◎スター・トレック イントゥー・ダークネス
◎特捜部Q 檻の中の女(2013年 デンマーク 97分)
原題/Kvinden i buret 英題/The Keeper of Lost Causes
監督/ミケル・ノルガード 音楽/ヨハン・セーデルクヴィスト
出演/ニコライ・リー・カース ファレス・ファレス ソニア・リクター
◎ユッシ・エーズラ・オールスン『特捜部Q』
好い絵だね。ことに、過去の事故の絵が凄い。
ただ、上手な脚本だけど、5年間の監禁というのがなんとも嘘臭い。死んでるぞ、ふつう。そもそも、わざわざ監禁する必要はなく、小娘のおとなげない目隠しといういたずらで起こしてしまった事故の、両親と妹を亡くされてしまった過失の腹癒せなら、さっさも殺してしまえばいいともおもうけどな。
でも、過去の事件を追ってゆく特捜部の地味さはなんともいい感じだね。
◎パニック・トレイン(2013年 イギリス 97分)
原題/Last Passenger
監督/オミッド・ノーシン 音楽/リアム・ベイツ
出演/ダグレイ・スコット カーラ・トイントン デヴィッド・スコフィールド
◎ロンドンからタンブリッジ・ウェルズへ
列車にかぎらず、暴走したら大変なことになるっていう物語は実によくあるんだけど、これがくりかえし作られるのはやはり需要があるからで、しかもスリリングなことにかけては右に出るものがないってくらいの単純にして明確な物語だからなんだけど、もちろんそうである以上、つまらないものは少なくない。
でも、この小品は、予想を超えておもしろかった。音楽があまり効果的ではないけど、ちょっと不気味な感じがあって地味なんだけどジョーズみたいな雰囲気だったわ。
わからないのは、よしだまさこという日本人たちか数名関係してる。これって、なんなんだろう?
◎それでも夜はあける(2013年 アメリカ、イギリス 134分)
原題/12 Years a Slave
監督/スティーヴ・マックイーン 音楽/ハンス・ジマー
出演/キウェテル・イジョフォー マイケル・ファスベンダー ベネディクト・カンバーバッチ
◎ソロモン・ノーサップの奴隷体験記『Twelve Years a Slave』
ずうっと受け身なままでいるのは主人公の置かれている状況からして仕方ないのかもしれないけど、もうすこし製作者ブラッド・ピットの出番があってもよかったような気もする。視線を移動させると緊張感が途切れちゃうかもしれないけど、どうせ、結末は見えてるわけだから。
でも、どっちがいいのかはわからない。
中途半端だったのはカンバーパッチの役柄で、あと一歩、踏み込んでほしかったな。
◇僕が星になるまえに(2013年 イギリス 93分)
原題/Third Star
監督/ハッティー・ダルトン 音楽/スティーブン・ヒルトン
出演/トム・バーク ベネディクト・カンバーバッチ ヒュー・ボネヴィル
◇カンバーパッチ映画初出演
まあ、なんというか、ひと言でいえば退屈だった。
末期癌の症状や闘病については尺は取らず、ひたすら四人の若者の旅を見つめて、哲学的な命題もふくめて語り合い、心の中を確かめ合ってゆくという構成はとてもいい。でも、薄めた紅茶のような人生だと自己を皮肉り、あてがあるようなないような生まれ故郷から島へと渡っていく旅をだらだらと続けてゆくのはちょいとだるかったかな。
△PARKER/パーカー(2013年 アメリカ 118分)
原題/Parker
監督/テイラー・ハックフォード 音楽/デヴィッド・バックリー
出演/ジェイソン・ステイサム ジェニファー・ロペス エマ・ブース
△リチャード・スターク『悪党パーカー/地獄の分け前』
汚い金しか盗まないとかいったところで、どのみち犯罪者なわけだし、そういう設定は洋の東西にあるんだけど、それがたとえパームビーチの風光に満ち溢れたところだろうとなんだろうと、どうもなあ。
なんにしても、ジェニファー・ロペスが観られなかったら観なかっただろうなあ。
◇エージェント : ライアン(2013年 アメリカ 106分)
原題/Jack Ryan : Shadow Recruit
監督・出演/ケネス・ブラナー 音楽/パトリック・ドイル
出演/クリス・パイン ケビン・コスナー キーラ・ナイトレイ ミハイル・バリシニコフ
◇ジャック・ライアン、CIA入局
同棲中の彼女に疑われちゃうんだから、映画の半券くらい始末しとこうぜ、ジャック。
てなことをいわれかねないくらい、疑り深くて嫉妬深くて頭の悪い眼科医の婚約者を演じたキーラ・ナイトレイなんだどけ、ちょっと顔にちからが入りすぎてるのはなんでなんだろう?
