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☆=☆☆☆☆☆
◎=☆☆☆☆
◇=☆☆☆
△=☆☆
▽=☆

バトルフロント

2015年10月27日 00時00分12秒 | 洋画2013年

 ◇バトルフロント(2013年 アメリカ 100分)

 原題 Homefront

 監督 ゲイリー・フレダー

 

 ◇スタローンの後継ぎ

 もしかしたらそんなふうにスタローンとしてはおもってるのかもしれない。すくなくとも『エクスペンタブルズ』で共演したときに、スタローンはジェイソン・ステイサムのことをかなり気に入ったんじゃないかと。だから、みずからこの作品の製作・脚本を買って出たんじゃないかと。そんなふうにおもえるんだよね。なんか、もともとはスタローンがこの作品の主役をやるつもりだったとかって話も聞いたけど、もしもその噂がほんとうに流れてたんなら宣伝の一環だったような気がするんだよね。だって、この物語の主役はスタローンに向いてないもん。

 まあ、田舎のちんぴらを相手に元麻薬捜査官が喧嘩するっていうだけの話で、そのきっかけになったのが子供の喧嘩だったっていうんだから、なんだかものすごく狭い世界のちっぽけな話で、実をいえばこういう話は日本の田舎にだってある。子供の喧嘩に親が出てきて、しかもそのヤンキーの親がさらに兄弟のちんぴらにまで声をかけて暴力に訴えるっていう構図は反吐が出るくらい日本的だ。暴力的な脅しが通用すると信じてるのも日本的だし、ことに田舎なんかに行ったらまったくそこらに転がってるような話でしかない。

 そんな話がなんとなく受け入れられちゃうのは、やっぱり豪華な脇役たちだろう。ジェイソン・ステイサムとぶつかるのはジェームズ・フランコだし、その相方はウィノナ・ライダーだし、ヤンキーの母親はケイト・ボスワースだし、そういう点では安心して観ていられる。みんなでジェイソン・ステイサムを応援してやろうじゃないかっていうような家庭的な雰囲気で、けっこう暴力的な家庭映画を作ったんじゃないかしらね。

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ハンガー・ゲーム2

2015年10月08日 00時21分14秒 | 洋画2013年

 ◇ハンガー・ゲーム2(2013年 アメリカ 146分)

 原題 The Hunger Games:Catching Fire

 監督 フランシス・ローレンス

 

 ◇叛乱前夜の兆し

 ほんとにこの物語は革命ドラマの王道というか、その序盤をおもわせる。

 ハンガー・ゲーム自体は前回よりも淡白に扱われ、さっさとけりがつけられた印象はあったけれど、それはある意味当然のことで、いまさらゲームがどうなっていくんだろうとかどうやって勝つんだろうとかいった興味はさらさらなくなってる。観客の興味はいつジェニファー・ローレンスが叛逆の志を確信するのか、そしてまた叛乱の同士はどうやって集まってくるのか、という点に絞られてくる。そう、つまりこの2はファイナルに向けての前奏曲でしかないのは、これまでいろんな映画の3部作の構成を見ててもわかることだ。

 けれど、146分という長尺をもってしてもその興味をなかなかそそってくれなかったのはちょっと辛い。

 ジェニファー・ローレンスとその仲間たちの糾合、あるいは彼女を頂点にした三角関係などといった興味が焦点になる以上、ゲームは開始と同時に破綻してもいいくらいなんだけど、まあ、そうはいかないだろう。だったら、地方への凱旋ツアーはもうすこしこじんまりとまとめて、そこで出会っていく三つ指へのキスとマネシカケスの口笛についてもうすこし昂揚をあおる展開にした方が好かったんじゃないかっておもうんだけどね。

 ちなみに、ぼくとしてはジェナ・マローンの方がジェニファーよりも好みだ。

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おみおくりの作法

2015年10月05日 02時20分12秒 | 洋画2013年

 ☆おみおくりの作法(2013年 イギリス、イタリア 91分)

 原題 Still Life

 監督・脚本 ウベルト・パゾリーニ

 

 ☆死者たちに野辺に送られて

 エディ・マーサンにとって、おそらく最初の主演作品だろう。なんというか、中産階級に生まれ育って、地味ながらも生真面目な役者として着実に歩んできたとおもわれる彼には、まさしく適役だったにちがいない。孤独死した人の葬儀を出してあげるのが仕事という役場の民生課で、たったひとりの職員として22年間も務め、その勤務があまりにも死者をいたわりすぎたことから解雇されることになった几帳面で凡庸な男をきちんと演じてた。

