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☆=☆☆☆☆☆
◎=☆☆☆☆
◇=☆☆☆
△=☆☆
▽=☆

男はつらいよ 寅次郎真実一路

2019年11月12日 23時26分39秒 | 邦画1981~1990年

 ◇男はつらいよ 寅次郎真実一路(1984年 日本 107分)

 監督/山田洋次 音楽/山本直純

 出演/渥美清 倍賞千恵子 吉岡秀隆 前田吟 笠智衆 三崎千恵子 太宰久雄 大原麗子

 

 ◇第34作 1984年12月28日

「ごじらだっ」

「あれは、ごじらではありません、どちらかというとえりまきとかげに似ております」

 とかいう夢からして嫌な予感はしていた。

 寅のいつもぶら下げてるお守りを水戸黄門の印籠のように掲げるとお守り光線が出てやっつけるのだが、最後の悲鳴が「寅さ~ん」で、目が覚めるとGodzillaの被り物をかぶった子供におこされるという寸法だが、なるほど、いかに松竹とはいえ「ギララだ」というたらあかんのね。

 ところで、これは米倉斉加年の物語だ。

 これまで巡査や夢の準レギュラーで貢献してきたことへのねぎらいのようで、米倉贔屓の僕は嬉しかったりする。

 しかし、きびしいな。一杯おごってもらったからといっていきなり勤め先を訪ね、待ち、望郷のおもいを刺激し、嫁の大原麗子に横恋慕し、さらに留守宅まで上がり込み、あまつさえ占いの婆のいうことに惑わされ、とらやの金を寄越せと大喧嘩する。ここまで阿呆なのかととことん追い込んでいくのだが胸が苦しくなるくらいの無知と貧困と情けなさだ。

 我が身をふりかえれば、寅やとらやの方がましだしまともだとおもうものの、目を背けたくな身につまされるな。

「こいつは自分じゃなんにもしないくせに口先ばかりえらそうなこといって」

 というおいちゃんこと下條正巳の台詞にはぐさりとくるわ。

 まあしかし、米倉斉加年を探して鹿児島まで旅立つ大原麗子にくっついてゆく寅という展開をおもしろいとおもうかおもわないか、これは、寅とその無邪気な純粋さかあるいは無知による迷惑なお節介かどちらと捉えるかは、観客次第だろうね。

 でも、大原麗子にしても、その縁者たちにしても、笑顔が多くて大丈夫なんだろうか。まあここで、シリアスになっても仕方ないか。

 とはいえ、うなぎ温泉で寅をかたって宿泊していたことを知ったとき、どこかに泊まろう、という大原麗子に対し、タクシー運転手桜井センリの家に泊まるという寅に「つまんない、寅さん」という大原麗子に「奥さん、おれはきったねえ男です」と、無法松のような台詞をとばす寅について「人妻に恋して旦那がこのまま行方不明になってほしいとする自分の醜さを汚いとおもっているのか」という博の解説と「おれは罰当たりな男だ、おれは醜い」という寅の心持ちは、なるほど、これまでにはなかったものかもしれないね。

 それにしても大原麗子の胸の内はどうだったんだろう?

 米倉斉加年のことを生きていてほしいと心の底からおもってたんだろうか?

 たしかに心配していたことに疑う余地はないだろう、見つかったときは嬉しかったろう、これから先も幸せな家族として過ごしていくだろう。でも、寅との旅は愉しかったはずだ。となると、どうなんだろうね。女心は複雑だな。とかいう人間の暗黒面をおもうと☆はひとつ増やさないとあかんのだろうな。

 だから、☆三つで◇にした。

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男はつらいよ 夜霧にむせぶ寅次郎

2019年11月11日 01時01分41秒 | 邦画1981~1990年

 ▽男はつらいよ 夜霧にむせぶ寅次郎(1984年 日本 102分)

 監督/山田洋次 音楽/山本直純

 出演/渥美清倍賞千恵子 吉岡秀隆 前田吟 笠智衆 三崎千恵子 太宰久雄 中原理恵

 

 ▽第33作 1984年8月4日

 どこかの国の港町の酒場を舞台にした夢は、中原理恵と渡瀬恒彦が出る分、とらやの面々は出ない。なんか雰囲気ちがうね。

 タイトルバックは岩手県北上市岩手山。鬼柳鬼剣舞でコントをする。のぼるが、かみのはしのたもとで今川焼きの店を経営してる。なんだか、懐かしいな。

 まあそれはそれとして、なんだよ、寅、ナンパしてんのか?寅が床屋で見かけた中原理恵をわざわざおいかけてナンパし、さらにレストランで金がなくておごらせるといういつもの図はわかっちゃいるけどなんだかね。いくらなんでも、もうつらすぎる。

 で、男と出て行った嫁をおいかけてきた佐藤B作に同情してという、まあ旅は道連れというやつで、寅の主題のひとつではあるけどなんかな~、寅がもうすこしおせっかい度が高ければB作を駅で見送った後、中原理恵がさりげなく手を組むのもありかとおもうが、最初から寅はB作を厄介者あつかいだし、なんだかね。