まあ、時代がかった作品の常連ってこともあって、どうしても現代劇ではオーバーな演技になっちゃうのは仕方ないのかもしれないど、そんなことより、なんてまあ顔の小さいこと。あ、クリス・パインが大きいのかな。
いずれにせよ、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスを出てニューヨークの投資銀行に勤めていたジャック・ライアンがCIA情報分析班のアナリストになって最初の晴れ舞台を踏むって内容ながら、続編は作られないのね?
◇美しい絵の崩壊(2013年 オーストラリア、フランス 111分)
原題/Two Mothers
監督/アンヌ・フォンテーヌ 音楽/クリストファー・ゴードン
出演/ナオミ・ワッツ ロビン・ライト ソフィー・ロウ ジェシカ・トベイ
◇親友の息子とスワッピング
なんとまあ凄まじい主題かって話なんだけど、これってナオミ・ワッツとロビン・ライトだから可能なわけで、さらにいえば芸術的な雰囲気まで醸し出されてくるんだけど、結局のところは、いつまでも女でいたいとおもう熟女がおたがいの息子をつばめにしちゃってあら大変っていう話でしかない。
世の中、男も女も困ったもので、いつまでも現役でありたいと願ってるし、それが現実になっちゃったらこれはもう溺れるしかない。人間ってのは所詮そんなものなんだよね。
でも、これが人間の皮肉ってやつで、むんむんの熟女になっても男から言い寄られなければダメなわけで、若い男に迫ってもその気にさせられるだけの魅力が必須条件になる。もちろん、それが爺さんであってもおなじことだ。
ただまあ、禁断の愛だの、大人の色香だの、愛欲に溺れるだのといったところで、それはこういう美形な、つまり美しい絵になるような四人でないと成立しないところがちょっぴり悲しかったりするんだな。でもいいんじゃないか、こういう美しい絵は、崩壊していくありさまがよりいっそう美しさを誘うんだから。
☆不機嫌なママにメルシィ!(2013年 フランス、ベルギー 87分)
原題/Les garcons et Guillaume, a table!
監督・脚本・主演/ギョーム・ガリエンヌ 音楽/マリー=ジャンヌ・セレロ
出演/ダイアン・クルーガー チャーリー・アンソン ブリジット・カティヨン キャロル・ブレナー
☆自伝的戯曲らしい
おもしろかった。
ゲイじゃないと気がつく男の子の物語だ。
男の子たちとギョームと呼ばれる男の子なのだが、見事に演じてる。途中、いんげぼるぐという名前の温泉療養所の看護婦で、登場するダイアン・クルーガーがやけに綺麗なんだが、それはさておき、ゲイなのかゲイとしての素質を持ちながらもなりきれていないのか、ともかく母親の影響があまりにも強すぎるがためにオカマ同然に扱われ、それをまた素直にかつ自然に受け入れてしまっている息子の物語だが、男っぽい口調ながらも女っぽい仕草もする母親と、母親の真似が得意ですべての動作と口調があまりにも女性的な息子のひとり二役は実にうまい。
それにしても、自宅、寄宿舎、留学先、療養所でのモノローグの途中、唐突に登場する幻影なのか空想なのかもわからない母親とのやりとりは実にシュールで、それらがすべて劇場の舞台で告白されてゆくという二重構造になっている構成のうまさ。
で、ゲイじゃないと気がつくきっかけは女の子たちとギョームと呼ばれる女の子に出会い、恋をすることなのだが、それを知った母親が『あなたはゲイじゃなかったの?』と落胆するという感情はいったいなんなんだともおもう。つまりは母親の呪縛から解放されてゆく話なのだが、それを舞台で告白したとき、はじめて母親役が『かれ』ではなく女性の役者が演じる。
うまい演出だな。
☆her 世界でひとつの彼女(2013年 アメリカ 120分)
原題/Her
監督・脚本/スパイク・ジョーンズ 音楽/アーケイド・ファイア
出演/ホアキン・フェニックス エイミー・アダムス ルーニー・マーラ オリヴィア・ワイルド
