ひまわり先生のちいさな玉手箱

著書「ひまわり先生の幸せの貯金箱〜子どもたち生まれてきてくれてありがとう」

《むごい教育》とは?

2015年08月11日 | こころの子育て
《むごい教育 》

日本には、昔から素晴らしいことわざが残っています。
《三つ子の魂百まで》
確かに、人間は、生理的早産と言われ、
本来お腹の中で育つべきあと9ヶ月を含め
赤ちゃん~3歳くらいまでに
沢山甘えさせ、抱っこし、甘えを満たしてあげることが
一生を通じて心の安定した人への土台、愛着が形成されていきます。

それが、《基本的信頼感》となり、
他者への信頼、
自分への信頼、
社会への信頼へとつながるのです。

その《基本的信頼感》が、幼少期に醸成されたあとには、
バランスを見ながら、
ここまではやっていいけど、
ここまではやっちゃダメだという
ルールや決まりなどを設け、厳しさも必要になってきます。

いつまでも子どもの自由、子どもの言いなりになることは、
《むごい教育》になりかねないのです。

戦国時代、徳川家康は、人質として、
近隣の戦 国大名、今川家・織田家を転々としました。

その徳川家康がまだ幼くて、人質だった頃の話です。

駿河の国を治めていた今川義元は、
政略的に竹千代(後の徳川家康)を人質に取り育てた時代があります。

確か、竹千代が8歳くらいからだったと思います。

今川義元は、教育担当の家来に対し、 一言だけ、こう指示しました。

「竹千代には、むごい教育をせよ」

暫くして、義元は家来を呼び、

「竹千代は、どのような様子か」

を尋ねました。

家来は、以下のように報告しました。

「はい、早朝から起こし、 水練をさせ、
三食は粗食を与え、 昼は馬術や剣術に励ませ、
夜は学問と厳しく教育しております。」

報告を聞いた義元は、烈火の如く激昂したそうです。

「馬鹿者! それはむごい教育とは言わん!

朝は好きなだけ長寝させ、

山の幸や海の幸あふれる贅沢な食事を与え、

武術や学問が嫌と言えば決して無理強いせず、

常に傍らには女を侍(はべ)らせ、

本人の望む通りに、何でも与えてやるが良い。

そうすれば、大概の人間は駄目になる。」

家来は、ここまで聞いて、やっと義元の真意に気が付いたのです。 

やがて隣国の大将となる竹千代を、腑抜け人間に仕上げようと思っていたのです。

しかし、今川義元の思惑通りにはならず、竹千代はやがて織田家の人質となって、
隣国に向かいます。

徳川幕府十五代二百六十年にも及ぶ天下泰平の礎は、
今川義元の考えとは違う、
家来の考えたむごい教育によって築かれたのかもしれないのです。

現代、社会が成熟し、豊かな先進国では、
良かれと思ってやっている教育が
この今川義元の言う
「むごい教育」
になっていないか、
考え直してみませんか?


今日は、これから唐津市保育士会の研修のため、電車で移動中、
日焼けした夏休みの子ども、お兄ちゃんと妹?2人で電車、楽しそうです。

コメント (1)
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