「自己」は、共感によって体験するイメージ
だそうです。
赤ちゃんの時なら…
お母さんに優しく抱きしめられて、
頭を撫でられ、微笑みかけられて
赤ちゃんは、あったかくて、ふわふわで、
お母さんも、あっかくなって、幸せで、
共感によって、赤ちゃんが体験したイメージは、
お母さんも自分も、何だか…心地よいもの。
さしずめ、こんな感じでしょうか。
また、乳児健診などで、最近は、共同注意(共同注視)が出来ない赤ちゃんも多いとのこと。
お母さんが指さした、もしくはお母さんが見ている方、
つまり、お母さんの目線の先を一緒に見て、
赤ちゃんは、あれは、「犬」なんだと分かる。
その時のお母さんの表情で、犬が可愛いと感じるのか、怖いと感じるのかも伝わる。
そもそも、お母さんと同じ物を見なければ、
赤ちゃんは、言葉も獲得しにくいし
それにまつわる感情も知らない。
誰か子どもが転んで、足を擦りむいて、お母さんが、
「アイタタ、大丈夫?」
と、駆け寄る姿を見て、
赤ちゃんも
「アイタタ」
と共鳴し、
「大丈夫?」という同情心をお母さんと一緒に感じるようになるのではないだろうか?
「同情は空腹と同じで否応なく生じるもの、良いも悪いもない」
と、教えてくださった精神科医の先生の言葉を思い出しました。
「同情は、共鳴などと表裏一体の、
生理/心理的必要から立ち上がっているものです。
良いも悪いもありません。
そもそも同情が生じないようであれば共感の成立する基盤がありません。
空腹を知らない人が、美味しい料理のレシピを理屈で考えるようなもので、
そんな人に共感を学んでほしいとも思いません。
論理的にも倫理的にも、同情なくして共感は成立しないはずです。」
共鳴し、同情し、それを基盤に共感する…
そして、子どもが自己イメージを体験する
共感力、大切ですね。
今日も神宮球場前の会場で、研修です。