☆近未来LAの代筆ライター
人工知能型OS・サマンサの声を担当したのはスカーレット・ヨハンソンで、彼女はこの声だけの出演でローマ映画祭で最優秀女優賞を受賞したらしいんだけど、撮影中はサマンサ・モートンが声を出してホアキン・フェニックスの相手を演じていたらしい。なんだか辛い話だな。
ただまあ、物語はおもしろいものの、なにもこのサマンサはOSでなくて幽霊でもいいし、多重人格のひとりであってもいいし、テレクラのさくらであってもいい。
つまり、目に見えないけれどもその声が聴こえて、電話一本でいつでも繋がり、さらには彼女が同時に不特定多数の男と話ができるという条件を満たし、最後には新たな段階をのぼって別な世界に行ってしまうことのできる存在であればいいわけで、そうしたことからすれば、物語というのは基本はおんなじで手を変え品を変えて作られているんだね。
とはいえ、音楽だけで台詞のないカットバックをもう目まぐるしいほどたくさん積み重ねているところからすると、撮影の丁寧さはたいしたもので、脚本も痛いところをついてきて、いやまったく男女の心理と微妙な理を台詞にすることができ、かつまた映像にもすることができるというのは、たいした才能だとおもうわ。
◇俺はまだ本気出してないだけ(2013年 日本 105分)
監督・脚本 福田雄一
出演 堤真一、橋本愛、石橋蓮司、生頼勝久、山田孝之、濱田岳、指原莉乃、ムロツヨシ、水野美紀
◇だったら本気出せばいいじゃん
なにもまじめに考えることはないんだけど、ぼくみたいにもういい歳になってくると「いやさあ、おれも本気出してないんだけどね~」とかいって頭をかきながら笑ってばかりもいられない。
まあそんなことはさておき、原作は知らないからなんともいえないんだけど、娘を風俗で働かせたらやっぱりあかんだろ。それを知れば、ふつうの人間だったらちっとは人生考えるぞ。能天気に自己を全肯定してる場合じゃないな~とか。けど、馬力ばかりがすごいこの主人公にはそういう反省とか自戒とか辛抱とか努力とかいったことはないんだな。
まあ、アルバイトしてるだけ、ましなのかもしれないけどね。
つまりはそういうことで、アルバイトをするという時点で、実は本気出してるんじゃないかってぼくはおもっちゃうんだよ。おれはまだ本気出してないだけとかっていいわけをする場合、まじに本気出してないだけっておもってるんならアルバイトしなくないか?そんなことをおもったし、本気出してないときバイタリティはそもそもなくなる。
リアリティをもとめるのはまちがってるかもしれないんだけど、本気出してない人間が観たとき、こいつかなりそれなりに本気じゃんっておもわれたらちょっとね。そんなこと、おもったな。
☆人間の値打ち(2013年 イタリア、フランス 109分)
原題 Il capitale umano
監督 パオロ・ビルツィ
出演 バレリア・ブルーニ・テデスキ、ファブリッツィオ・ベンティボリオ、マティルデ・ジョリ
☆イタリア・ミラノ郊外
3つの物語、父親、娘の別れたばかりの彼氏の母親、そして娘の物語に、まとめの話がくっついた構成は嫌いじゃない。
人間の値打ちというのは、自動車にはねられて死んだときの将来的な稼ぎの全額をいうのだと最後にいわれるんだけど、その額ですみあった罰が世間的には娘の数年間が禁固となるわけだが、ほんとは娘は新しい恋人のために身代わり犯となるわけで、その新しい恋人の価値が禁固刑に価するのかどうかはなんともな~。
物語は最後にどんでん返しのように新しい恋人の存在が見えてきて、とても上手だ。
◇ストックホルムでワルツを(2013年 スウェーデン 111分)
原題 Monica Z
監督 ペール・フライ
出演 エッダ・マグナソン、スペリル・グドナソン、シェル・ベリィクヴィスト
◇異国の歌は母国語で歌え
モニカ・ゼタールンドを知らないからなんともいえないんだけど、ジャズ歌手なんだよね?
