ひまわり先生のちいさな玉手箱

著書「ひまわり先生の幸せの貯金箱〜子どもたち生まれてきてくれてありがとう」

人間魚雷の島 大津島

2015年08月05日 | 行ってきました
《人間魚雷の島 大津島》

戦後70年

《人間魚雷回天》

神風特別攻撃隊と同じく窮地に立つお国のためにと開発された特攻兵器をご存知ですか?

なんと、人間が乗りこむと、二度と開かない人間魚雷この人間魚雷を積んで、大型の潜水艦でパラオなどまで行き
船長が目視で敵艦を見つけたら、沈めた魚雷に人間が乗り込み、発射したそうです。

あり得ないことに、魚雷ごと敵艦に突入するという生還不可能な兵器でした。

その訓練があったという大津島《回天記念館》に来ました。
山口県周南市、新幹線徳山駅から徒歩五分の港からフェリーが出ています。
近くの海風診療所の帰りに立ち寄ってみました。

回天とは「天を回らし、戦局を逆転させる」意味があるそうです。

昭和19年当時、既に戦況は酷くこの作戦も「やぶれかぶれ」としか、思えません。

この大津島で訓練を終えた106名が実戦で戦死とありますが
戦場に回天を運んだ潜水艦が8隻も犠牲になっていて
潜水艦乗員や基地関係者の練習や空襲に戦死された方々まで合わせると
戦死者は1300名を超えるそうです。

戦死した回天乗組員の平均年齢は21歳という若さだったそうです。

当時、ほぼ百発百中、当たれば必ず敵艦を轟沈と信じられていました。

しかし、米軍の12隻に命中はしたものの、
内撃沈は4隻と思いのほか与えた損害が少ないものでした。

少尉とは言え、まだ若者の
「われ、無名の防人となる」
という家族への手紙が残されています。

ああ、今の日本の平和は、かけがえのない多くの先人たちの犠牲のもとに…
コメント (1)
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