 で、これまたいつものとおり、中原理恵の見え見えのさくら客だ。そこでようやく渡瀬恒彦のオートバイサーカス野郎の登場ってことになるんだけど、早くも前半が終わっちゃう。これはきついな。

 で、やっぱりいつものとおり、寅はもてる。

 中原理恵に「寅さんと一緒にいたい、ついていきたい、貯金もある」とかいわれたら、さくらに説教されたときのことをいいだして、説得にまわるってのはなんだろね。案外白状なんだねと恨みがましく呟いて立ち去りかける中原理恵に「そこまで送ろうか」とあほな台詞をいう寅だが、大丈夫子供じゃないんだからという中原理恵にしてみれば「いったいなんでナンパしてきたんだよ、てめ」みたいなもんだよね。

 それでも翌朝「寅さんがもうすこし若かったら、あたし、寅さんと結婚するのに」とまでいわせる寅のもてぶりは凄いな。

 髪結いの亭主になりそこねた寅の話だったわけだけど、その後わけがわからん。

 中原理恵は渡瀬恒彦にたぶらかされる半分、寅をおいかけるために渡瀬恒彦の女になるみたいな展開で、結局、東京まで追いかけてきて、それで死にそうな病気になってとらやに収容されて助けられたかとおもいきや、寅が渡瀬恒彦を説得して別れさせたかとおもえば、中原理恵は病をおして「別れてくる」という。

 半分、逢いたいのだ。男と女だね。しゃぶりあうような暮らしをするとそうなるんだな。

 しかし「同じ渡世人同士話をつけた、だからもうあんな遊び人とは会うな」という寅に、中原理恵が「寅さんだって遊び人じゃないか、今同じ渡世人同士といったじゃないか」といって雨の夜に飛び出して行っちゃって、結局、なんの音沙汰もなく数か月後に手紙、そしてまったくの別な情けないがまじめな男と結婚とかって、こんな展開あるかね?

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男はつらいよ 口笛を吹く寅次郎

2019年11月10日 00時54分37秒 | 邦画1981~1990年

 ◇男はつらいよ 口笛を吹く寅次郎(1983年 日本 105分)

 監督/山田洋次 音楽/山本直純

 出演/渥美清 倍賞千恵子 吉岡秀隆 前田吟 笠智衆 三崎千恵子 太宰久雄 竹下景子

 

 ◇第32作 1983年12月28日

 竹下景子は夢ではお見合い写真で登場するだけだけれども、偽物の寅として登場するのがレオナルド熊だった。

 そうか、この時代だったのかとおもったわ。中井貴一も杉田かおるも若いカップルなんだもんね。ちなみにこの夢の中でいつもの寅の口上は言っちゃってるもんだからタイトルバックの歌の前の口上は「大道三間 軒下三寸 借り受けましての渡世 わたくし、野中の一本杉でござんす」と替えられてる。

 なんだか雰囲気が違うぞとおもってれば、やっぱり後々まで印象に残るものだったのか、この作品のロケ地高梁については後のテレビの特番で倍賞千恵子と前田吟が訪れて懐旧の情に浮かべてた。なるほど、博にとっては故郷になるんだものね。それにしても備中高梁の薬師院、立派だな。

 坊主に扮する一連の喜劇的な場面はまあいつものとおりだけれども、観ていておもったのはこの前年に志村喬が亡くなったことだ。

 で、そのお葬式に寅が出られなかったことをお墓参りしながら寅が物語るわけだけど、たしかにこういう話を作らないと、いつのまにやら志村喬がいなくなっちゃうことになるもんね。

 もうひとつおもったのは松村達雄のことだ。どんな理由からおいちゃんを辞めたのかはわからないけど、そのあとも何回か出演してるところをみると、揉めて辞めたわけでもなさそうだし、なんだったんだろうね、理由は。

 まあそのあたりのことは擱いといて、ここでも寅はもてる。なんでか知らないけど、高梁のひとびとは寅を多少のあざけりも含めて馬鹿にしながらもなんとなく気に入ってる感じにまとめられてる。

 なんの関係もない他人は岡目八目だからそうなるんだけれど、なんでまた竹下景子のようなかいがいしく立ち働くインテリの出戻り娘が寅に惚れるのかわからないし、中井貴一と杉田かおるの純情を案じたという体でとらやにまでやってくる気持ちを、寅はいつものとおり誤魔化して、ふる。

 父親の松村達雄が竹下景子に「おまえも再婚したらどうだ」と訊いたら「寅さんみたいな人なら再婚したい」といったことになってるわけだけれども、それを寅は逆に利用して誤魔化す。

 頭の良いやつだとおもうわけだけれども、まあ、寅の人生と優しい気持ちをおもえばそうでもしてごまかさないと結局は不幸な将来しか待ってないからね。

 でも、そういうことをわかってるんなら、寅はあまりにも阿呆か残酷だな。

 自分の片思いだけを愉しんで、いざとなったら身をひくというか逃げる。その気にさせておいて逃げるというのはいちばん卑怯だとおもうんだけどな。

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男はつらいよ 旅と女と寅次郎

2019年11月09日 00時44分11秒 | 邦画1981~1990年

 ▽男はつらいよ 旅と女と寅次郎(1983年 日本 101分)