なんでワルツなんだろ?という疑問はおもったけど、まあ、邦題なんだからあんまり深く追及したところで仕方がないかもしれないね。
まあ、それはそれとして、モニカが行き詰ったときに気づいた「母国語で歌えばいいんだ、それでないとほんとに心に沁みる歌詞にならないんだ」というのは、すごくわかる。だって、外国語がまったくわからない僕は、英語やフランス語で歌われるとかっこいいとはおもうんだけど、なにを歌ってるのかちんぷんかんぷんなんだもん。
とはいえ、日本語訳が悪かったらどうすんだろ?ともおもうんだよね。
☆陽だまりハウスでマラソンを(2013年 ドイツ 105分)
原題 Sein letztes Rennen
監督・脚本 キリアン・リートホーフ
☆78歳にしてベルリンマラソンに挑戦
それだけの映画なんだけど、これが上手に撮れてるんだ。
1956年のメルボルン五輪マラソン競技で金メダルを獲得したんだけどもはや伝説というよりも忘れ去れた観のある爺さんの話で、老人ホームに入居させられながらも一念発起してベルリンマラソンに出ると決め、決死のいきおいで練習していくところが物語の核になってる。もちろん、本番のマラソンが佳境なのは当たり前なんだけど、それまでにまあいろいろとある。
ドイツの喜劇俳優ディーター・ハラーフォルデンがまたいい。人間、年を食えば食うほど味が出るもので、この人も例外じゃない。病気の奥さんに助手をさせても、老人ホームの縛りから脱するべく走るわけだけれども、つまり、他人に束縛されることの辛さは堪えがたいという意識が、かれをして走らせるんだね。こういう気持ちはよくわかるし、老人ホームについてまわる自由なき束縛観の打破、あるいは過去の栄光や名誉などすぐに忘れ去られてしまう辛さ、さらには人間らしく老いて初めて人生の充実があるのだという主題は、ぼくは好きだな。
◇グランド・ジョー(2013年 アメリカ 117分)
原題 JOE
監督 デヴィッド・ゴードン・グリーン
◇ニコラス・ケイジのいちばん地味な作品
なんじゃないかっておもえるくらい、前半の単調なつまらなさといったらない。それが後半なんとか持ち直して佳境へ到るのはたぶんニコラス・ケイジあってこそなんだろね。これが無名の役者だったら、もう堪えられなかったんじゃないかと。
いやまあ唐突に始まるアル中でDVの極みのような父親と、どえらく一本気な息子との会話からしてそうだ。とてもニコラス・ケイジ主演の映画の出だしとはおもえないくらいじめじめした中途半端な幕開けだ。くわえて、ニコラス・ケイジの仕事といえば、違法伐採のとりまとめ役で、さらに前科者だってんだからこれはもう陰惨な物語以外の何物でもない。実際、そうだった。
たしかに、自分のどうしようもない人生の中で、もしも荒くれの若いときに道をはずしていなかったら別な人生だったんだろうなと反省したとき、自分を頼りにしている15歳の少年が現れて、その少年の父親がどうしようもない飲んだくれで、少年の稼いだ金を殴りつけてむしり取っては酒や煙草にし、さらには実の娘つまり少年の妹まで暴力をふるって車の中で売春させる野郎だと知ったとき、この子を守るのが自分の最後の使命だとおもうのは当然のことだろう。往年のニコラス・ケイジだったらもうすこし格好いいけじめのつけ方があったのかもしれないけど、もう腹の出かかった今、最後のちからをふりしぼって数発の銃撃をおこなって刺し違えるくらいしかできなくなってるんだと自覚するのは辛いね。
うん、こうしておもいなおすと、ニコラス・ケイジ物の中では演技が中心だったのかもしれないね。