 孤独死した死者を弔う自分もまた孤独で、最後の仕事が嫌われ者の弔いというなんともやりきれないものながら、その死者のずいぶん前に別れた娘で、保健所で棄てられた犬の世話をしている女性と知り合い、死んだ父親のために真摯に働く姿にほだされた娘とおそらくはしっくりいくであろう恋仲になるのを予感し、それまで単身世帯だったところへ犬のマグカップをふたつ買った瞬間にロンドン名物の二階建てバスが突っ込んでくるなんてのは、しかも、その葬儀には誰も来ず、同じ日に自分が必死になってイギリス中を訪ねて歩いた例の父親の葬儀があって、みんなが参列しているという皮肉まであったりして、いやまあまじにかわいそうで仕方ないながらも、最後の最後で死者たちに野辺に見送られるなんてのは、ほんとによく考えてる。いや、淡々としながらも実にしみじみと見せてくれる映画だったわ。

 ラスト、孤独死していった人たちはやはり亡くなってもなお孤独なのかと、死んだビリーの知人を訪ねておもい、生きることに絶望して解雇された職場で首を吊ろうとしたとき、死者の娘から電話を受け、人間も捨てたものじゃないとまた生きる希望を持てただけでなく、初めて付き合うことのできる嬉しさに舞い上がって、犬の絵柄のマグカップを買ってすぐ、道に飛び出して二階建てバスに跳ねられたとき、おもわず、あっと声を上げてしまったけど、問題はその後で、身寄りのない自分の墓にと用紙していた墓地をビリーにやり、葬式の段取りをつけていたんだから、その葬式と自分の葬式が重なってしまうことで牧師によって彼の声かけによって参列してきたビリーの関係者たちが彼の死を知ることにより、同じ墓地にふたりが埋葬され、死んでも孤独じゃないよって展開になるのかとおもったら、まったく違って、なぜかビリーの葬儀はされず、彼の譲った地に埋められるだけで、しかも葬儀を終えた彼の野辺送りがそのかたわらを通って公営墓地に埋められるだけで、彼女だけがなんかありげにひかれるようにしてそれを見つめ、やがて参列者が去った後、彼がお見送りした死者たちが彼の墓地に集うというのはこのカットを取りたいためだけの筋立てとしかおもえず、どうしてこのカットが撮りたかったんなら、ふたりが同じ場所に葬られてその葬儀が終わった後に死者が集えばよかったんじゃないかっておもうんだけどね。

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ランダム 存在の確率

2015年09月27日 03時40分27秒 | 洋画2013年

 ◎ランダム 存在の確率(2013年 アメリカ 88分)

 原題 Coherence

 監督・脚本 ジェームズ・ウォード・バーキット

 

 ◎ミラー彗星の夜

 パラレルワールドを扱った作品が数ある中で最も低予算なんじゃないかっておもえる作品だけど、とってもおもしろかった。

 ぼくはいつもいってるんだけど、ネタバレという単語が好きじゃない。

 ネタというのは種の倒置語で寿司のネタとかにも使われるように芸人の用語で、噺で生きていく糧にするための噺の核となる部分のことだ。

 それを知りつつあえてここで使うなら、この作品のネタはパラレルワールドだ。だからこの作品でネタをいうなら「これ、多重世界の話なんだぜ」と明言することだ。つまり、世の中でいうネタバレというのは「ラストをばらす」というのが正しく、せいぜい「オチをばらす」という程度だ。だからといって、それを縮めて「ラスバレ」とか「オチバレ」とかいう人間はおそらくひとりもいないだろう。で、ラストをばらせば「多重世界がこんがらかって、主役が複数になっちゃうもんだからそれを殺して自分が生き残ろうとするんだけど、さらにまだ複数の自分が、自分のいる世界に留まっちゃった」っていうなんともよくわからん展開になる。

 でもまあ、ほんとうにおもしろい映画というのは別にラストがばれたってそんなもんどうってことはない。ラストを知りたくて映画を観るわけじゃないし、そこへいたる映像や音楽や演技や編集の妙を愉しむものなんだから。だから、好きな映画は何度も観るじゃん。

 ほんで、この作品だ。そういう要素ひとつひとつがとってもスリリングだった。ドキュメントタッチの映像も白けない程度に抑制が効いてて好感が持てるし、効果音もわざとらしくない程度に入ってくる。不協和音の連続する音楽もまた不安感をあおってくれるし、なにより登場人物たちがごく自然に怖がり、心の乱れ具合を上手に演じてる。くわえて突発的に挿入される暗転というか黒がまた効果的だし、いったい何キャメ使ってんだよっておもわせるカメラワークと切りのいい編集も鮮やかだ。

 おそらく郊外の自宅なんだろうけど、そこで重点的に描かれる群像劇だから予算もきわめて低かったろうし、主演のエミリー・バルドーニとかいうスウェーデンの美人さんをはじめ縁遠い役者ばかりで構成されているのもまた好いし、シュレーディンガーの猫っていう粒子力学の思考実験のこととか上手に挿入してラストを匂わせるのも伏線としては充分だ。

 あ、そうそう、全体の展開を暗示させるのに、白鬚おじさんの物理学者の弟とかを話に出してきて「彗星が最大に接近してきてなにかあったらすぐに電話をよこせ。それとそのとき絶対に外に出てはいけない」とかいって「電話がつながらないのは大変な事態だぞ、そんなときに外へ出たらとんでもなく不幸な目に遭うぞ」という脅しになっているのは効いている。でも、物語というのはそういう戒めを破るから展開するんだよね。