 監督/山田洋次 音楽/山本直純

 出演/渥美清 倍賞千恵子 吉岡秀隆 前田吟 笠智衆 三崎千恵子 太宰久雄 都はるみ

 

 ▽第31作 1983年8月6日

 なるほど、都はるみの舞台で終わるから冒頭の夢も舞台なわけだ。くわえて寅と都はるみの逃避行のような旅が佐渡だから佐渡金山の飢饉を救った寅の夢になるんだね。

 それはまあいいとしても、吉岡秀隆の運動会に出るだの出たら迷惑だのという第一幕はあまりにも辛かった。

 まさか運動会のような大芝居はロケ費も嵩むからありえないだろうし、もしも寅が運動会で大顰蹙を買うようなことになったらもう堪えられないとおもっていたらそこはやっぱり吉岡秀隆の泣きで収まったものの、この寅の傍若無人ぶりはいったいいつまで続くんだろう。

 いくらなんでも、もうきついな~。

 ま、それもいいけど、都はるみとの『ローマの休日』みたいな展開も辛かった。

 ただ唯一の救いは、寅が北林谷栄によって都はるみの正体を知ってからもしばらくのあいだはとぼけて旅を続けてやったことで、寅は寅の惚れたおもわくで旅を続けたいとおもったにせよ、都はるみの勘違いというか寅の善良さを過剰評価したというか、ともかく感謝されたということだね。

 でも、あとは『涙の連絡船』みたいな『あんこ椿は恋の花』みたいな『伊豆の踊子』みたいな佐渡の別れのほかはやっぱり辛いな~。

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男はつらいよ 寅次郎あじさいの恋

2019年11月07日 00時31分02秒 | 邦画1981~1990年

 △男はつらいよ 寅次郎あじさいの恋(1982年 日本 110分)

 監督/山田洋次 音楽/山本直純

 出演/渥美清 倍賞千恵子 吉岡秀隆 前田吟 笠智衆 三崎千恵子 太宰久雄 いしだあゆみ

 

 △第29作 1982年8月7日

 あれれ、タイトルバックは江戸川の土手じゃなくて信州北アルプスの木崎湖だよ。しかも歌の合間に小芝居まである。寅がとらやに葉書を書くんだけど、湖畔で絵を書いてる初老の趣味人に「懐かしいという字はどう書くんだい」と訊き、ついでに代筆まで頼み、そこでここぞとばかりに葛飾柴又の名乗りをあげるんだ。

 今回は違うぞ、といいたげだった。

 けど、そうでもなかった。あいかわらず、寅はもてる。

 ただ、人間国宝の陶芸家になってる片岡仁左衛門の元弟子の柄本明に棄てられた女中いしだあゆみになぜか惚れられる。まあ、男の出世欲というか願望を満たすためには恋愛も結婚も踏み台でしかないという醜さに打ちのめされると人生風任せの寅に錯覚の仮想恋をしてしまうんだろうけど、しかしここでも寅は逃げる。

 とらやへ逃げ帰って恋の病とかいって寝込む羽目になるのに、いつものとおり逃げる。

 いや、丹後伊根町まで訪ねてきて泊まるんだから、ひどい。

 錯覚中のいしだあゆみにしてみれば抱かれる気になるのは無理からぬことで、その高揚した気分のまま上京してとらやまで行ってしまったらもう止まらないね。付け文までして鎌倉に呼び出し、江ノ島の旅館で抱かれたいとおもいつめてしまうのは当然のなりゆきのような気もする。

 けど、寅は満男を連れていく。これはいしだあゆみに対して失礼だな。

 伊根でもその気になって部屋へ上がってきたいしだあゆみに寝たふりをするという卑怯さを見せるが、ここでもまた卑怯な手を打つ。にもかかわらずいしだあゆみと別れてから満男の前で泣いたりする。

 なんだ、このちぐはぐさは。

 まあたしかにいしだあゆみの行動はちょっと怖いが…。いやまじ、男日照りっていうのは難があるかもしれないけど、そんなふうにおもえちゃう。棄てられた腹いせではなくて、まじに追っかけてくるんだから、そう受け取られても仕方ない。

 そこまで失恋の傷がひどかったってことになるのかどうかはわかららないけど、が、しかし、恋に真正面から向き合わない寅はやっぱりあかんな。

 それ以上にあかんのは安物陶器をたたき売るとき、仁左衛門の名をかたることだ。それをなにもかも承知とかいう笑顔で仁左衛門も声をかけるのは好い結末みたいに見えるんだけど、これはよくない。寅のためにもよくない。

 これを大団円として認めてしまう日本人は、なんかふしぎだ。

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男はつらいよ 寅次郎紙風船

2019年11月06日 00時21分52秒 | 邦画1981~1990年

 ◇男はつらいよ 寅次郎紙風船(1981年 日本 101分)

