「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

80歳にしてゴルフ、85歳で車の運転をやめました

2018-08-11 06:43:30 | 2012・1・1
40年ほど前約10年間勤めた札幌のテレビ局のOB会の会報が届いた。昔、若かった仲間たちもそれぞれ”ご隠居”生活に入っているが、そのうちの一人,W君が「身辺雑話」で最近の生活を書いていた。85歳を迎えたW君は運転をやめ車を処分された。W君は現在、首都圏に住んでいて多少生活には不便だが、他人に迷惑かけるよりはと思い切って決断したという。W君はこれより先、80歳の時、好きだったゴルフをやめ、クラブを処分したが、中古のクラブは不燃ごみ同様だったそうで、何事も”処分”のタイミングがあると書いている。僕も分かる気がする。

別の仲間のH君は僕と同じ80歳代後半だが、奥様に先立たれ、一人で老人施設に入居されている。その近況を会報に寄せている。
◇ 夕焼けや無人のままの車イス
◇ 百歳のうすいお化粧サクランボ
◇ 老人ホームがやがや八月十五日
現役時代、毎日仕事でかけずりまわっていたH君の姿が思い浮かぶ。

W君は最近、若い時趣味で蒐集した切手や貨幣を処分しようと思い立ち、業者に当たったが、自分が想定していた値段の半分にもならない。ここでも”処分”のタイミングを感じたそうだ。僕も同感だ。80歳になれば、年代からいって当然、”終活”を考えなければならない。僕もこの猛暑の中、身の周りの資料の整理を始めた。W君と違ってすでにゴルフ道具はすでに30年前、処分し、車はもともと持っていない。問題は天井裏の”積んどく”だけの本だ。秋風がたったら何とかしよう。


後期高齢者医療、なぜ2割負担はないのか

2018-08-10 05:32:30 | 2012・1・1
75歳以上の後期高齢者のうち、住民税の課税額が145万円以上の高所得者に対しては現在、窓口自己負担は、現役並みみの3割だが、この層をさらに拡大する案が政府与党内で検討されていると新聞に出ていた。具体策については明らかではないが、この8月から自己負担が3割から1割に引き下げれた、わが家にとっは、また引き上げられるのではないかと心配だ。それほど老人家庭にとっては3割と1割とでは差がある。2割があってもよいのではないだろうか。

わが家の場合、二人ともガンの手術の経験があり、現在3か月に一度通院チェックを受けており、さらに月に一回、それぞれ高血圧と高血糖の治療を受けているが、正直言って3割だと、年金生活者だと負担を感じる。先日、1割に引き下げれてから、近くのクリニックで月一の血糖値検査を受けたら、病院の支払い780円、薬局の薬代は610円であった。3割負担だった時には、これがそれぞれ1520円、2330円合計3840円もした。随分と違う。

後期高齢者以前の65歳から74歳までの高齢者の健康保険も高額所得者は3割負担だが、一律2割負担である。現行のままで行けば、74歳の老人が75歳になり、後期高齢者医療に移行すれば、2割負担が1割に逆行することになる。当然、改革されることになるが、その際、後期高齢者の窓口負担も1割からいきなり3割という区分ではなく、収入に応じてもっと細分化して、2割負担も設けてもよいのではないか。超金持ちは3割でも問題ないが、3割と1割のボーダー線上にある層にとっては問題である。




ロンボク島の地震 なぜ日本は支援隊を送らないのか

2018-08-09 08:07:54 | 2012・1・1
バリ島に近いインドネシアの観光地、ロンボク島で最近2回にわたって大地震があり、300人以上が亡くなり、2万人もが家を失っている。半世紀以上のインドネシア.オブザーバーの僕は詳細について知りたいので、ネットで現地の邦字紙「じゃかるた新聞」を見たが、大変な被害である。しかし、日本ではあまり話題にならない。外務省の調査(ASEAN40周年)によると、インドネシアは国民のの74%がわが国を信頼している。だが、「じゃかるた新聞」によると、日本からの本格的支援隊は派遣されていない。

書斎の整理をしていたら戦争末期,第48師団長だった山田国太郎中将の回顧録「明治少年の歩みの知人から頂いた一部コピーが出てきた。第48師団は東チモールに師団本部があったが、戦局の展開により、昭和20年3月、師団部隊をジャワ島に向け移動、約2000キロの小スンダ列島を島伝いにわたった…ロンボク島は、その中継点で2400人の兵士が駐屯していた。ロンボクでは地上戦はなかったが、48師団の兵士にとっては忘れられない地である。

