先日看板をお送りしたKさんご夫婦が京都へ来られたので久しぶりにお会いし、妻も含め4人で夕食を共にしました。
Kさんは私の大学時代の同じ寮の先輩
1970年代初め、変わりつつある世の中の動きの中で、若者や学生のエネルギーがほとばしっていた時期。
夜な夜な先輩の部屋に集まり、熱く語るK先輩の哲学や運動論に耳を傾けながら、将来への展望やその中での人生を論じ合いました。
ものの見方や考え方、さらにその後の生き方そのものの基礎ができたとも言える大学時代に、一番影響を受けいろいろ教えていただいた先輩です。
大学を卒業後、岐阜県の職員になり、教護院を皮切りに児童福祉の分野で、ぎりぎり追い詰められた子ども達を守る最後の砦のような仕事をされてきました。
時には身の危険さえ伴うような曲面の中でも、子ども達を守る立場を毅然と貫かれ、今年の3月の定年退職後も嘱託職員として現場に残られて、現役職員を下から支える立場で頑張っておられる姿には本当に頭が下がる思いがします。
いろいろお話を聞きながら、私も職場は違っても、不十分ながらも同じような思いや目で子ども達や子ども達の於かれている状況を見て、33年間教育に携わってこれたということが再確認できました。
お話をしていたら時間があっという間にすぎてしまいましたが、これから時間的にも少しゆとりができた中で、時々こんな機会が持てることを願っています。
Kさん本当にありがとうございました。
Kさんは私の大学時代の同じ寮の先輩
1970年代初め、変わりつつある世の中の動きの中で、若者や学生のエネルギーがほとばしっていた時期。
夜な夜な先輩の部屋に集まり、熱く語るK先輩の哲学や運動論に耳を傾けながら、将来への展望やその中での人生を論じ合いました。
ものの見方や考え方、さらにその後の生き方そのものの基礎ができたとも言える大学時代に、一番影響を受けいろいろ教えていただいた先輩です。
大学を卒業後、岐阜県の職員になり、教護院を皮切りに児童福祉の分野で、ぎりぎり追い詰められた子ども達を守る最後の砦のような仕事をされてきました。
時には身の危険さえ伴うような曲面の中でも、子ども達を守る立場を毅然と貫かれ、今年の3月の定年退職後も嘱託職員として現場に残られて、現役職員を下から支える立場で頑張っておられる姿には本当に頭が下がる思いがします。
いろいろお話を聞きながら、私も職場は違っても、不十分ながらも同じような思いや目で子ども達や子ども達の於かれている状況を見て、33年間教育に携わってこれたということが再確認できました。
お話をしていたら時間があっという間にすぎてしまいましたが、これから時間的にも少しゆとりができた中で、時々こんな機会が持てることを願っています。
Kさん本当にありがとうございました。