 監督/山田洋次 音楽/山本直純

 出演/渥美清 倍賞千恵子 吉岡秀隆 前田吟 笠智衆 三崎千恵子 太宰久雄 音無美紀子

 

 ◇第28作 1981年12月28日

 前回の松坂恵子に続いて、今回の音無美紀子も夢に出てる。マドンナも出演するようになったのかしら。

 で、共演の岸本加代子の夢の台詞は『岸本加代子のかよこの小部屋にご出演なさいまして…』だし、テレビでとんかつの揚げ方を放映している伏線から、ノーベル賞をとった外科医の寅がメスをとると患者の腹はとんかつになり、そこへメスを入れてとんかつを切り取るという寸法だ。寅が一高の生徒になり、音無美紀子が看護婦に扮する愛染かつらの回想といい、今回はうまいな。

 しかし、本編、寅の惨めさは凄いね。同窓会で嫌ていうくらい迷惑がられて東八郎には面と向かって「おまえみたいなやくざもの」と罵倒されて醜態をさらす。心に突き刺さるくらい嫌な気持ちになる場面だけど、山田洋次の冷徹さは堂に入ってるわ。

 けど、小澤昭一の「おれが死んだらあいつを貰ってやってくれ。あいつが誰とも知らねえ野郎に抱かれるのは我慢ならねえ」ていう台詞は罪だな。音無美紀子にも同様の遺言を遺して死ぬんだけど、でもこれは呪縛じゃなくて引き鉄になってるんだよね、寅と音無美紀子のふたりにとって。

 本郷の坂の途中の電柱に『鳳明館』の広告看板がぶらさがってるのがなんとも懐かしかったけど、坂道のかたすみで話をしてとらやへ出かける約束を交わしたとき、もうふたりは両想いになってるんだな。このあたりのしみったれた風情はうまいね。

 でも、別れをどうするかはこういうときは難しいね。

 死んでいく人間への餞にうんといっただけよ、そうだよね犬や猫じゃないんだし呉れてやるとかいいかげんにしろっていうんだ、というふたりのやりとりはたしかにそのとおりで、でも、現実には「それはそれ」ってことになるはずだ。出会いのきっかけではあるけれどそのあとは生き残ったふたりの問題だから別な物語が始まるはずなんだけど、ここでも寅はやっぱりあっさりしたものだ。

 岸本加代子に妙なほど慕われたときもそうで、寅はふたり一緒の部屋で寝ることを拒み続け、いつものように宿の女将の部屋で寝る。健さんだったからかっこいいけど、寅だとどうにもかっこつけすぎか莫迦に見える。それが寅の寅たるゆえんなんだろうけど、ともかく、この回ではふたりの女に好かれて、ふる。すごいもてようだな。

 ところで寅は音無美紀子と所帯を持とうとして、本気で就職試験を受けるんだが、案の定、落とされる。あたりまえの話で、中学だって校長を殴って通わなくなったし、小学校の同窓会でも蛆虫か毒蛇のように嫌われてるほどの人望の無さだ。入社試験に通るはずがない。

 でも期待してたんだよね。ここが寅たちの甘っちょろいところで、世間の冷たさを実感した寅は自虐的な嗤いを浮かべる。紙風船なんだよね。山中貞雄だね。つらいね。なにもかも自分のせいなんだけど、人生を否定された寅としてはもう旅を続けるしかないんだね。どこかでおっ死ぬまで。

 でもちゃんと香具師をやってるんだから、ぼくより偉いか。

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男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎

2019年11月05日 00時09分02秒 | 邦画1981~1990年

 ◎男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎(1981年 日本 104分)

 監督/山田洋次 音楽/山本直純

 出演/渥美清 倍賞千恵子 吉岡秀隆 前田吟 笠智衆 三崎千恵子 太宰久雄 松坂慶子

 

 ◎第27作 1981年8月8日

 松坂慶子、夢の中にまで登場してる。マドンナでは初めてことなんじゃないかしら。それとも、僕が憶えていないだけかな。

 あ、この回から吉岡秀隆が登場するんだね。まだ、じゅんの面影があって、おもわず「おお~」と口走ってしまったけど。

 松坂慶子はちょうど『愛の水中花』がヒットしてた頃のようで、寅も縁日で「愛の水中花」を売ってたりする。

 これはご愛嬌だが、それにしてもこの当時、大阪のカップルが遊びに行く山といえばやっぱり生駒山なんだね。

 宝山寺新地(生駒新地)に出かけていくわけで、それも松坂慶子は芸者なんだからその辺のところはよくわかっているはずだよね。だからそれとなく誘っていたってのもわからないんじゃないんだけれども、そこはそれ寅だから。男女の理にはまったくの頓珍漢だから、弟の存在を知るやすぐに下界へ降りちゃう。

 で、弟の死を知ることになるんだけど、この弟の恋人のマキノ佐代子が魅せる。お尻をだ。ジーパンのお尻を寅たちに向けて台所に立つんだけど、それはこのお尻と弟の恋人っていう対比が強烈で、だから大きくて形の好いお尻の彼女が抜擢されたんじゃないかっておもうわ。