戦争中、南方に駐屯していた兵士の間では”ジャワ、スマトラ天国”と言われ、戦闘がなかったことから、戦後、ノスタルジアから戦友会活動が活発で、独立したインドネシアへの関心が深かった。日本インドネシア協会の中核は戦友会の会員であった。2004年12月のスマトラ沖大地震の時は、まだ従軍世代も元気で積極的に支援募金をした。この世代も今や90歳代半ばを過ぎ、戦友会もない。親日国の信頼にこたえるためにも、政府は支援隊を派遣すべきだ。


戦中、日本軍が建てたメダンの絋原神社の写真

2018-08-08 08:06:23 | 2012・1・1
連日の猛暑のなか、よりによって書斎の資料整理をしていたら、二階の天井裏に仕舞い込んでいたと思っていた10年ほど前のスクラップ帖が出てきた。この中に探していたスマトラ.メダン(インドネシア)に戦時中、日本軍が建てた絋原(ひろはら)神社の写真4枚(コピー)が出てきた。写真は当時NHKのメダン局長であった仏文学者の高橋邦太郎氏が撮影されたもので、結婚式を挙げたsさん夫妻を中心に媒酌の中島鉄蔵東海岸州長官(中将)や直木賞作家、小山いと子さんの顔も見られる貴重なものだ。

絋原神社は戦争中う日本軍が海外各地に造った神社の中で、いまなお建物の一部が現存している数少ない一つだ。僕は20年前、メダンに長期滞在中、北スマトラ大学の歴史学者で、昔あったセルダン首長国のサルタンの末裔,ルクマン氏から、この話を聞き、当時、メダンの高級クラブになっていた一室でご馳走になった。絋原神社の”絋”は、戦時中のスローガンであった「八紘一宇」の”絋”とインドネシア語のMedanの意味”原”を取ったものである。

7年前まで東京に「メダン会」という集まりがあり、戦前メダンに住んでいた人、戦時中メダン駐屯の近衛師団の兵士だった人、それに戦後アサハン計画でメダンに居住していた人などの親睦団体だった。僕は、この写真コピーを「メダン会」で知り合ったSさんから頂戴したのだが、大変失礼ながら、その後、Sさんとはお付き合いがなく、どういう方なのか聞き忘れてしまった。関係者もみな高齢になり、この種の会がみな解散してしまったのは残念である。




広島 長崎に原爆が投下された頃の東京

2018-08-07 06:54:31 | 2012・1・1
広島、長崎に原爆が投下された頃、僕は両親と3人で東京に住んでいた。中学3年で、多摩川べりの軍需工場へ学徒動員されて機銃弾を作っていた。父は定年後の仕事だが、都心の大東亜省関係の団体で嘱託勤務していた。その父の広島原爆投下の6日(月)の日記「いよいよ本格的な夏(連日の空襲警報で)寝不足ながら6時に起床。朝食。出勤間際に空襲警報発令(午前7時48分)同解除(10時15分)そのまま在宅、午後出勤、8,9月分の俸給支給される。4時終了、近くの「源来軒」(国民酒場)へ行くが籤で外れ、6時半帰宅、配給の焼酎に蘇生の思い」

9日(木)の長崎投下の日の日記「亡父の命日、仏前に礼拝す。10時半出勤そこそこに帝国ホテルに外務省岡崎勝男調査局長(戦後外相)の講演会へ行く。席上、日ソ開戦、容易ならぬ事態発生の発表に、憂鬱の気に閉ざされる。4時半帰宅。行水。夕食」(長崎への原爆投下は6日午前11時02分、岡崎氏の講演直前だった)

亡父は仕事の関係で11日の日記には,「今日も引き続き不快な情報を聞く」と敗戦情報を聞いているが、父の日記には広島、長崎の”新型爆弾”への言及はない。広島原爆投下が初めて国民に知らされたのは7日午後の大本営発表で、一般国民は8日付の朝刊だが、新型爆弾で被害が甚大というだけで詳細は明らかにされていない。僕が新型爆弾の惨状を知ったのは敗戦後ではなかっただろうか。父は敗戦を事前に知り、僕も父から聞いていたが口外はできなかった。そんな日々なのに、父は11日の日曜日には逗子の友人宅を訪ね海水浴をして“爽快を覚ユ”などと記している。