 結局、最後にはパラレルワールドが複数入り混じってしまったために8人の仲間たちも多重世界の住人が入り乱れてしまったんだとたったひとり察したエミリー・バルドーニが元の世界へ戻ろうとあがくんだけど、どうしても戻れず、というかもしかしたら戻っていたのかもしれないんだけど、ともかく、家の中にはもうひとりの自分がいて、こいつがいるかぎり自分の居場所はないとわかるや、自分を叩き殺すんだけど、でも、そのときにおもわず外してしまった被害者の自分の指輪が浴室に残っちゃうっていう『愛がこわれるとき』とおんなじ小技によって、翌日、目が覚めたときに昨夜の出来事は幻想でも悪夢でもなく多重世界に迷い込んだのは事実で、もうひとりの自分がいてそいつを殺してしまったんだけどシュレーディンガーの猫のごとく死体は消えてしまったんだと理解することになるんだけど、この作品はなんといっても主題が多重世界なもんだから、恋人の携帯電話にさらにもうひとりの自分から電話が掛かってくるというオチまでついてくる。つまり、多重世界がいくつも絡まったことで、エミリー・バルドーニはなぜかこの世界に何人も留まってしまったということになるんだろうけど、でも、それだとほかのパラレルワールドにおける自分はどうなっちゃうんだろうね?

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リーガル・マインド 〜裏切りの法廷〜

2015年09月22日 17時18分36秒 | 洋画2013年

 ◇リーガル・マインド 〜裏切りの法廷〜(2013年 アメリカ 97分)

 原題 The Trials of Cate McCall

 監督・脚本 カレン・モンクリーフ

 

 ◇ニック・ノルティの立ち位置が微妙

 いったいなんでここまで恋人でもないバツイチの子持ち弁護士に肩入れするんだ?などといわれてしまいそうな立ち位置のニック・ノルティなんだけど、こういう微妙なところに甘えを感じちゃうのがこの主人公ケイト・ベッキンセイルの甘いところで、冤罪と信じて弁護したものの、それがほんとは有罪だったというのがその甘さを如実に物語っている。

 ていうか、結局のところ、ケイト・ベッキンセイルのまずい人間観察の尻拭いをニック・ノルティの見守る中でみずからしていくっていう話なわけで、もともと、被告のアナ・アニシモーワをしっかりと観察できていれば、こんなことにはならなかったわけで、たしかに物語は難無く運んでいるものの、根本的なところがあかんじゃんかって感じがあって、さらにいうと、特に目新しいところを感じることができなかったんだよね。

 シングルマザーで、なんとかアル中を克服した、ときに暴走しちゃったり、まずったりする弁護士っていう設定自体、なんだかいかにもありがちなんだよな~。

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セインツ-約束の果て-

2015年09月21日 03時42分04秒 | 洋画2013年

 ◇セインツ-約束の果て-(2013年 アメリカ 98分)

 原題 Ain't Them Bodies Saints

 監督・脚本 デヴィッド・ロウリー

 

 ◇変形版『俺たちに明日はない』

 といえばいいのか、ともかく『俺たちに明日はない』のボニーとクライドが生き残ってて、しかもふたりの間に娘が出来てて、捕まったのはボニーだけで、その4年後、ボニーが脱獄して娘に会いに帰ってきちゃうことで悲劇が生まれちゃうっていう物語だ。

 だから、続編にはならないんだけど、心情的にはやっぱり続編としかおもえない。ただし、詩情たっぷりの。

 こういう詩的な作品というのは陶酔しやすいんだろうけど、そもそも、ケイシー・アフレックとルーニー・マーラは罪を犯してテキサスの小屋に立て籠もってたわけで、しかもケイシー・アフレックに至っては昔の仲間たちからちょろまかした金を隠しててそれでもって嫁と娘ともども暮らしていこうとかおもってたりして、つまりはかなりどうしようもない奴なわけで、これじゃあ、ふたりを育てたとかっていうキース・キャラダインも「てめ、いいかげんにしろよ」とかって怒るのも無理はないし、悲劇に向かって突っ走るしかなくなるのも当然といえば当然の帰結だ。

 唯一の救いは、ほんとはルーニー・マーラ自分を撃ったということを知らずに横恋慕し、かつせっせと通い詰めてあれこれと世話を焼いているベン・フォスターなんだけど、こういう人間というのはどうしても好い人なわけでそれ以上の存在にはならない。ほんと、女というやつは困ったもので、世の東西を問わず、たとえそいつが自分のことを悲劇に落としてしまいそうでも、ちょっぴり影のある甘えん坊の不良が好きなんだよね。

 まあ、筋立てはともかく、絵は綺麗だ。全体的に雰囲気もまとまってて、そこはかとないうら寂しさが好い。

 けど、なんていうのか、出てくる人間みんな似たような顔してて、ぎゅっと真ん中にしわを寄せたような、どうにもおもいつめた表情ばっかりしているのは、ちょっとね。

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トレジャーハンター・クミコ

2015年09月20日 00時06分54秒 | 洋画2013年

 ◇トレジャーハンター・クミコ(2013年 アメリカ 105分)

 原題 Kumiko, the Treasure Hunter

 監督 デヴィッド・ゼルナー

 

 ◇映画『ファーゴ』の舞台ファーゴへ

 資料を見ると2014年の製作ってことになってるけど、タイトルロールには2013とあるから多分2013年の作品なんじゃないかっておもうんだけど、どうなんだろう?