 それと笑福亭松鶴も含めた初音礼子と芦屋雁之助のいかにも浪花的な濃厚なやりとりはどうだろう。ここらの場面は寅では珍しいな。

 ただ、やっぱり寅の美学にもならない弱腰の展開だ。いつもどおり逃げるのだ。童貞なのかとその臆病ぶりを罵倒したくもなるけど、これが高倉健だったら「かっこええな~っ」てことになる。ふしぎだね。

 それはともかく、松坂慶子はよく演じてる。弟の死を知るまでは好い恋をしかけてて、弟の死を知ったとき、寅が運送屋で「皆さん、お世話になりました」と仕切ってみせたとき、まじで惚れるんだね。で、酔いに任せてついに寅の胸で泣きたいとおもい、そのまま恋を成就させてしまいたい激情にもかられて木賃宿の「新世界ホテル」へ飛び込んでくるんだな。ほんとにもてるな、寅。

 でも、寅は逃げるんだ。ほんとに卑怯だな。女をその気にさせておいて、非道い男だとおもうよ。

 だから、山田洋次はそのあたりをしっかりと撮ってるね。松坂慶子が夜明け、たったひとりで宿を去っていくワンカットだけじゃなくて、さらにタクシーにまで乗って去っていくところをじっくりとワンカット。このあたりは、さすがだ。

 でも、そのあとが良くないんだな。

 松坂慶子がとらやにやってくるのはいい。寅を好きで、最後の賭けにやってきたのかとおもわせる。結婚の報告をするわけだから、ぼくらとしては「お、最後の賭けだな。結婚することにしたが、寅がするなといえばしない、おれの嫁になれといわれればなるってところだな」とおもうんだ。でも、ところが、どうやら結婚相手も東京に来てるらしい。

 なんとまあ、しかも松坂慶子が寅を好きだとわかってるから、とらやにまで電話をかけてくる。

 別れをいいに来たというわけなんだろうけど、ちょっと未練がましい気もしないではないし、なにより「寅がいるかどうかもわからない、せめて寅の故郷を見てみたい」という女ごころがそうさせたと解釈するのがいちばん好いんだろうし、寅と会えたのはまったくの偶然と解釈するのがいちばん納得できるのかもしれないんだけどね。

 いずれにせよ、松坂慶子は別れを告げにきたのではなくて、寅を忘れるために柴又に来たんだけど遭っちゃったんだな。

 ま、それはいいとして、ラストはいけないな。

 寅が、松坂慶子の嫁入り先の対馬まで往っちゃうんだ。夫の斎藤洋介も心の中は穏やかじゃないよ、ほんとは。しかも、松坂慶子が泣いて喜んでるんだから、この先、夫婦仲がまずいことになるんじゃないのかって終わりのようにおもえちゃうんだもん。浅丘ルリ子みたいな展開になればまた話は別だけど、そうじゃないんだからさ。

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帝都大戦

2019年09月18日 18時30分31秒 | 邦画1981~1990年

 ▽帝都大戦(1989年 日本 107分)

 監督/ラン・ナイチョイ 一瀬隆重 音楽/上野耕路

 出演/加藤昌也 南果歩 嶋田久作 丹波哲郎 土屋嘉男 中丸忠雄 日下武史 高橋長英

 

 ▽なぜ、実相寺昭雄に撮らせなかったのか?

 孤児になってしまった目の見えない女の子が南果歩だけ見えるというのはどういうことかとおもってれば、加藤雅也も露草みたいに青く薄く光ってるというんだから、ま、そんな感じかと。

 けど、それは映像で見せてくれないとね。

 それと、戦後じゃあるまいし、金網で囲まれた秘密基地とか無しだせ。

 それも呪法をするところでしょ?丹波さん、こういうときは文句いわないからな~。

 それより、アクティオンアスカって何語ですか?

 昭和20年の非常時にアクティオンとかあり得なくないか?

 看護婦當直室の字の並び、逆だし。しかし、嶋田カトウ久作、サイコキネシスでガス管とか曲げて爆発させられるんなら、南果歩の手足くらいいとも簡単に折れるんじゃないのかな。それは、しないのか。ほかの憲兵や歩兵は片っ端から捻り殺されちゃうのに。

 なんか、あら探しになっちゃってるけど、せっかく大掛かりなセット組んでるのに、どうにも視点がくるくる変わる粗削りな脚本と緊張感の欠けた演出で、ちょいとつらいわ。

 そもそも、脚本の方向性が間違ってるような気がする。

 なにより、もう、将門とか関係なくて、将門に願うのは本来、東京を壊滅から守ってほしいってことで、原爆を落とされることになってたのから守ってもらうというんならわかるけどさ。

 それに、ルーズベルト調伏ていう使い古された話題をまじめにしようとする丹波さんたちと軍部とかはちょっとありえなくて、それが丹波さんはやっぱり良い人で実はヒットラー調伏だったとかのラストは途中で見えてくるし、結局、それは物語を薄めるだけのことで、カトウはないがしろにされるし、それどころか最後の最後まで正体がわからず、単なる化け物にされちゃう始末だ。

 なんだかまあ、知的要素の欠如した映画だったわ。

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帝都物語

2019年09月17日 23時12分05秒 | 邦画1981~1990年

△帝都物語(1989年 日本 135分)

監督/実相寺昭雄 音楽/石井眞木

出演/嶋田久作 原田美枝子 坂東玉三郎 中村嘉葎雄 大滝秀治 島田正吾 高橋幸治 平幹二朗

 

△衣の年亥の月亥の日

 知らなかったけど、この日は大正12年9月1日なの?