トランプさん広島へどうぞ 謝罪など要求しない

2018-08-06 10:49:48 | 2012・1・1
広島、長崎に原爆が落とされてから今年で73年目、今年も猛暑の中、広島の平和公園で記念式典が行われた。歳月の経過とともに、実際に被爆を体験した方々も減り、今年3月現在で1万8489人、平均年齢も82.06歳と高齢化してきた。先日テレビを見ていたら胎内被爆者の方が発言していたが、この男性でも高齢である。被爆体験者がゼロになる日もそう遠くはない。

今年の式典には世界85か国、EUから代表が参加し、米国も3年ぶりに正式大使が参加するが、たびたびの招請にも関わらず、トランプ大統領は参加しない。2015年5月、当時のオバマ大統領が広島を訪問、安倍総理と共に慰霊碑に献花、被爆者と握手した姿はまだ記憶に新しい。当時共和党の大統領候補であったトランプはこう言っている。”謝罪しない限り、何をしようと勝手だが、哀れな奴だ。伯父は真珠湾の犠牲者だが、生きていれば(オバマ大横領)を殴ったであろう。”

トランプ大統領は今年6月北朝鮮の金正恩委員長と朝鮮半島の非核化について合意した。昨年の今頃は北朝鮮は核実験を繰り返し、ミサイルの発射で日本国内にも警戒のアラートが響いていた。その意味で二人のシンガポール合意は歓迎すべきだが、トランプ大統領に願うのは、広島、長崎へも足を運び平和記念式典に参加してもらいたい。我々は米国に謝罪を要求しているのではない。

朝鮮半島の非核化をきっかけに世界の趨勢である核兵器禁止条約に向かってトランプ大統領はリーダーシップを取るべきだ。そうすれば、その傘の下にいる日本も遅ればせながら、参加しよう。被爆国なのに参加しないのは大義にもとリ、矛盾している。

国際人権高等弁務官の慰安婦批判 ”最後っ屁(ぺ)”

2018-08-05 06:42:51 | 2012・1・1
国連人権委員会(UNHRO)のサイト.フセイン高等弁務官が、またまた慰安婦問題について日本は2015年に日韓慰安婦合意について譲歩すべきだと批判した。何を譲歩すべきか、はっきりしないが、国と国とが合意した問題に口を出すのは余計な話だ。サイト高等弁務官は、これまでも「性奴隷」という言葉を使い、安倍晋三総理が元慰安婦たちにに直接会うのが問題解決の早道などと言っていた。サイト氏は8月末で高等弁務官の職を去るに当たり、記者会見でこの発言をした。表現は悪いがまるで”最後っ屁”である。

サイト氏はヨルダン王家の一員で、駐米大使を経て2014年、国連人権委員会の高等弁務官就任したが、慰安婦問題については偏見の持ち主だ。就任早々韓国を訪問、慰安婦たちと会ったり、偏った歴史観で展示されている「慰安婦博物館}を見学、ソウルにUNHRO出先機関を設置している。UNHROは慰安婦問題について1994年、クマラスワシ(当時の高等弁務官)特別報告書で、朝日新聞の誤報を取り入れたりしている。日本政府は何回か訂正を求めているがそのままだ。サイト氏は。この特別報告書をそのまま信じているようだ。

日本は、米国、中国についで3番目に国連分担金を出しているが、米国はイスラエル問題が不平等だとしてUNHROを脱退している。北朝鮮による拉致問題について、UNCHOは何かしたのか。高等弁務官を誰がどうして選ぶのか寡聞にして知らないが、場合によっては、日本も米国にならって脱退してはどだろか。




韓国船の竹島領海調査 李承晩ラインの誤った”遺産”

2018-08-04 05:02:11 | 2012・1・1
”韓国 竹島領海調査”という大きな見出しで産経新聞(8月3日付首都圏版1面トップ)が報道していた。新聞業界では他紙が追っかけて報道する記事を「特ダネ」と呼ぶが、僕がインターネットで調べた限りでは、他紙の追従はない。しかし、菅義偉官房長官が昨日の定例会見で記事の内容を認める発言をし、NHKが夕方のニュースで、これを報じていたから、間違いなく”特ダネ”記事であった。