 それはともかく、菊地凛子が制作も兼ねてるんだね。すごいな~、菊地凛子。

 それもさておき、映画『ファーゴ』と同じく「本作は実話に基づく」っていうテロップが流れるんだけど、それはどうやら、2001年、ファーゴで自殺した日本人の女性がいたようで、彼女は異性関係のもつれで好きな映画の舞台のファーゴまで行って自殺しようとしただけで、なにも映画の中で雪原に埋めた大金をいれたトランクを見つけようとしてさまよったあげくに死んだわけではないらしい。それは遺書などからわかったことだけれども、彼女に遭遇した当地の警官が「映画の中身を信じてしまった日本女性がいた」と証言したことからそれが独り歩きして米国内に広まったらしい。

 でも、この話が日本で都市伝説と化していたって話は聞いたことがない。

 たぶん映画好きな一部の人間たちの間でいかにも真実めかして語られていたんだろう。で、ともあれ、そんな妙な話を聞きつけたアメリカ人のジャーナリストが検証したところ真実が判明したんだけど、本作を製作したゼレナー兄弟は「映画を真実だと信じて疑わない日本人女性の物語」を作ろうとしたんだね。

 ただまあ、菊地凛子、鬼気迫る演技ながらちょっと痛々しすぎるかな。こんなOLいるんか?とちょっぴりおもっちゃうのはまあいいとして、いや、実際、これに近い感情のOLさんがいるかもしれないし、でも、ここまで精神的に破綻しちゃってる人はさすがにいないだろう。そういうところからいうとリアリズムじゃないんだけど、まあ、そもそも『ファーゴ』がリアリズムじゃないし、結局「真実だといっている映画で描かれた内容を真実だと信じちゃったために死んじゃう女性の物語をあたかも真実を映画化したかのようなテロップを流している映画」ができたということでいいんじゃないかと。

 けど、ほんと、外国人が撮ると日本の舞台もなんだか日本なのに日本じゃないような不思議な空気が漂うんだからおもしろいよね。ぼくはこういう映画的な空気のある映画の方が好きだし、だから邦画によくある嘘っぽい画面は好きになれないんだけど、なんでここまで色調が違うんだろ?

 あ、そうそう。

 地図帳を物色する図書館、武蔵境駅前の武蔵野プレイスじゃんか!

 え~、おれ、いつも往ってるのになんで撮影してるところに出会わなかったんだろう?

 それと、小伝馬町駅近くの喫茶去快生館も出てたね。いつ行こうかな~。

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ブルージャスミン

2015年09月15日 00時00分43秒 | 洋画2013年

 ◇ブルージャスミン(2013年 アメリカ 98分)

 原題 Blue Jasmine

 監督 ウディ・アレン

 

 ◇アレン版『欲望という名の電車』

 プライドだの虚飾だのといったものは、たぶん、人間ならば誰でも持ってるものなんだろう。

 虚栄心はとってもつまらないもので、たとえば、この映画の主人公ケイト・ブランシェットは詐欺師の夫が逮捕されて自殺したことで虚飾の塊のようなセレブから貧乏のどん底に落ちちゃうわけだけれど、もしも、彼女が虚栄心をさらりと棄てていれば人生はたぶん好い方向に向いたんじゃないかしらっていうのがこの映画の主題だ。

 どれだけシャネルのスーツやエルメスのバーキンとかで自分を飾ったところで、教養を身に着けようともせずにただ贅沢三昧をしていれば底の浅い女でしかないのは当たり前なんだけど、ここでおもしろいのは下流の連中は彼女の本質を一瞬で見抜いちゃうような感じがあるのに対し、上流の連中は案外だまくらかされちゃうところだ。だから、虚栄心と欲望をあおって儲けるという詐欺師の夫にどいつもこいつも騙されてきたってことで、所詮、お金のあるなしは人間の本質とはなんの関係もなかったりする。

 ウディ・アレンはケイト・ブランシェットっていうとっても頭の良い女優さんを使って、もちろんこの作品でびっくりするほど沢山の主演女優賞を獲ってるけど、虚栄に塗れた痛々しい人間の骨頂を描いているわけだけれど、なにもケイト・ブランシェットが女だからって、男のぼくたちも変わらない。見栄えがどれだけよくても、それが底の浅いかっこつけだったりすると、結局、まわりはこう判断する。