 ま、それはさておき、なんだか焦点の定まらない脚本だな。

 ながったるいっていうか、結局、主人公であるはずの勝新太郎はひとつのセットから動くことなく、その分、狂言回しの視点が多くなって、観る者を戸惑わせる。

 作り手側にとってこの物語はちょっと荷が重すぎたんじゃないのかな。

 ぼくなら関東大震災から物語を始めるけどな。そしたら、すべてのまだるっこさを解決できるのにね。

 ただ、いちばんの疑問は、将門を目覚めさせても俵藤太を目覚めさせれば終わりなんじゃないかってことだ。将門のちからが強いってことは誰でも知ってるし、だからこそ神田明神もあるし、首塚もあれこれと謂れが残されてる。でも、その将門も討伐されたわけだから、将門を超えるちからの存在はあるはずだっておもうんだけどな。

 それと、重箱の隅をつつくみたいだけど、娘の台詞で『この學天則を実用ロボットにすることがお父様の夢にもだったではありませんか』とかいうんだけど、当時、ロボットって言い方は一般的だったのかな?それはそれとして、學天則てなんとなく食いだおれ太郎に似てないかしら?それはないか。西村晃の作業着、娘とペアルックで場違いにかわいいわ。

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暗黒神話

2019年09月13日 12時05分39秒 | 邦画1981~1990年

 ◇暗黒神話(1990年 日本 100分)

 監督/安濃高志 音楽/川井憲次

 出演/佐々木望 鈴木瑞穂 茶風林 川村万梨阿 速水奨 鶴ひろみ

 

 ◇諸星大二郎『暗黒神話』より

 その昔、といっても高校生の頃だったか、この原作はくりかえしくりかえし読みふけった。

 だからといって、もともと日本の古代神話には興味があったものの、実はなんの知識もなく、ただ漠然とした憧れを持っているだけだった。

 もちろん、古代縄文人だの蛇紋縄文土器だの熊襲だの竹内宿禰だの知っているはずもないし、まあ、なんにも知らない学生が胸をときめかせて古代史に憧れるのはごく普通のことなんだとおもうけどね。

 ただ、あらためておもってみれば、古代史は物語には使いやすい。言葉は悪いが自分のおもっている物語に都合よくあてはめてゆけるからで、とはいえ、生半可な知識でそんなことをすればすぐに墓穴を掘ることになるし、顰蹙や失笑を買うことになる。そういうところからいえば、諸星大二郎は凄いな。

 国東半島、行きたいな~。

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誘拐報道

2017年08月09日 00時58分13秒 | 邦画1981~1990年

 ◇誘拐報道(1982年 日本 134分)

 監督 伊藤俊也

 出演 萩原健一、小柳ルミ子、中尾彬、池波志乃、

    丹波哲郎、藤谷美和子、伊東四朗、秋吉久美子、

    高橋かおり、平幹二郎、菅原文太、三波伸介、

    松尾嘉代、高沢順子、大和田伸也、小倉一郎

 

 ◇揉み手で踏ん反り返る天尾完次

 原作権の交渉の際、プロデューサーの天尾完次はそのようであったと読売新聞に寸評されている。

 まったく、言い得て妙だ。

 それにしても、ショーケンは凄いというか鬼気迫るな。中尾彬のこすっからくて品のかけらもない小悪党ぶりも堂に入ってるし、池波志乃のどうしようもない淫乱ぶりもこれまたまいっちゃうくらい凄い。いや、小柳ルミ子や秋吉久美子も岡本富士太とか役者さんは誰もみんないい演技なんだけど、やっぱ犯人に同情的になってしまう脚本に流されてしまうな。こういうあたり、さすがに松田寛夫は上手だね。

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マタギ

2016年03月11日 18時39分29秒 | 邦画1981~1990年

 ◇マタギ(1982年 日本 103分)

 原作・監督 後藤俊夫

 

 ◇本物の熊と雪

 ぼくはこういう作品は好きだ。

 当時はCGとかないし、おもいきり手作りの映画で、その好さはしみじみと感じられる。

 ただ、なんで老マタギと孫なのかな~とおもったりもする。邦画はこういう物語をつくるときになんでか知らないけど子供が出てくるような気がするんだけど、そんなことないんだろうか?とはいえ、老マタギに女性が絡んでも邦画の場合は妙に生臭くて湿っぽいものになる恐れもあるし、まあ仕方ないか。

 それにしても、この後藤さんっていう監督の撮るものはほんとに一貫してるね。これから後も『イタズ』や『オーロラの下で』とかあるし、独立プロ運動の中に身を置いてきただけのことはあっていかにも現地に密着したロケをしてきたんだな~って感じの絵作りのようにも感じられる。