産経新聞の記事は”発表記事”ではなく、調査段階で書いたためか”歯がゆく解かりにくいが、内容は韓国の海洋調査船が数日前、竹島領海で調査していた航跡があり、海上保安庁から巡視船が現場水域に向けて派遣され、確認されれば、厳重に抗議するというものだ。菅官房長官は記事を認めており、外交ルートを通じて韓国側に抗議すると発言していたが、今一つ僕には抗議が迫力に欠けている感じがした。
竹島は言うまでもなく歴史的にも日本の領土(島根県隠岐の島町)で、韓国が勝手に自分の領土とし”独島”と呼ぶようになったのは、僅か67年前(1952年)当時の韓国の大統領だった李承晩が領土拡張の野望から、国際条約に違反して一方的に”海洋主権宣言”をした。わが国はまだサンフランシスコ和平締結前、占領下にあったため抗議もできなかった。それをよいことに、領域(李承晩ライン)内の島を領土化し、ライン内で操業する日本漁船を拿捕し(3929人)漁船員を釜山に連行逮捕した。うち49人が死亡している。

僕が新聞社に入社した1953年頃は、まさにこの李承晩のこの蛮行の最中で、悲憤慷慨したが、占領下であるためどうにもなrなかった。韓国の竹島一方的占拠は言ってみれば、当時の誤った”遺産”だ。通り一片の抗議ではダメだ。

小池百合子都知事就任二年 マスコミ露出度

2018-08-03 05:14:30 | 2012・1・1
小池百合子東京都知事の就任二年目の単独インタービューが産経新聞に載っていた。この中で小池知事は、二年を振り返り”大変充実した、もう二年、であり、まだ二年であった"と感慨を述べている。しかし、都民にとってはどうだろうか。”もう二年””まだ二年”は同じだが、”充実した、”都政であったかどうか。都民の一人である僕にはそうは思えない。いささか小池知事に振り回された感がないでもない。

二年前の平成28年8月3日の小ブログは、小池知事が白いスーツ姿で颯爽と消防庁のブラスバンドの演奏入りにのって、1000人の職員に迎えられて都庁入りした模様を書き、”心からおめでとうと言い、手を挙げてお祝いしたい”と記している。僕ばかりではない。当時のマスコミは小池知事歓迎一色のムードであった。首都圏のテレビには、毎日のように知事の姿が画面に映った。

小池知事は公約として2020年東京五輪の予算の透明化をうたった。二年たって、その成果はあったと一応評価するが、その手法としてはどうだろうか。関係筋との”ぶつかり合い”や無駄な意味のない折衝が多すぎた。築地市場の豊洲への移転問題も、10月移転が決まったが、、果たして移転延期は知事の言うように”必要なプロセス”であったのであろうか。

二年前に比べて小池知事のマスコミへの露出度が減ってきている。僕はその原因の一つは昨年、知事が国政へ”色気”を出した誤算にあると思う。知事はどうもマスコミ受けをねらっているようにみえてならない。知事として折り返しの後二年、地に足がついた都政をお願いしたい。

全国学力テストに英語を

2018-08-02 06:35:56 | 2012・1・1
全国の小学6年と中学3年を対象に今年4月実施された全国学力テストの結果が文科省から発表された。その都道府県別平均回答率が新聞に載っていたが、今年も上位に秋田、石川、福井3県が小中5科目とも上位であった。教育県でもない3県が毎回上位なのは興味深い。

これに反して新聞には下位の県は特記してなかったが、僕が注目したのは、愛知県が小学の部で国語Åが43位、同Bが46位、算数Åが46位.同B31位、理科44位と下位に低迷していることだ。算数Bを除けば下から数えほうが早い。愛知県といえば、かって、県内の犬山市が文科省のこのテストに反対して不参加、全国的に話題になった。もう一つ注目したのは沖縄県の中学の部で全科目を通じて最下位、とくに数学の部が悪い。小学の部では国語Bが12位、算数B9位と健闘しているのに何故なのか

全国学力テストについては過度の競争を煽ると反対の声がまだある。とくに結果の発表は地域、学校間の格差を生むだけだという。しかし、結果を見れば、日本の教育の問題点もみえてくる。最近、OECD(経済開発協力機構)が世界72か国で行う学力到達テストで、日本人の読解力の結果が低下しているという。僕の考えでは、英語の国際化が進む中で問題が潜在しているのではないだろうか。2020年から小学校5年から英語学科教育が始まる。この全国学力テストに英語を加えたらどうだろうか。OECDのテストにも反映してくると思うのだが。