 人間としてどうしようもないやつだな、と。

 それを、ウディ・アレンは、飛行機の中の会話、義理の妹の友達連中とのやりとり、歯科医のセクハラ、エリート官僚とのうわっつらだけの恋愛などをなんとも痛々しく描くことで、君たちも気をつけなさいよ、と観客にいってるんだよね。つまり、ケイト・ブランシェットと自分とはまったく関係ないから、とかいってけらけら笑ってられるような作品じゃないような気がするんだけどな~。

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おやすみなさいを言いたくて

2015年09月08日 16時05分32秒 | 洋画2013年

 ☆おやすみなさいを言いたくて(2013年 ノルウェー、アイルランド、スウェーデン 118分)

 原題 TUSEN GANGER GOD NATT

 英題 A Thousand Times Good Night

 監督 エーリク・ポッペ

 

 ☆誰が誰におやすみなさいを言いたいのか?

 冒頭、ちょっと緊張した。女性が全身に爆弾をつけられて、やがて殉教に赴いていくのに同行してその自爆に巻き込まれながらも写真を撮り続けようとするジュリエット・ビノシュから始まるんだけれども、この物語はかなり手ごわいぞと確信させるには充分すぎる幕開けだった。

 大学時代、紛争地域に行きたいとおもってた。

 ちょっとだけ、往った。ビルマのシャン州の入り口、当時、ゴールデントライアングルといわれていたところだ。それと、カンボジア内戦から逃れてきた人々を収容するカウイダン難民キャンプ。日頃、国境というものに接していなかったぼくは、それが持っているいいしれない緊張感が好きだった。

 でも、だったら紛争の真っ只中へ取材に行く勇気はあるのかと訊かれれば、関心は衰えないものの、やっぱり、あるとは断言できない。いや、当時のぼくだったら、あるいは「行く」と答えてしまったかもしれないが、もう、今となってはちょっときつい。体力も気力も大学時代のようにはいかないからね。

 ところが、この映画のジュリエット・ビノシュはそうじゃない。あきらかに年を重ね、ふたりの娘を持つ母親になっても尚、報道写真家であろうとする。なんというか、答えのある映画じゃないし、紆余曲折あって、長女とケニアへ行き、そこで長女を見捨てるような形になってしまいつつも取材してしまう本能を自覚してしまった後、それでも家族の理解はなんとか得られたものの、しかし取材の場に立ったとき、自分の娘と同世代の少女が爆弾を大量につけられて殉教というか自爆へ向かわねばならない現実をつきつけられたとき、その娘にもその母親にもカメラを向けられずに泣き崩れてしまうわけだけれど、そのときの心情はどんなものだったんだろう?

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サード・パーソン

2015年09月06日 19時29分52秒 | 洋画2013年

 ☆サード・パーソン(2013年 イギリス、アメリカ、ドイツ、ベルギー 138分)

 原題 Third Person

 監督 ポール・ハギス

 

 ☆作家の頭を覗いてみれば

 凄い処女作を出して大ヒットをかっとばした作家が、次回作を期待されるあまり極度のストレスに見舞われ、スランプに陥り、人生そのものを台無しにしていくことは決して珍しいことじゃないんだろう。

 このリーアム・ニーソンもそうで、結局、離婚弁護士の妻キム・ベイシンガーが仕事に出ているとき、仕事もうまく往かず、子供の面倒を見るようになってる。つまり主夫になってて、で、不倫もしたりしてる。不倫相手は小説家志望のオリヴィア・ワイルドという、まったく、リーアムさん、色気のある女性が好きなんだからってな印象だが、彼女と電話で話しているほんの30秒の間に息子がプールに落ちて死んじゃうことで、もう、人生の歯車は完全に狂う。リーアムはパリで酒と女に溺れ、キムはプールに飛び込めない。

 そうしたリーアムの書こうとしている物語が、ほかのふたつの恋物語になってる。

 そのひとつニューヨーク編にはキムもマリア・ベロに姿を変えて離婚弁護士として登場して、ジェームズ・フランコとミラ・クニスの離婚裁判を担当してる。ふたりの間には息子がいて、この親権を争ってるんだが、どうやらミラがしつけをするためにゴミ袋をかぶせたことで窒息しかけたことが虐待したとされてるらしい。で、ジェームズは不倫相手のローン・シャバノルと同棲して息子をひきとってるわけだ。つまりは、リーアムのいびつな投影なんだよね。

 それはローマ編にしても同じで、自分の不注意から娘を死なせてしまったエイドリアン・ブロディが登場する。もちろん、リーアムの投影だ。酒場で知り合うロマ族のモラン・アティアスは娘を誘拐されている。キムの投影だ。で、この身代金を立て替えてごろつきと交渉していく過程で、ふたりは恋に落ちていくわけだけど、誘拐された娘を救うことがすなわち自分の娘の供養だという気持ちがあって、それは当然リーアムの心情なんだよね。

 だから、ラストの一連のカット、すなわちキム、ミラ、モランが同じ人物となってリーアムの追いかける相手になり、つぎつぎに登場人物が消えていくさまは、リーアムの頭の中で事物が整理されていくという経過の表現になってるんだろうけど、このあたりの目まぐるしいカット割りは好きだわ~。

