ひまわり先生のちいさな玉手箱

著書「ひまわり先生の幸せの貯金箱〜子どもたち生まれてきてくれてありがとう」

温故知新《教育と平和について》

2016年01月11日 | オススメです
n-skyさん
コメントありがとうございます。

モラルハラスメント、怖いですよね。
被害者は、我慢していることに気づいでないことも多く、まず知ることが大事です。

「怖い」「悲しい」という感情を抑えて
イライラして人に当たったり、
攻撃的になる加害者の心理について、ドラマを観て感じることも可能です。

ドラマ「おしん」オススメです。

ドメスティックヴァイオレンスDVの弁護で有名な角田由紀子先生の勧めで
ドラマ「おしん」を見直してみました。

食糧が足りない東北の貧しい家で生まれ、
数え年の7歳、小学校入学の歳のおしんは、
米一俵と引き換えに奉公に出される。

教育も受けられずに小さな身体で、お守りや家事を強いられる。

このドラマが流行った1983年当時は、児童虐待の概念も世に広まっておらず、
辛抱した子どもの美談として、私も、ただ感動して観ていた。

1983~84年の平均視聴率は52.6%最高視聴率62.9%。
これはビデオリサーチの統計史上、テレビドラマの最高視聴率記録となっていて、
スリランカ、インドネシア、フィリピン、台湾、香港、ベトナム、アフガニスタン、シンガポール、エジプト、イランなど世界68ヶ国や地域で放送され、

苦難に遭いつつも決してあきらめず、明治、大正、昭和を生きた主人公・おしんの姿が、感動を呼び「おしんドローム」という言葉を生み出した。

「世界で最もヒットした日本のテレビドラマ」として知られる。

このドラマを見直して私は、改めて、
真の教育、平和とは何かを考えさせられました。

モラルハラスメントや虐待、
子どもや女性差別などの知識を学び、
戦後70年、安保法案や憲法改正の岐路に立つ今だからこそ
このドラマ「おしん」から学ぶことは、枚挙にいとまがないと、思いました。

例えば、
子守をしながら、文字の読み書き、計算を必死に勉強するおしんに
赤ん坊が泣くから、勉強の邪魔だと、
おしんを教室から追い出す同級生たち。

身分の違う奉公人のおしんを差別し、攻撃していじめる子どもたち、
おしんのお父さん、
おしんをいじめる奉公人にも
押さえ込んだ感情があり
その押さえ込んだ感情は変形して
変形した気持ちを一番弱いおしんに当たるのです。

教室で教えるべきことは、読み書き、計算だけでいいのか?

これを機会に《教育の目的》についても考え直してみます。
イギリスの植民地だったインドを独立に導いたマハトマ・ ガンジー(1869‐1948)の教育思想を思い出したので、転記しておきます。

「ガンジーの言葉」の第8章に「教育」について書かれている一部分だけを、P.204より抜粋します。


***
私の言う教育とは、
子どもや大人
ー体、心、精神ー
の最善のものを全面的に引き出すことである。

読み書きの能力は、教育の目的ではなく、最初でさえもない。

その能力は、人が教育される手段の1つに過ぎず、それ自体は決して教育では無い。

***

また、他でもガンジーは、
無批判に取り入れられた西洋の学校教育を受けた結果、子どもたちが親の仕事を価値の劣るものと見下し、
仕事を継がなくなってしまう状況を取り上げ、

自分の置かれた環境に誇りをもてなくさせ、
家庭から子どもを引き離してしまうような教育のあり方を問題視した。

インドの学校には、いろいろな職業カーストに所属する少年 たちがいる(煉瓦工、鍛冶屋、大工、仕立て屋、靴屋など)が。

「教育を受け たら、自分たちがこれまでやってきた仕事の技術を高め、自らの仕事にさら に励んでいくのではなく、
そのような仕事は何か劣っていることとしてやめ てしまいます。そして、事務職に就くことが名誉なことと考えるのです」
と 述べています。

これを読み直して、
戦後の日本人が自信を失い、人々の不安が大きくなってきた点とも
どこか、重なる気がしました。

温故知新=
将来の事態を知りたいのなら、過去の経緯を考察すること。

今だからこそ、知ることと温故知新が重要ですね。


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2 コメント

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また、学ばせていただきました。 (n-sky)
2016-01-11 09:18:54
米倉先生、
私のとるに足らないコメントを取り上げていただき、ありがとうございます。

「おしん」は1983年の放送でしたか~ ということは、“もう”、いや、“まだ”33年前ですね。
三十数年前は、それほどまでに“児童虐待”という考え方が広がっていなかったんですね。
ちょっと驚きではありますが、でも、確かに、私自身もそのようなことはまったく意識せずに観ていましたね(笑)
ただ、そのような時代だったからこそ、悲しいことに、誰にも理解してもらえず苦しんでいた人がたくさんおられたはずですね。

「温故知新」・・・とても大切なことだと思いました。

現実としては、
今後、さらなる加速度的な科学技術の進歩、それに伴う発展的な展開は止まらず、いわゆる「2045年問題」、また、その頃には、「今以上に新しい種類の仕事ができて、今の仕事の大半がなくなっているだろう」とも言われていますね。

科学技術が進歩することは、ただそれだけで人類が豊かになり、幸せになるのだという「進歩信仰」とも言えるような考えを信じる時代は終わっているものの、やはり、技術の進歩・発展は、確かに私たちの生活を便利にしてくれているし、その方向は止めることはできません。

ガンジーは、当時の子どもたちの仕事に対する考え方の変化に不安を感じるとともに、インドに押し寄せる「科学化」「西洋化」「近代化」の波が止められないものであるということにも強い危惧を感じていたのでしょうね。

そのような状況の中、ガンジーが、
「読み書きの能力は、教育の目的ではなく、最初でさえもない。
その能力は、人が教育される手段の1つに過ぎず、それ自体は決して教育では無い。」
という言葉を言ったというのは、大変考えさせられる言葉ですね。

それは、今の日本においても、同じ状況はずっと続いているからです。

日本の教育も、教育基本法にあるように「人格の完成」を目指しているのですが、昨今の実際の現場では、時間に追われながらも、日々の学習(身につけさせなければならない学習内容)を教えることに必死に取り組んでいるという現状があるのかもしれません。
(その点では、「道徳の教科化」は、子どもの心に働きかける時間の確保という意味で良いことだと言えます。)

ガンジーの言葉は、もしかすると、今の“生涯教育”という考えに近いのかもしれませんが、その言葉を使うと何か軽くなってしまうような気がします。
それほど、深い言葉だと思います。

気がつけば長文(笑)
すみませんでした。
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Unknown (うみちゃん)
2016-01-11 14:55:24
我慢することが素晴らしいとさ、美徳とされてきた日本ですよね。おしんみたいにどんな逆境にも耐えて前を向く姿はすごいと思いますが…。父や母と話をしていても違和感を感じることがあります。たしかによく頑張ったねって思えるときもあります。でも我慢できない子はいい子じゃないと我が子に言われるとき悲しいような腹立たしいような気持ちになります。
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