 こういう映画はほんと少なくなったな~。

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ゴジラvsビオランテ

2014年09月11日 11時57分25秒 | 邦画1981~1990年

 ◇ゴジラvsビオランテ(1989年 日本 105分)

 英題 Godzilla vs. Biollante

 staff 原案/小林晋一郎 脚本・監督/大森一樹 特技監督/川北紘一 撮影/加藤雄大 美術/育野重一 特撮美術/大澤哲三 ビオランテ・デザイン/米谷佳晃、松原裕志、横山宏、西川伸司、大澤哲三 音楽/すぎやまこういち 編曲/デビッド・ハウエル ゴジラ・テーマ曲/伊福部昭

 cast 田中好子 小高恵美 沢口靖子 久我美子 鈴木京香 松川裕美 相楽晴子 斉藤由貴 伊倉一恵 三田村邦彦 高嶋政伸 上田耕一 豊原功補 永島敏行 峰岸徹 金田龍之介 高橋幸治 デーモン小暮

 

 ◇特撮とボク、その53

 1984年に復活を遂げたゴジラがどうして5年間も製作されなかったのかわからないけど、ともかく、この作品は数あるゴジラシリーズの中ではヘドラと並んで異色だ。ヘドラは半分子供騙しなところがあって、やけにサイケデリックだったりした分だけ損をしてるけど、こちらはそうじゃない。恵まれてる。なにがどう恵まれてるのかは長くなるからやめとくけど、ともかくもゴジラ映画はいついかなるときも愛されてる。

 で、ヴェルレーヌの詩『秋の日のヴィオロン』から取られたっていうビオランテなんだけど、まあ、原案者がそういってるんだから「ああ、そうなんだ~」としかいえないけど、封切られたときから「バイオロジカルな怪獣だからやっぱりバイオロジーから取ってバイオランテっていうんだろな~」と固く信じてたもんだから、命名の理由を知ったときには「あらら」とおもってしまった。

 ま、それはおいといて。

 米国のバイオメジャーだのサラジア共和国だのといった連中のG細胞争奪戦がちょっとばかりめんどくさいのと、開発された抗核エネルギーバクテリア (ANEB) がゴジラの体内の核物質を食べるバクテリアでこれを打ち込めば斃すことができるかもしれないってのはいいんだけど、核兵器を無力化する兵器にもなるもんだから世界の軍事バランスを崩しちゃうかもしれないって話になってきて、またもやバイオメジャーが動き出してうんぬんってな展開になるともうまだるこしくてたまらなくなる。そこへもってスーパーX2だの精神開発センターの超能力少女だのって、ああ、もうそういう枝葉を広げるようなことはしないでよってな話になってくる。

 どうしてビオランテとその周辺だけに集中できないんだろ?

 亡くした娘の細胞と薔薇とを融合させたものの、死ぬかもしれないのでさらにG細胞を融合させたら、とんでもない怪物が出来上がっちゃったんだけど、どーしようって話で充分なんだけどな~。

 ただ、この作品はかなりこれ以降のゴジラシリーズを方向づけてしまった観があって、子供たちをひっぱるためと東宝シンデレラを存続させるためっていう、なんだか下世話な理由が見え隠れする超能力をもった少女の登場と、メーサーだけで充分なのに次々に新開発される兵器の登場は、シンプルな怪獣映画を望んでいる者をげんなりさせたんじゃないかっておもうんだけど、それってぼくだけなんだろか?

 あ、とはいえ、上田耕一がゴジラの新シリーズの「顔」になるっていう方向づけは好いけどね。

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ゴジラ(1984)

2014年09月10日 20時22分31秒 | 邦画1981~1990年

 ◎ ゴジラ(1984年 日本 103分)

 英題 The Return of Godzilla

 staff 製作・原案/田中友幸 協力製作/田中文雄 監督/橋本幸治 特技監督/中野昭慶 脚本/永原秀一 撮影/原一民 美術/櫻木晶 ショッキラス&スーパーXデザイン/井上泰幸 コンピュータグラフィックス/土屋裕 映像協力/坂田俊文 特別スタッフ/竹内均、青木日出雄、大崎順彦、クライン・ユーベルシュタイン、田原総一朗 助監督/大河原孝夫 音楽/小六禮次郎 主題歌/ザ・スター・シスターズ、作詞:リンダ・ヘンリック、作曲編曲:小六禮次郎 挿入歌/沢口靖子、作詞:荒木とよひさ、作曲:三木たかし

 cast 小林桂樹 田中健 沢口靖子 宅麻伸 小沢栄太郎 内藤武敏 金子信雄 加藤武 鈴木瑞穂 織本順吉 御木本伸介 小泉博 村井国夫 佐藤慶 かまやつひろし 森本毅郎 石坂浩二 武田鉄矢 夏木陽介

 

 ◎特撮とボク、その52

 放射能を中和するカドミウム溶液弾って、なんだ?