 ただまあ、3つ描いていくリーアムの私小説部分については、愛人のオリヴィアに対して「自分の物語を書け」というのが味噌で、彼女が表層的な文章はかけても物語の本質を書けないのは、自分が父親と近親相姦をしているからで、これは書けないよね。ところがこれをスランプのリーアムは書いてしまうんだな。追い込まれた作家が作品を創り上げていくときに愛人のスキャンダルを書いてしまうわけで、傑作は書けても、愛人を失うだけでなく社会的な名声はやがて失ってしまうっていう自己崩壊へと進んでしまう憐れさがある。

 いや~、こういう複雑な構成は好きだわ~。

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ビフォア・ミッドナイト

2014年10月31日 23時51分58秒 | 洋画2013年

 ◎ビフォア・ミッドナイト(2013年 アメリカ 109分)

 原題 Before Midnight

 staff 監督/リチャード・リンクレイター

    脚本/リチャード・リンクレイター、イーサン・ホーク、ジュリー・デルピー

    原案・キャラクター創造/リチャード・リンクレイター、キム・クリザン

    製作/リチャード・リンクレイター、クリストス・V・コンスタンタコプーロス、

       サラ・ウッドハッチ

    撮影/クリストス・ブードリス 音楽/グレアム・レイノルズ

 cast イーサン・ホーク ジュリー・デルピー アティーナ・レイチェル・トサンガリ

 

 ◎次回は2022年?

 子供がいるのに離婚して別な女性と再婚したとき、

 かならずついて回る悩みが、

 最初の奥さんとの間に生まれた子供との接し方だ。

 まあ、そのいちばん大きな問題が最後まで尾をひく作りなんだけど、

 そんなことはよくある話なので、映画でもいろんな会話の引き金にはなるものの、

 それはあくまでもきっかけでしかない。

 このシリーズに共通しているのは「旅」だ。

 最初がウィーン、次がパリ、そしてギリシャのメッシニア。

 どこもヨーロッパでは最高の観光地で、最後はちょっと渋いけど、でも綺麗だ。

 人生の中で旅をしている時間というのは、一般的には短い。

 学生だった時代、作家になってからの時代、そして今。

 三つの時代で、それぞれ印象深い岐路になるような時間を過ごすことになる旅。

 そういうつくりのシリーズになってる。

 それにしても、ふたりはよくしゃべってる。

 ウィーンでもパリでもふたりはひたすらしゃべってた。

 この他愛もない、そこらの男女がしてるような会話が、この映画の特徴だ。

 ほんのちょっとしたことで、それまでのロマンチックな雰囲気がこじれ、こわれる。

 でも、それも相手のことが好きだっていう前提の破綻だから、なんとなく修復される。

 ほんとに、誰もがどこかで経験しているようなしていないような、

 そんな現実味にあふれているようにおもわせる脚本に、おもわずうなる。

 あ、それと、

 第1作から9年立って第2作が撮られ、さらに9年して第3作が撮られたなんて、

 まったくうらやましいくらいに仲の好い監督とキャストだっておもえる。

 こうなったら、後2作くらい作ってほしいものだけど、

 そのためには後18年っていう年月がいる。

 でも、

 そういう映画作りってとっても素敵なことなんじゃないかっておもうんだよね。

 だって、誰にでもできることじゃないんだから。

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エヴァの告白

2014年07月04日 13時57分54秒 | 洋画2013年

 ◎エヴァの告白(2013年 アメリカ、フランス 120分)

 原題 The Immigrant

 staff 監督/ジェームズ・グレイ 脚本/ジェームズ・グレイ、リチャード・メネロ

     製作/ジェームズ・グレイ、アンソニー・カタガス、グレッグ・シャピロ

     撮影/ダリウス・コンジ 美術/ハッピー・マッシュー

     衣裳デザイン/パトリシア・ノリス 音楽/クリストファー・スペルマン

 cast マリオン・コティヤール ホアキン・フェニックス ジェレミー・レナー

 

 ◎1921年、ニューヨーク

 そのものすばり移民の話なんだけど、

 ポーランドからの移民って、

 第一次、第二次の両方とも多かったんだろうか?

