国民だった僕も80年前、この歌を歌った。









石破茂候補の正直さ

2018-08-13 06:25:25 | 2012・1・1
9月の自民党総裁選挙に石破茂元幹事長が立候補の名乗りを挙げた。出馬にあたって石破氏は「正直と公正」と大書したビラを記者団に示し”今日の政府が国民から信頼を得ているかどうか総裁選で問われている”と語り、言外に安倍政権お”もりかけ”問題の対応を批判した。しかし、一政党内のトップ争いであり国民には直接選ぶ権利はない。万年、野党化している旧民主党の代表選びを見るみたいで、僕は嫌悪を感じた。

"正直は一生の宝”という諺がある。三省堂の「ことわざ辞典」によると、この英語訳は”Honesty is the policy"とある。その意味で石破氏は正しいのだが、正面切って「正直」を言われると、小人のの僕には、はたして大丈夫なのか抵抗がある。”嘘にも方便”という諺もあって、政治の世界は「正直」だけでは通らないように見えるからだ。

一方で僕が理解できないのは安倍首相が、いつまでも正式に出馬宣言をしないことだ。先日、故郷の山口市の自民党県連の集まりで、ふるさとの偉人、吉田松陰の言葉を引用して”志さだまれば、気運高まる”と述べ事実上の出馬宣言をしている。1か月先に迫ったのになぜ、正式立候補しないのか。何かあるのではないかと国民は忖度したくなる。

先行した石破氏は民放番組の中で、安倍首相の憲法改正問題の見解にはズレがあると批判していた。僕が思うには憲法改正は党内で論議すべき問題である。国民が今、自民党に期待しているのは、長期安定政権である。変な役周りで、石破氏は大変だが、、旧民主党の二の舞だけは御免である。




ヘリ事故に思う 「山の日」を「ご先祖感謝の日」に

2018-08-12 06:45:09 | 2012・1・1
今年初めて制定施行された国民の祝日、8月11日の「山の日」を前に、またまた群馬県で防災用のヘリコプターが山林に墜落、9人が死亡した。昨年3月、同じように長野県の鉢伏山で同じように長野県の防災ヘリが訓練中事故を起こした記憶がまだ僕には新しい。森林をなぎ倒し、機体が散乱しているテレビ写真の構図は全く同じだ。何故、同じような悲惨な事故が繰りかえされるのかー。

偶然だが、33年前の昭和60年8月12日、群馬県上野村の御巣鷹の峯に羽田発大阪行きの日本航空123便が墜落、520人が犠牲となる史上最悪の事故が起きている。乗客の大半は盆で故郷へ墓参に帰る人だったという。僕が住む東京では7月に盆は行われるが、全国的には8月がお盆で、やはり、この時期には故郷を想い、ご先祖をしのぶことが多いのではないか。

祝日法によれば、「山の日」は”山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する趣旨から制定されたが、まぜ8月11日なのか特別な理由はない。大方の忖度によれば、盆休み期間に休日を1日加えて連休にしようとした単純な理由からであろう。夏休みのこの期間、庶民にとっては家族ぐるみで帰郷できたり、旅行で来たりしてそれはそれでよいのだが。。

都会では年々、盆の行事は薄れてきて、ご先祖の霊を迎えたり、送ったりはしなくなった。若い人の中には墓参さえしない。どうだろう名前だけでもよい。「山の日」ではなく、「ご先祖感謝の日」と名前を変えてはどうだろうか。東京五輪の2020年には11日を別の日に移す、あまり意味のない祝日である。ヘリの多発事故は”山の神”の、先祖のことを忘れかけてきた日本人への警醒かもしれない。