 という疑問は浮かぶものの、それ以外ではまあなんの違和感もなく、ひさしぶりにまともなゴジラに再会できたって感じはしてる。物語の設定としては、1954年から30年ぶりに現れたことになってるけど、オキシジェン・デストロイヤーによって東京湾の藻屑になった初代の次に、二代目がアンギラスと戦ってるわけだから、ゴジラの正当な設定を考えるなら、氷山に埋もれていたゴジラでなければならないはずが、大黒島の爆発によって目覚めたのではないかという推論がなされるのはちょっとおかしいような気がするんだよね。

 で、ゴジラが静岡県の井浜原発を襲うんだけど、原子力をエネルギーにするって、なんだ?

 という次なる疑問が浮かぶ。ゴジラって、原水爆の実験によって目覚めたものの、それで巨大な爆発で目が覚めて、放射能を浴びたせいで突然変異をひきおこして巨大化したんじゃなかったっけ。となれば、ゴジラが放射能を必要とするようになったのは、生きるための栄養源として体内に放射能を蓄積させておかなくちゃいけなくなっちゃったからなんだろうか。で、ときどき熱線として噴出させることもあるわけなんだろうか。そのあたりの疑問がどうしてもぼくには解けない。今回もまた解けなかったんだけど、ただ、ゴジラの場合、移動していくときに微量な放射能は残していくんだけど、それはどうやら人体にはさほど影響がない被曝量ってことかしらね。それはたぶんそうで、フナ虫は数百倍に巨大化してショッキラスっていう怪物にはなっちゃってるけど、人間はそうでもないらしい。

 でもって、ゴジラの帰巣本能って、なんだ?

 ゴジラはそもそも水爆実験によって目覚めたんだけど、そのとき帰巣本能によって呉爾羅大明神として祀られていた小笠原諸島の大戸島へやってきた。それは水爆の恐ろしさから逃げるためでもあったかもしれないし、島民を頼ったつもりが怪獣の襲来とされてしまい、ついには骨にされてしまったのかもしれないんだけど、ともかくも、ゴジラが帰巣するとすれば大戸島かビキニ環礁しかありえない。にもかかわらず、なんで帰巣本能を刺激されて三原山に誘い出されるのか、ぼくにはよくわからない。

 まあ、そんな疑問は浮かぶものの、あくまでも非核三原則を前面に打ち出した日本政府の姿勢は好しとしたいし、すぐにアメリカのせいにしたがるソ連の横暴さもあんなものだろうし、核ミサイルの脅威を感じる部分もちゃんと描かれてるし、いちばんの疑問のカドミウム溶液弾なるもので動かなくなっていたゴジラが核ミサイルが粉砕された際の放射能の放射によって蘇生するっていうのもわかるんだけど、それじゃあ日本の国土はかなり放射能に見舞われてるんじゃないかっていうさらなる疑問も残ったりする。どうにもこうにも、ゴジラのシリーズにおける放射能の扱いはちょいときつい。

 さらにいえば、三原山の火口に消えていくゴジラってどうよっていう気にもなる。ラドンがそれで斃されてるんだからゴジラはもうちょい別な最期を考えてほしいっておもうのはダメなのかしらね。ただ、ゴジラの造形はかなりの部分、初期に戻されてるんで、それはそれでよかったけど、やっぱり眼がかわいいんだよな~。

 いずれにせよ、ここでゴジラはある程度、完結してるわけだから、この後、昭和時代とおなじようなシリーズ化がされたのは少しばかり残念ではあるんだけどね。どうせならミレニアムまで飛ばしてほしかったかも。

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駅station

2014年01月05日 18時44分13秒 | 邦画1981~1990年

 ◎駅station(1981年 日本)

 端的にいって、ぼくはこの映画が好きだ。

 倉本聰が健さんのために書き下ろしたっていう話だったから、

 当時、ぼくはものすごく期待し、わくわくしながら劇場に向かい、観た。

 たしかに健さんはとってもかっこよくて、

 電車に乗るとき片足をちょんと乗せてちょっと考え込むポーズは、

 なんともいえず渋かった。

 ただ、ひとつだけわからないのは、

 倍賞千恵子と出会って男と女の関係になったとき、

 健さんはどんなふうに考えていたんだろう?

 淋しさをまぎらわすための相手だったんだろうか?

 真剣に好きになっていたんだろうか?

 中途半端だったから、

 やがて逃げてきた室田日出男を銃撃するという、

 ある種、罰があたったような運命が待ってたんだろうか?

 それだけが、どうも判断しにくい。

 ま、そんなことはいいとして、

 ぼくは酒飲みじゃないもんだから、

 ひとりで酒場に足を踏み入れることはまずもってないんだけど、

 健さんはこうやってふらりと暖簾をくぐる。

 で、居酒屋でかかってるのは紅白歌合戦で、

 しかも矢代亜紀の『舟唄』だ。

 こういうしみじみ感は、倉本聰の骨頂だね。

『北の国から』でもそうだったけど、

 どうしてこういう心寂しい世界に矢代亜紀は合うんだろう?

 悲しくて淋しい映画だったな~。

 ひさしぶりにしみじみ観ちゃったわ。

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