 ほんと、あの国のことをおもうと大変だったろうなあっておもうけど、

 ジェームズ・グレイにとってこの作品を製作すること自体、

 自分探しっていうか、アイデンティティの模索だったのかもしれないね。

 実際にエリス島には生き別れになった移民の姉妹がいたらしいし、

 その場に、グレイの祖父母あるいは曾祖父母がいたのかもしれないし、

 ホアキン・フェニックスのモデルは、

 母方の曾祖父の知り合いで、売春の斡旋業者だった、

 マックス・ホックスティムとかいう人物だったようだし、

 ジェレミー・レナーのモデルは、

 手品師でもあり読心術師でもあったテッド・アンネマンっていう実在の人物らしい。

 まあ、歴史に題材をとった物語の場合、

 こまかい年表の上に散らばってる小さな点を、

 数珠つなぎにしていって、

 それがほぼ違和感なく繋がったときにできあがるもので、

 この作品もそうした伝聞や調査の結果、完成したものにちがいない。

 もっとも、

 移民の問題はなにも1世紀前に遡る必要もなく、

 現代でもかなり重要な問題のはずなんだけど、

 やっぱりジェームズ・グレイの場合、

 個人的な関心の方に傾いていったってことなんだろうね。

 ただ、なんていうのか、

 マリオン・コティヤールは妹と再会してエリス島から出、

 ホアキン・フェニックスの用意してくれた切符でカリフォルニアをめざしても、

 そこで幸せになれるかどうかはわからないわけで、

 実をいえば、この作品は当時の移民の悲惨さは語られてはいるんだけど、

 どのように自分の置かれている状況を打開して生きていったのかっていう、

 次への階段を上っているところはひとつもないんだよね。

 それをして希望っていうのかもしれないんだけど、

 この物語に足りないものがあるとすれば、

 マリオンと結核の妹アンジェラ・サラファインの能動さなんだろな~。

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鑑定士と顔のない依頼人

2014年06月24日 12時15分08秒 | 洋画2013年

 ◎鑑定士と顔のない依頼人(2013年 イタリア 131分)

 原題 La migliore offerta

 英題 The Best Offer

 staff 監督・脚本/ジュゼッペ・トルナトーレ

     撮影/ファビオ・ザマリオン 美術/マウリツィオ・サバティーニ

     衣装/マウリツィオ・ミレノッティ 音楽/エンニオ・モリコーネ

 cast ジェフリー・ラッシュ ジム・スタージェス シルヴィア・フークス ドナルド・サザーランド

 

 ◎カフェ「ナイト&デイ」は閉店

「おひとりさまですか?」

「いや、連れを待っているんだ」

 映画を観終わって、

 いくらなんでもあの内装はセットだろう、と勝手におもってたら、

 どうやら、プラハに実在するビアホールだかビアハウスだかの、

 ロケセットだったらしい。

 ただし、2013年の夏に閉店したんだとか。

 誰か、この映画を気に入った人がいたら、

 買い取ってロケセットを復活させればいいのに。

 エンニオ・モリコーネのぶきみな旋律がくりかえし奏でられる中、

 緻密に計画された悪巧みが静かにかつ正確に進められてゆくのを、

 ぼくたちはじっと耐えながら見つめていくわけだけれども、

 こうしたじれったさを緊張感と呼ぶのかどうかよくわからない。

 鑑定士、故買、隠し部屋、贋作、廃屋、広場恐怖症、歯車、修理屋、機械人形、美女、

 とかいう事物がつぎつぎに登場し、そこにあきらかに、

 鼻持ちならない鑑定眼と自負心を併せ持った人嫌いで初老の童貞鑑定士と、

 鑑定士の独自の価値判断によって一流画家への道を断たれた贋作師と、

 機械修理の腕前は超一流ながら次々に女を替えている一見優しげな色男と、

 莫大な遺産を持つことになった広場恐怖症で純粋無垢の美人作家とが出てくれば、

 これはもう当然のことながら、

 この鑑定士が、贋作師と修理屋と遺産相続人の共謀に嵌められるんだろな~、

 という予想が働くわけで、あとはそれがいつ勃発するかっていう興味に変わる。

 この作品の愉しみ方はそういうもので、

 ちょっとずつ小出しにされてくる嵌める直前の設定について、

 あれ、予想ちがいかな、とおもわせる場面が随所に挿入されてるんだけど、

 いやいやそんなことには騙されないぞと自分に言い聞かせつつ、

 徐々に正体を現してくるカタストロフィへの罠の断片を観て、

 そうだろ、そういうことだよな、と自分で納得していくわけだ。

 ただ、

 実をいうと、ぼくはこれは前半の話だとおもってた。

 隠し部屋に収蔵してある大量の女性の肖像画と裸体画の、

 つまり、世界中の美術館にあるのは偽物だという前提のもとに、

 その本物をまんまと盗み盗られてしまった鑑定士が、

 老いた身体に鞭打って必死になって探し始め、やがて追い詰めるんだけど、

 しかし、その途中から、

 自分の行動は復讐心によるものなのかそれとも恋心によるものなのか、

 まるでわからなくなり、最後の最後に追い詰め、復讐を果たそうとするとき、

 生まれて初めて抱いた恋心がおもわぬ作用をひきおこしてしまうとかいう、

 長々しい話だとおもってたんだけどな~。

 げにおそろしきは美人なりけりっていう哀れな老人の話だったわ。

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17歳

2014年06月22日 22時52分09秒 | 洋画2013年

 ◎17歳(2013年 フランス 94分)

 原題 Jeune & Jolie

 staff 監督・脚本/フランソワ・オゾン

     撮影/パスカル・マルティ 美術/カティア・ワイスコフ

     衣裳デザイン/パスカリーヌ・シャヴァンヌ 音楽/フィリップ・ロンビ

 cast マリーヌ・ヴァクト ヨハン・レイセン シャーロット・ランプリング

 

 ◎少女は何に渇いていたのか

 援助交際とかいっちゃうと、なんだか、生々しいだけじゃなくて、

 この映画の主題から離れちゃうような気がしないでもない。

 でも、SNSを使った援助交際にはちがいないわけで、

 かといって、少女から大人になっていく思春期の揺れ動く時代を、

 とかなんとかいうほど、ぼくは詩的に出来ていない。

 マリーヌ・ヴァクトはさすがに、

 イヴ・サンローランのイメージモデルだけあって、

 華奢ながらも均整のとれた肉体である一方、

 憂いをおびた眼がとても蠱惑的だ。

 ただ、官能的であって官能的でない分、

 どちらかといえば、ぼくの趣味ではないんだけど、でも美しい。

 でも、こういう淡白な子を主役にしないと、映画が崩れる。

 父親は養父で、母親は知り合いの黒人と不倫し、

 母親は娘がsexをおぼえたことを察してコンドームを渡し、

 黒人の家庭でベビー・シッターをしているときには、

 その奥さんが使っているとおぼしきバイブを見つけ、

 客たちは、

 それこそありとあらゆる行為におよぶ。

 これが、お金をもうけて何かに使うのかといえばそうではなく、

 結局のところ、

 変身して見知らぬ男と待ち合わせてsexにおよぶという、

 しかも、それが未成年での売春行為だという背徳さが、

 自分でも知らない内にもうひとりの自分を目覚めさせていて、

 気がついたときにはもはや抜き差しならない事態に陥っている。

 けど、そういうだけの映画かといえばそうでもなく、

 弟に「変態女」と蔑まされるようにいわれながらも、

 ひとりの老いさらばえた客だけには、

 恋愛にもにた感情を持ってしまっているという、

 矛盾を抱えるようになってしまうのが、味噌だ。

 で、このバイアグラを服用している心臓病の老人は、

 男の夢のような腹上死を遂げるわけだけれども、

 佳境にいたって登場するのが、

 老人の妻、シャーロット・ランプリングだ。

 さすがに、堂々たるもので、

 彼女が登場することによって映画全体がひきしまる。

 ランプリングにとって、マリーヌ・ヴァクトはどういう存在なんだろう?

 自分の夫が最後にsexした女、

 夫が死ぬときに腹の上に跨っていた女、

 夫の死ぬ瞬間を見ていたたったひとりの女、なのだ。

 この女を連れて、夫が死んだ部屋に行き、ふたりでベッドに横たわるとき、

 ふたりはそれぞれなにを考えていたんだろう?

 ぼくなりの答えはあるけど、たぶん、数日後には変わる。

 いろんなことを考えるけど、どれも陳腐になりそうだから、書かない。

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ザ・イースト

2014年06月12日 15時38分47秒 | 洋画2013年

 ◎ザ・イースト(THE EAST 2013年 アメリカ

 製作総指揮がトニー・スコットで、

 製作にリドリー・スコットが一枚噛んでるとあっちゃ、見ざるをえない。

 で、観た。

 おもしろかった。

 環境擁護団体ってのはどこまでが正義がよくわからないところがあるんじゃない?

 ってのが単純な主題なんだけど、

 たしかに世の中、

 捕鯨反対や絶滅危惧種の捕獲反対や公害反対や核廃絶やら、

 とにかく環境と人類の未来を旗印にして戦い続ける人達は少なくない。

 そうした運動が過激なものにならないかぎり、なるほど、それはそれでいい。

 でも、ときに過激をとおりすぎて重大な犯罪行為になっちゃう場合もある。

 もはやそれは環境擁護団体ではなく正義の仮面をかぶった犯罪者の集団だ。

 で、この環境テロリスト集団「イースト」に対して、

 元FBIの美人捜査官ブリット・マーリングが潜入捜査を仕掛けるんだけど、

 ここからが凄い。

 集団の中にいる紅一点がエレン・ペイジなのはさておき、

 こいつらの言動や行動があまりに過激で、

 最初は眉をひそめてるんだけど、

 これがどうして環境被害に遭った人達を見ている内に、

 徐々にではあるけど「イースト」の主張に共鳴していっちゃうってことだ。

 カルト集団に潜入している内に自分でも気付かない内に洗脳されちゃう、

 みたいなことがあるかどうかは知らないけど、

 この場合は、被害に遭っている現実が眼の前にクローズアップされる分、

 自分の体内にある正義感だけがむくむくと頭をもたげてくることに、

 理性では不安と恐怖を抱きながらも、本能がめざめてくるところが凄い。

 ちょっと驚いたのは、

 ブリット・マーリングがリドリーと並んで製作に参加し、

 監督のザル・バトマングリと一緒に脚本も書いてることだ。

 たんに綺麗ってだけじゃないんだ~。

 いや、感心しました。

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